2014年7月18日金曜日

Мне трудно изучать Русский язык. 難しすぎますロシア語。


今年も暑い毎日も必死でロシア語のお勉強。しゃべり始めた一歳半の孫のカタコトと競争。負けるのは時間の問題か。
小学2年生になったおしゃべりホノちゃんの日本語とはどう見てもGちゃんのロシア語は マケ。 とほほ。
2回目の夏を迎えたロシア語のお勉強。やめれば忘れてしまうだけ。自縛 悪戦苦闘 ロシア語に のたうちまわりのGちゃんです。







どうしてロシア?
 
共に助け支え合い、そして働き、学び、愛しと言った そんな人本来の「生」そのものの在り方を問うのではなく、所有すること、消費することに価値を求め ひたすら「右肩上がり」の「お金持ち」を目指してきた我々現代人の生き方。

長年アメリカと関わり そこに暮らし 多彩な価値観や自由を謳歌してきたGちゃん。大なり小なり 多くのみなさんと同じようにモノに溢れるその豊かな生活と人生は 恵まれた時代を生きてきたとも言えます。世界はアメリカを中心に回っていました。競争社会に勝ち残り 富と権力が豊かさの象徴で目標でした。アメリカンスタンダードがそのままグローバルスタンダードだったと言えます。だれも疑いもしませんでした。。そんな中、遠い東西冷戦の昔から ロシアはそんなGちゃんにとって最近まで 関心もない 得体の知れない不気味な国でした。

すでに2回 アラスカやカナダの北極海の極寒に挑戦してきたGちゃん、次の挑戦は真冬の凍りつくバイカル湖まで このボロのマイカーで行けるものなら行ってみたい。ただそれだけの簡単な理由で訪れた初めてのロシア。。。そしてそこで見たもの、接したもの、経験したもの それは余りにも今までの認識や印象とはかけ離れた真逆の世界がありました。Gちゃんに人本来の在り方を問いかけ「出直して来い!」とさえ罵倒され門前払いされたような初めてのロシアと そこに住む人々でした。

多くの名もないつつましやかな人々、そしてその生活。恐らく昔の日本もきっとこうだっただろう。

物にあふれ豊かな経済とやらを謳歌しているはずの我々。そんな我々が「豊かさ」と引き換えに捨て去った 人と人のかかわりや 生きざま。思いやり支え合う、人本来の暖かさや息吹。かけがえのない家族の絆や結びつき。我々現代人がとっくに忘れ去っていたものの価値や意味を ロシアは問いかけてきたように思えました。

両手につかんだように錯覚しても カネやモノでは結局は得られなかった心の幸せや生きる人本来の在り方。みんなみんな我々現代人が信じて疑わなかった右肩上がり経済至上主義の そんな出口のない迷路や錯覚、幻想の未来にみんな気が付き始めたのではないでしょうか。。。「足るを知る」、あまりにも我々は忘れていたように思います。

夢のある人生を次の世代にも味わってほしい、今を生きる誰しもが願っていると思います。
何に意味があり価値あるのか、どういうことが大切で忘れてはいけないものか。しばらくはロシアとかかわることによって 豊かな生活そのもの自体の在り方を問い続けたいと思っています。




2014年2月25日火曜日

さようならロシア до свидания






冒険旅行もいよいよ最後の日を迎えました。ご声援と励ましをありがとうございました。

今回は 行きたくても不便でなかなか行けない、地球上では最極寒の町と言われている真冬のシベリアのヤクーツク、悪路では世界屈指と言われるモンゴルの南ゴビ砂漠 を幸運にも二つともなんとか無事走り終えることができました。夢かない いよいよ明日ウラジオストックより愛車パジェロと一緒に日本に向け帰ります。

暖冬と言われた今年のロシアは ソチオリンピック開催のため プーチン大統領命令で ロシア中にある寒さと雪は全てソチに掻き集められたらしい。ヤクーツクでは気温-55℃が精いっぱい。期待してた-60℃が叶わず残念。。またゴビ砂漠では ほとんど改造も何もしていない市販パジェロで大変な苦行、車はガタガタになってしまい 長年の愛車に申し訳ないことをしてしまいました。。。極寒、難路の環境のもと、いずれも最大の功労者は愛車三菱パジェロジュニア。走行22万キロ、今回の旅でも42日間、13,500㌔の難路をよく耐え走ってくれました。すばらしい車です。家に帰ったら十分に休ませてやろうと思っています。

いま思い返して苦しかったのは やはり国家警察の監視下に置かれ二日間厳しい尋問を受けたことです。パスポートを忘れて国境を超えるのろまなテロリストなんて居るはずもないとは思うのですが 折が折り 辺境の地でも神経を尖らせているロシアの治安管理を垣間見ることができました。

おかげで持参のハードデスク中の貴重なデータや多くの写真はほとんど消えてしまい その回収と回復に後々が大変ですが、パスポート不携帯の罰金千数百円で済んだのは幸運だったと思います。いくらでも拘束理由は付けられたことでしょう。迷惑を掛けましたロシア当局関係者のみなさまにお詫びします。。。氷のような鋭い目。モンゴル国境まで見送ってくれた尋問責任者の、別れぎわに初めて見せるその眼にこみあげている暖かいもの。人と人の一期一会の不思議さと素晴らしさをつくずくと感じさせてくれました。 

決して諦めない。プログでは繰り返し述べてきましたが 昨年の冒険旅行での苦い経験が今回の旅の大きなバネになりました。敗退や失敗が夢の終わりを意味するものでは決してない、むしろそれが夢実現への第一歩、。。挫折や敗北が大きければ大きいほど それを跳ね返す爆発力も大きくなったように思います。必死になってロシア語に挑戦 夜も昼もなかった苦しかったこの1年、たくさんの思い出や収穫をもたらしてくれ、また報われ、心から喜んでいます。

誰しも何事も 願ったように進んでくれるような毎日ではありませんが 決してあきらめない、これからも大きな夢を追い求めていきたいと思います。

長い間のご愛読ありがとうございました。長文、駄文、ずいぶん読みずらく ご迷惑を掛けました。プログを通じ なにか一つでも参考になるようなものでも読み取って頂けましたら幸いです。重ね重ね ご愛読ありがとうございました。

なおこれにてしばらくこの「Gちゃんの大冒険」休刊とさせていただきます。まだまだ胸ときめく冒険旅行の続編は続きます。次の冒険が始まるその日まで、また元気にお会いできる日を願い 皆さまのご健康、ご多幸をお祈りします。お幸せにお過ごしください。


駄作ですが 今回の冒険旅行の写真をアルバムにまとめました。下記のアドレスをクリックしてください。全画面サイズ、スライドでもご覧いただけます。ほとんど原版での掲載で重いのもありますが お好きな写真はご自由にインストールしていただいて結構です。

https://photos.app.goo.gl/qfaKXcRwwqygC7tC8



2014年2月22日土曜日

夢かなう


昼過ぎウラジオストックに到着しました。大した事故もなく元気にここ出発点にまた戻ってこられました。ホテルのベッドの上で大の字に寝転がっています。夢がまたひとつ叶ったという実感や感動はいまひとつ湧いてきませんが さっそく自宅に電話して安堵する愛妻の声には胸の詰まるものがありました。これで今回の冒険旅行は全て終わりました。

「夢がかなう」。今日はまた長い間もっていた特別の夢が叶いました。信じられませんが、強い願いは叶えられるものですね。神は居る。つくずくそう思いました。

ウラジオストックの街にあと数10分。これが最後のラストラン、長かった旅を振り返りながら走っていました。。。ぬ?なに??なぬ~???三車線の高速道路、通り過ぎてからも何故か猛烈に後ろ髪を引かれる思いに襲われる道端の、どこにでもありそうなガソリンスタンド。

昨年1月18日のプログにも事情は説明させていただいた旅の最初の日の出来事。車のガソリンが一滴も残っておらず 涙も出ないほど苦しんだGちゃんを助け励ましてくれたあのガソリンスタンドの爺さん。会いたくて、礼が言いたくて、ずっとこの1年間、ことあるごとにあの辛かったことや有難かったことを思い出していたのですが。今回も出発初日に半日かけてそのガソリンスタンドを探し回わり結局は発見できずじまい。それだけが今回の旅の一番の心残りだったのです。

どう考えても気にかかるあのガソリンスタンド。道路脇に車を停め。高速道路ですのでUターンはできません、ハザードを点滅させたまま強引にバック。裕に500㍍、1㌔近くあったでしょうか、違っていてもともと。時間をかけバックしました。。。見えてくるガソリンスタンド、バックミラーに映る爺さんの姿!去年 通じるはずもないのにロシア語で延々としゃべりまくったあの人懐っこい爺さん。去年と同じ帽子被って同じヤッケ着て!!。会いたかった人がそこに居る!!。。

狂喜。もう後はどうなったのか分かりません、あわててガードレールにパジェロをぶつけフォグランプが折れ曲がってしまったことくらい。驚きでわが目を疑いながら。転げ落ちるように運転席。駆け寄る爺さん。お互いに熱い抱擁。

Gちゃんにとってはこのガソリンスタンドはロシア冒険旅行の原点です。ロシア語のイエスもノーも知らず、もちろん道路標識も何も読めなかった昨年の冒険旅行。思い出しても胸の痛くなる苦しい毎日でした。読めない、書けない、しゃべれない、聞こえない、そんな極寒の一人旅。シベリアでは日本語はもちろん、英語は全く通じません。買いたくてもガソリンスタンドの在りかさえ知る方法はありません。

舐めたらアカンで!大きなロシアに出直して来いと はじき飛ばされた思いと悔しさ。そして一方 奥の深い暖かいロシアを教えてくれたこの爺さん。昨年のあの出会いがなかったらもう二回とロシアに来ることはなかったと思います、それほどGちゃんにとっては忘れられない恩人であり先生でした。恩人に会いたい、礼が言いたい、それだけで頑張ったような一年間のロシア語勉強でした。

昨年と同じ スタンド横の番人小屋の破れたソファーに座り、こうしてまた恩人に再会できた喜び。涙がこみあげて止まりません。見れば爺さんももらい泣き。お互いに再会を信じられない思いで 今度はロシア語で延々と 年寄り同士自分勝手に思いつくまま 相手が聞こうが聞こまいが。。。野イチゴの自家製ジャムをお土産にもらって来年の又の再会を約束して別れました。爺さん、元気に待っていてくれよ。会おうな、また元気で絶対に会おうな。

夢かなう。おそらくGちゃんは誰よりも世界で一番幸せな男だと思います。素晴らしい旅の 素晴らしい最終日になりました。




2014年2月21日金曜日

旅の終わり


日本へ帰るフェリーの出るウラジオストックまであと4時間ほどの距離、長かった旅も終わりを迎えます。都会には都会のホテルの便利さや快適さも多いのですが 今日はその手前の木立の美しい田舎町の小さな旅館に昼過ぎパジェロを停めました。

人懐っこさと純朴さ、親切さ。都会にはない人間臭い暖かい応対にどれほど元気をもらってきたことでしょう。晩ご飯は 客も居ないこととて 厨房の片隅にある小さなテーブルにおかみさんと二人で。だれかと一緒に食事をする、ふだん気も付かなかったことがやけに新鮮に映りました。ひと月前とちがい、もうすっかり春の日差しとなった夕陽が食卓の上に大きく差し込み 暖かく輝いていました。

日本の大雪は収まったのでしょうか。こちらは気温こそ昼間でもマイナス10℃前後ですが連日の快晴、日差しが暖かく 溶けた水が屋根からツララとなって垂れ下がり始めています。気の休める瞬間もなかった冒険旅行でしたが 今日は初めて4WDから2W走行に切り替え。エンジンも足回りも末期的悲鳴をあげながら、それでも健気に頑張ってくれています。旅館の玄関先に停めてあるドロドロのパジェロが哀れなほど痛々しく見えました。

朝起きたら用意されてある暖かい牛乳とコーヒーにトースト。新聞に目を通しながら食べる朝食。犬の散歩やたわいない家族との会話。普段は気にもしなかった、気も付かなかった、そんなどこにでもある当たり前の生活。。
人にとってそれがどれほど大切でかけがえのないものか。心はすでに我が家に向いています。


2014年2月19日水曜日

シベリア抑留戦没者




政治、思想、宗教問題についての話題はできるだけこのGちゃんの大冒険プログには持ち込まない積りでしたが。 シベリアを旅し、どうしても話題から避けられないのが旧日本軍シベリア抑留兵のこと。思い切って今日、ハバロフスク郊外にある戦没抑留者慰霊公苑に行ってきました。市内から車で10分の所にあります。

凍てついて雪の積もった広大な敷地に慰霊碑とモニュメント。誰も居ない記念公園。旅も終えすっかりふやけたGちゃんですが さすがに厳粛な気持ちになりました。。シベリアのみならず中国、ビルマ、スマトラ、硫黄島、、数々の戦地で散って行った人々の気持ちは如何ばかりだったろう、思いの馳せざるを得ませんでした。天皇を陛下と仰ぎ 陛下の名のもとに犠牲になって行った人々。この過酷な環境で耐え忍び心から満足して国の為に死んでいったのでしょうか。母や父や妻を思い、ただそれだけが生きる支えだったのではないでしょうか。誰しもが持ってる、山青き、川うつくしい、あの故郷に帰りたかったのではないでしょうか。苦しく悲しかったと思います。そんな無名のたくさんの人々に心からの冥福を祈りました。すっかり平和な世の中に慣れきってしまいましたが、なんて我々は自由で素晴らしい毎日を送っていることでしょう。これで不平を言えばバチが当たります。

小さなことにこだわりました。上の写真は修正してあります。「衆議院議員 何野たれベイ書」と大きく刻印されていました。厳しいですが、これがこの何野たれベイさんの本音、思考の本質、Gちゃんはそう判断しご本人には失礼ですがプログでは消しました。
これは私人の墓標ではありません。日本国民みなが願う戦争への反省と平和への誓いの象徴であるはずです。どうしてそこに個人の肩書と名前が要るのですか。国民ひとり一人のお金と願いが込められているのではないのですか。
Gちゃんには 遺跡に自分の名前を落書きしてる修学旅行の中学生の悪ふざけのようにさえ映りました。純粋であったはずのせっかくの慰霊碑、当事者だったはずの国も政治家も もっとその意味を考えて欲しかったと思います。

靖国神社問題を筆頭に今も保守体制層に蔓延している思考。加害への深い反省のないことがそうさせるのだと思います。先の戦争を侵略と呼ばなくて何て呼ぶのでしょう。
占領軍に押し付けられた憲法、隣国をシナと呼んで何が悪い、恥じらいもなく公人が叫んではばからない昨今の日本。とんでもないおごりと傲慢な思考だと思います。平和ボケしたとしか言いようがありません。今を生きる者の使命とは何でしょうか。

個人的な責任所在を弾及するのではないのです。二度とそんな失敗を起こさないための冷静な真の原因把握と対応こそが明日を生きる者の知恵と責任だとGちゃんは思います。それが反省というものではないでしょうか。
福島原発事故でもそうです。失敗に謙虚に向き合うことは決して「自虐的」でも恥ずかしいことでもありません。 

再びこういう慰霊碑の作らなくて済む国になれるよう、ここシベリアだけじゃない、何百万というアジア各地に散った同胞の思いに 真摯に思いを馳せたいと思います。そうでなければ この戦争で命を奪われ死んでいった人々は 単なる犬死ということになりかねません。  




2014年2月18日火曜日

油断大敵


大雪が終われば日本は梅の花、続いて桜の花。待ち遠しかった春の到来。あのうららかな小川の流れ、ツクシの芽ぶく野山、懐かしく、少し感傷的になります。シベリアは樹氷というのか氷華というのか、時を盛りに満開です。もともと乾燥し切った大地、通常はマイナス摂氏30度や40度では空気中の水分が氷になってしまいキラキラと太陽の光で美しく反射しているものですが。。昨年は完全に凍結してた大河アムール、暖冬の今年は水面からもうもうと水蒸気。それが樹の枝に見事な華を咲かせています。


旅の終盤。走り慣れた道。ハバロフスクを目前にして、もうここまで来れば後は何とでもなる。油断してました。旅行中ずっと60ℓ積んで走ってた予備のガソリン。もう要りません。10ℓだけ残してパジェロのガス欠まで走行。。予定通りエンジン止まりました、道端にパジェロを停めて。残りの予備10ℓをやおら入れようとしたら!!げげげ、入ってるはずのタンクが空っぽ!青くなりました、そう言えば一昨日か、ガス欠の老夫婦にあげたのを忘れてた!

停まってくれた見ず知らずの人の助手席に乗せてもらってガソリンを買いに行きました。スタンドまで40㌔はあっただろうか、パジェロは道端に停めたまま。往復小1時間は裕に掛かった田舎道。10ℓ缶買って戻ってきたらパジェロはライト点けっぱなし、ドァもロックしないまま。。よっぽど慌ててたのか取り乱してたのか。。ガソリン入れてエンジン掛かるのを見届けてその見知らぬ人、じゃ、気を付けて、バイバイ!!そう言えばハバロフスクへ向かってるって言ってた、そこから優に300㌔以上、4時間は掛かる道のり。わざわざGちゃんのために時間と労力を割いてくれた。。。実はお礼の気持ちを込めて、せめて使わせたガソリン代の埋め合わせにもとオカネを渡そうとしたのですが。ロシアの習慣にはそういうのはないらしい、受け取らないどころか 無理に渡そうとすると怒り出す始末。it's my pleasure、それが私の歓び。。これからも人が困って助けを求めてるときは Gちゃん、この嬉しかったこと 思い出そうと思います。最後の最後になってまたロシアに教えられました。


真っ赤に焼ける夕陽を見ながらハバロフスク到着。ウランバートル以来の、首まで浸かってゆっくり熱いお風呂。下着もみんな着替えて颯爽と日本食堂。ご飯にお味噌汁掛けてタクワンぼりぼり。。長かった冒険旅行もあと1000㎞。2~3日、ゆっくりここハバロフスクで 休養するつもりです。

2014年2月17日月曜日

旅も終盤







シベリアの大地に昇る朝日と沈む太陽。もう何回見ても感動します。寒く空気も澄みきっているからでしょうか。太陽ってすばらしい。生命の源を見る思いがします。

ぜひ上の写真をクリックして下さい。自分で言うのはおかしいけれど。すばらしい太陽です。感動します。



 

2014年2月16日日曜日

本日走行1000㎞

ハバロフスク、道路標識にやっと出てきてくれました。2,165㎞。ちょっとないね、こんな距離の標識、日本には。



今日はシベリアでの一日走行距離、記録じゃないのかな。12時間、ちょうど1000㌔の走行。
チタを出てスコボロジーノという所まで。。。初めから走るつもりじゃありませんでした。この間はシベリアでも一番深い場所、めぼしい村もなくガソリンスタンドを探すにも苦労する場所。延々とツンドラの森が続きます。昨年は慣れないこともあってホテルも見つけられず あげくガソリンも無くなって零下40度で野宿した区間です。

今回は途中の村や町に寄って宿を探したんですが やっぱり無かったり、あっても3人相部屋だったり、宿探しに苦労しました。普通なら相部屋も別に気にしないのですが、この深シベリア地区、木材伐採の労働者が多くて(中国人出稼ぎ労働者を筆頭に北朝鮮系が多い)、セキュリテーの上で止すことにしました。一泊800円くらい、タタミ3畳くらいの部屋に3人、4人の詰め込みは いくらなんでもヤバすぎます。食べ物の食べさしや変な雑誌が散乱していていかにもタコ部屋風。車内に置けば凍りつくのでいつも部屋まで持ち込むカメラやレンズ、パソコン等の光学機器、安心して眠れません雑魚寝では。。。あと3時間も走ったら安全なモーテル、無理をして夜の9時にふらふらになって到着しました。

結局この区間、今回は行も帰りもノンストップで走りきったことになる。とんでもない僻地だからガス欠車も。予備のガソリン10ℓ差し上げて老夫婦に神さま仏さまみたいに両手を合わせて感謝されました。その気持ち 良く分かります。ガソリンが切れたら死を意味するんですもんね。

これで今回の旅も最後の難場を越え、あとは一路ウラジオストックに向け淡々と距離をこなすだけ。居眠り運転のないよう気を引き締めて走りたいと思います。

2014年2月15日土曜日

チタ。。ソチじゃありません。

日本は大雪とかソチオリンピックで大騒ぎらしい。東京都知事選も終わったらしい。浮世も知らずに すっかりロシアご熱中のGちゃん、忙しい読者のみなさんもどうせ詰まらんプログなんて読んでられないでしょう。あと10日ほどでウラジオストック。今日はチタという町に着いたことだけ報告して、おやすみなさい。


やっぱりロシアはどこを向けても写真の画材豊富、歴史が違うみたい。すっかり馴染んでしまって楽しい毎日。昨年の悔し涙に車を走らせた同じ道、天と地の違い。昨年の同じ頃のプログを読みかえして感無量です。ロシア語、勉強してつくずく良かった。何をさておいても看板の「読める」というのが最高にうれしい。ロシア語教室 元春先生ありがとうございました。帰ったらまた宜しく。

2014年2月14日金曜日

ゆっくりウランウデ



昨夜、孫のホノちゃんとSKYPEしました。「じいちゃん どうしたの!アタマがボサボサで お顔もゲッソリやせてガリガリ!ごはん食べてるの?! 」。いやはや、孫の端的な指摘、ショックでした。鏡に映る自分の顔、20歳は老けた顔、目は落ち込み頬はこけてしまってる。何もかもゴビ砂漠に吸い取られちゃったみたい。。こりゃアカン!あのハンサムでカッコいいGちゃん、どこにもなし。

ウランウデ、今回で訪問4回目になるこの美しい町 昨日稼いだ一日をここで使うことにしました。やっぱりロシアは全然いい!ゆっくり休養です。すっきり、さっぱりしなくっちゃ。
朝もゆっくり眠って、散髪に行って、銀行に行って、買い物に行って、ついでに町も散策して。。。地方都市のウランウデ、みんな純朴で親切。カメラを向けてもみんな笑顔。零下20度と寒いのにポーズまで取ってくれる人も。男女、年齢にこだわらず撮影、やっぱりモンゴルと違って「絵」になる顔をしてる。なにがどう違うのか。。言葉の通じる通じないとはまた違う何か。。

そうそう、すっかり忘れてたロシア語、教科書のレッスン3くらいまで思い出してきました。帰るまでに10までいけるのでしょうか。。。散髪?ホテルにある理髪店で。全部ロシア語で、でけた!!すっきりスポーツカット。値段?300ルーブル。660円!!日本ではGちゃん3990円!佐々木理髪店、オマエんとこ、高いぞ!

ウランウデ。けったいな名前。由来を聞いた。「赤い門」というモンゴル語らしい。ソビエット時代にモンゴル共産化のためのゲートの町として命名されたそうです。だから地名としてはたかだか100年くらいのことか。あのバイカル湖も近く美しい町です。


これ誰~?? 上の写真と どえらい落差があるなぁ~!

お口直しに本日特別おまけ。


本日撮影した写真総数は400枚近く。カメラが凍ったらホテルへ帰って暖め、また出かけ。良い写真いっぱい撮れました。驚くのは向こうから写真を写してくれというご要望。大型カメラを持ってる人なぞ見かけたことなくGちゃんがなにかプロにでも見えるらしい。明らかにGちゃんはガイジンの風情、それがまた好奇心や安心感を呼ぶのでしょうか。

いやいや、後が大変です、写したのを送ってやらなければいけない。。。日も落ちてもう撮影も止め、とホテルに帰ってきたら。同じホテルで、また、結婚披露宴。規模大きく100人くらいか。またまたカメラマンのGちゃん。幸せそうな新郎新婦、結婚式の顔はみんながハピーでこちらまでハピー。一次会なのかな、お開きになって新郎新婦、二人揃ってアツアツしながらうれしそうに自分たちの部屋へ。おいおい、やめてえや~~~!!そこはGちゃんの部屋の隣じゃねいか!連日運転重労働くたくたのGちゃん、隣室では暴れないでください、今夜だけは。

ちなみにホテルは4☆ バイカルプラザというホテル、日本と一緒だね、一流ホテルで式をする人が多いんだね。すんません、年金生活者がそんな高級ホテルに泊まって。一泊、ちょっと値は張って!!、セミスイート9000円。Gちゃん、帰るの止めて もうここに住もうかな。。ロシア最高!



2014年2月13日木曜日

モンゴルさようなら


今回の冒険旅行の最深部からのUターン、帰国への長い長い道のりのスタート。ゆっくりのんびり、今日はモンゴル側の国境の町で泊まるつもりでしたが 日も早い、ロシアに入国してしまうことにしました。ウランウデの町までウランバートルから600㌔ 10時間のドライブ。2日間の予定がこれで一日浮いてきました。

ロシアの再入国はすんなり。1週間前にトラブルに遭っただけにヤレヤレです。。何てキザなGちゃんって聞こえると思うのですが。。やっと緊張しなくて済むロシアに、帰って来た感じ、もうヤレヤレという思いでいっぱいです。もうここなら何とかなる。中南米を旅して米国に入った時の感覚に似ています。ロシア側の入管、可愛い担当の女の子、Gちゃんに質問「モンゴルどうだった?」。。返事に困ってGちゃん 肩をすくめてたんですが、、「最悪だったでしょ?!」。向うが答えを言ってくれました、ホントにイヤね!と言わんばかりの顔をしかめながら。。意を得たりとばかりに二人で大笑い。やっぱりアンタもそうか。

モンゴルの感想は人により様々だと思いますが、Gちゃんのように車を使った旅行者には印象は特に厳しくなると思います。ほとんどゼロ点。人々は車を運転する以前の問題があるように思います。。。大渋滞の大きな都心の交差点。4列も5列にも車が並んでひしめき合って。その交差点の右端のレーンの先頭に並んでた車が、なんと!青信号で交差点を強引に「左折」。「右折」じゃありません!その1台のために直進する車は全てストップ、大混乱。ますます道は渋滞。みんなルール順守は自分の都合次第。もちろん夜も昼も一日中クラクションの騒音。

車が急激に普及したとか、道路インフラが追い付いてないという実情もあろうと思いますが、Gちゃんには発展途上国特有の事情だけではないように映ります。貧しくても心の豊かな国は他にいくらでもあります。素晴らしい自然の景色と無尽蔵の地下資源、でも結局最後の財産は普通の一般の国民の生き方やモノの考え方。

かってヨーロッパまで覇権、栄華を極めた歴史上最大の帝国、大モンゴル帝国。ホントに本当?人々の自覚や誇りはどこへいったのでしょう。壮大な歴史の重みや人々の心に受け継がれているはずのDNAの片鱗でも垣間見たかった。それを得られなかったらGちゃんの冒険旅行は単なるツアー観光旅行と一緒。ゴビ砂漠に行ったことがあるというだけの 単なる自己満足に終わってしまいそうな旅が残念でなりません。

「譲る」という言葉が無いのでしょう。。「我さき」は中国だけの専売特許と思ってたけれど、ここモンゴルも似たもの。車に限らず「どうぞ」「ありがとう」「すみません」という行動様式や言葉は社会生活では当たり前のことと思うのですがね。心の余裕の差。それが人々やその国の豊かさというものではないかと思います。Gちゃんがあれほど何回も通った中国と一緒、恐らくこの国にはもう一度来てみたいという気にはなれないのではないかと思います。

昨年あれほどイラ付いたロシアの道路。慣れとは不思議なものです。モンゴルからロシア側の道を走り始めて。もう天国みたい。行き届いた道路標識。道路案内板。Gちゃんが読めるようになったこともありますが やはり道路に対して掛けているオカネの量が違う。アツと言う間にウランウデに着きました。もう帰国の途、我慢することもない、ホテルで「寿司」喰って!お味噌汁飲んで!熱燗いただいて!ご機嫌なのに。今夜はモンゴルをハッキリとこき下ろしちゃったな。

本日のアップ写真は 道路を横切る羊の群れ。ラクダだったり牛だったり、たえずこういう光景に出くわします。

2014年2月12日水曜日

ウランバートルの休日



ゴビ砂漠よりウランバートルに昨夜遅く戻って 車もGちゃんもドロドロのクタクタ。ゴビ砂漠は今回の冒険旅行の最終目標地点、ここから遠路日本への道を目指すことになるのですが、とてもじゃないが続けてのドライブは可哀そうすぎます。パジェロも人もゆっくり休養、体制を整えなおすことに決めました。

ウランバートルラマダホテルは5☆だそうらしいです。セミスイートが1万円、現地では最高級。快適さの誘惑に負けて宿泊、中身はご機嫌、サービスも満点。昨日深夜に出した、砂でドロドロのズボンや上着は朝までにきれいに洗濯してくれてました。ありがとう。Gちゃんはゆっくりベッド。昼前からやおらホテルのサウナで、日本を出発して以来初めてのお風呂。ドッポリと肩まで浸かって。すっかり綺麗になってマッサージを1時間半。グーグーと寝てしまって気持ち良かったのかどうなのか、分からずじまいのリラックスタイムでした。すっかり元気になりました。

愛妻より大切な愛車パジェロ。もちろん洗車。車内も細かい赤い砂でガラスまで曇っている状態。。窓なんて開けていません、外気マイナス20度では開けることもできませんのでね。。もちろん外の汚れは言うに及ばず。物凄い量の砂漠の砂。ホテルの紹介で近所にある洗車場に持っていきました。シベリアと一緒、大きな体育館のような暖かく暖房した室内で洗います。外では水も即凍ってしまいますので洗車はどこでも室内です。水洗い2回、洗剤洗い2回、すすぎ1回、ワックス仕上げ2回、ふき取り。まぁなんて丁寧でやり過ぎ感のある洗車場、市内でも超高級の洗車場らしくって Gちゃんのボロパジェロは恥ずかしくて縮みあがっていました。(料金800円くらい。安う~!)

おもしろいので作業を横でずっと見ていました。横にモンゴルでは見たこともない珍しいベンツの白いセダン。大して汚れもしてないのに。。観察していますと従業員の取り扱いの態度が何かピリピリしてる。何さまの車?聞いてみますとモンゴルで有名な俳優の車とのこと。モンゴル人なら誰でも知ってるというからさぞかし有名な俳優なのでしょうか。ぬ?どの人?、、見れば待合室のデカいソファーにあぐらをかいて反りくり返っとる。これは面白い!

Gちゃんのパジェロ、過去の冒険旅行の到達地点の地名、年月日はペンキでボデーに書かれています。はじめてアラスカ北極海のデッドホースに行った時、日本からデッドホースに到達した最初の車として驚いた行政担当官がGちゃんに到達証明書を発行してやる、と言ってくれたのです。そんな紙切れなんて要らん、どうせならみんなに自慢できるようボデーに書いてくれ、ついでにアンタのサインもしておいてくれ、そう言って到達証明書を発行してもらったのが最初の経緯なのですが。。。

いいじゃんか!おもしろいじゃんか!ゴビ砂漠横断証明書。そんな全国民が知ってるような有名人発行の証明書なら見た人は吹き出すほどうれしがる!。。。誰も遠慮して近ずけないけどGちゃんには単なる若い兄ちゃん。えらい喜びましてね。。Gちゃんの持ってきた白ペンキのペンで。洗ってピカピカになったパジェロのドァにドえらいデカい字で。やめてくれ、そんなスペースを取ってしまったらこれから後の国々の人の書く場所が無くなるじゃんか!と言うのは後のまつり。従業員も全員面白がって集まって来て日本ならサンマかツルベイあたりなのでしょうか。有名人というのは何であんなクチャクチャのサインをするのか、おかげでGちゃんには名前すら分かりません。スマホで写真を撮って自分のプログに載せるそうです。面白くて痛快なのでしょうサンマ兄さんには。ごくろうはんでした。




明日2月13日早朝、日本への帰路に付きます。ウランバートルを後にしロシアを目指します。地理的最短距離は中国北京経由なのですが、中国政府のバカたれが未だに一切の外国人による車の持ち込み、運転は拒否しています。5日もあれば大連の港に行けるのですが。。時計の9時から始まって12時を回って4時位にあるウラジオストックまでグルリと来た道を半周して戻ります。反面、やれやれこれでロシアに帰れる、という安堵感もあります。決してモンゴルがどうのこうのというつもりはないのですが やはり車で移動している旅人には遥かにロシアの方が安心して走れるように思います。

ロシア語!あかん!!ジェ~ンじぇ~ん忘れてる!!この1週間、英語ばかりの毎日、ツケ刃のロシア語なんて、え~っと、え~っと、こんにちわって、どう言うんだったっけ?!げげげ、大ショック。ノイローゼになるほど毎日毎日必死に頑張ったはずのあの10か月は何だった?!あわてて持ってきた教科書を復唱して勉強してる情けないGちゃんです。

愛読ありがとうございました。これで長い旅も帰路に付くことになりました。安全に元気で家に戻ることが最高のお土産。2月28日夕刻我が家帰宅。日本行の最終フェリーに間に合わせたいと思っています。遠い道のりですが気を引き締め旅路を楽しみたいと願っています。


参りましたゴビ砂漠



よくぞガイドを付けてのゴビ砂漠でした。地の者でも夜は車で砂漠を絶対に走らないという、よそ者にとっては案内なしでは昼間でも走行は不可能でしょう。初めての砂漠走行経験でしたが地図に記載されている道路を走る今までとは全く違う砂漠走行、異次元の経験をしました。大海原を走るようなものです、道路標識はもちろん、目印になる遠くの山や景色もありません。方向が全く分からなくなります。現在時間と太陽の位置だけが頼りの運転になります。

地平線の彼方まで広がる砂漠、車は360度どの方向へでも走れます。今までラクダで通っていた砂漠を 遊牧民が車で走り始めたここわずか10年の間、みんな自分の都合や思惑で勝手気ままな方向にラクダと同じように車を走らせるということになります。例えばオアシスの村から次の目標のオアシスの村までの道でさえ一本ではないのです。オアシスから四方八方に向け車のワダチが広がっており、細い道では車が一台だけ通った形跡、広いのになれば道の幅が左右1キロくらい広く、無数の車が通ってガタガタになった道まで。要するにみんな走りやすい道を自分で勝手に走るという結果になります。知らずに走って間違いに気が付けばとんでもない方向に向かっている、ということです。

それと砂の走行。砂と言っても粉のような粒子。赤いメリケン粉と言うほうが分かりやすいと思います。雪と似ていますがハマり込むと重たくてとても脱出は難しくなります。今日も走行中 運転席側の前輪後輪が深い砂にハマり込み、左側前輪後輪ともに45度ほど宙に浮き そのまま激しいバウンドをしながら危うく横転という事態に遭ってしまいました。助手席のガイドがGちゃんの上に落ちてきたくらいですから横転しなくて済んだのは本当に幸運でした。

随所に雪の吹き溜まりのような細かい砂のデブリ、スピードは出せませんし、さりとて停まれば車は沈み込んで脱出できなくなります。横転したり動かなくなったらそれでおしまい、あちらこちらに放棄され捨てられたままの車の残骸、疲れ果てて死んだのだろうラクダや馬の骸骨、安易に人間が入り込む場所では無いのかもしれません。。♬月の砂漠をラクダに乗った王子さまとお姫さま♪ 幼いころの夢に憧れ、どんな素晴らしい所か、広大なゴビ砂漠の中でも最大と呼ばれている南ゴビ砂漠に挑戦しましたが。。。とんでもない。車を停めて写真を撮る余裕もないほど緊張を強いられる過酷な3日間でした。Gちゃんには砂漠走行なぞとんでもない、もうこれで充分という思い。パジェロもガタガタ、もう二度と砂漠は走らせてくれるなと言っているようです。

ガイドは一日日当50米ドル(5000円くらい)、宿泊、食事代はGちゃん負担。2泊3日の案内に同行してもらいましたが。。。ゴビを初めて走るにはそれしか方法は無い、と思います。モンゴル人でも初めてでは無理です。。。ただ国民的なモノの考え方の違いにガイド採用には理解は要るとは思います。助手席で昼間からビールは飲む、たえまなく彼女と長々と携帯、タバコは吸い放題、いくら言ってもシートベルトはしない、ホテルの部屋の冷蔵庫は飲み放題、、方や必死で運転してるGちゃん、オマエ、ちゃんと道を案内してからそこまでやれよ!って言いたくなることはしばしば。。

ただ現地を知った者でも道を間違うのは さもありなんという実感はします。もともとラクダや羊を放牧している遊牧民しか知らない砂漠、尾瀬や八ヶ岳のガイドを雇うのとは訳が違います。。南ゴビ州の県庁所在地ダランザドカドから首都のあるウランバートルまで、だれが考えても立派な一本道と考えると思います、県庁所在地から首都への道ですから。今日もこの道をウランバートルに向け帰って来ましたが。。そんな幹線道路でさえ もう何回も何回も助手席のガイド君は道をまちがってしまいました。幹線道路でさえそれほど難しいのです。本来は遊牧民だけの土地に 知恵も生活感覚も違う車社会の人間が安易に乗り入れる事すら間違っているのかも知れません。Gちゃんの甘い夢、縦横に広がった車の通った跡形、いろいろ考えさせられることも多くありました。

ウランバートルのホテルに戻ったのは夜も遅い10時半。昨日に続き モノを言うのも疲れ果てたGちゃんです。

2014年2月10日月曜日

ゴビ砂漠

南ゴビ砂漠 向うに見えるのは野生モンゴル馬の群れです


12時間、430㎞砂漠走行。モンゴルでも南の端の南ゴビ砂漠、中国の国境まで200㎞、北京まで800㎞。生まれて初めての本格的な砂漠走行。360度縦横に走れる砂漠、頼りになるのは磁石だけ。地元のガイドを付け走行しましたが それでも道を大きく間違えました。車のわだちが四方八方に入り乱れているからです。すっかり夜中になってホテルに戻って来ましたが とてもじゃないが土地勘のない者では夜間走行は不可能です。写真を撮る余裕なんて全くなし。一日中ハンドルを握りっぱなし、今夜はとりあえず寝かせていただきます。

2014年2月9日日曜日

ようこそゴビへ!




ウランバートルから南へ600㎞。標高は2000mくらい上がりますが気温もどんどん上がってマイナス10度前後。今まで彼方にあった山並みも見る間に地平線の彼方まで何もなし、モンゴル大平原の始まり。400㌔くらいまでは舗装道路、残りの200キロは地道。この地道がゴビの特徴。いよいよゴビ砂漠に突入。。でもヤクーツクへの道と同じくらい車には厳しい道。猛烈なデコボコと乾燥しきった砂の悪路。見る間にパジェロは砂まみれ。

ここはチンギスハーン生誕、かっての大帝国のど真ん中。その中を四方八方に勝手気ままに伸びている車のわだち。Gちゃんの今まで経験したこともない砂漠走行の始まり。スタック用(砂にうずもれた時の脱出用)にパジェロには密かにスッタクボードは積んで来たけど、とんでもありません、鳥取砂丘のイメージじゃ余りに発想がお粗末すぎます。さすが世界に名だたるゴビ。後半の200キロはクタクタに疲れ果てました。スリップするとか横転の危険はないけれど のんびり走ってたんでは永遠に目的地まで着きません。目印も何もない砂漠走行、夜の走行は方向が全く分からず自殺行為ということ。ギ~ギ~車が悲鳴を上げてもとにかく明るいうちに走らないと。。こんなに酷使してパジェロ、これからロシアを回って1万キロに近い帰路があるというのに。大丈夫かな、夢のゴビを走ってる喜びより 先のパジェロの心配をしているGちゃんでした。

ラクダってホントに居てるんだ!それも放牧してるじゃないですか。乗り物用だけじゃない、毛から皮から肉から乳まで全て放牧生活と密着しているらしい。所々に散見されるゲル(丸いお家)。500年前と何も変わらない生活。感動と言うより何か別の世界を傍観してる感じ。いろんな世界を覗いてきましたがこれほど自給自足の放牧の民をまじかに見るのは初めて。髪は一生洗わない、風呂も一生入ったことが無い、さすがにそういう人は少なくはなって来たけれど今でもそれに近い生活をしているそうです、昨日のホテルでのレクチャー通りでした。


そうか、変な小さい車に乗って、はるばるオマエはゴビまで、よくやるなぁ~。Gちゃんの車を覗きこむ遊牧民の生活力の迫力に圧倒されました。異文化と異文化との出会い、言葉は全く通じませんでしたが 年寄り同士、ハイタッチして別れた後姿がすがすがしいでした。


めったに日本では見られない冬の蜃気楼、逃げ水。気温はマイナス10度とは言え 高曇りの太陽に照らされ道路に蜃気楼。珍しいので必死に撮影。



現在地はウランバートルより南西620キロ、ダランザドガドというオアシスの町。結構大きな町。出来たてのホテル、快適!レストランの羊肉の焼肉、タレと一緒にご飯に掛けて。Gちゃんの大好きなニヤンコごはん。うまい!wifi設備もあってご機嫌。プログをアップし終えて ウイスキー ラッパ飲み。外へ出て見上げる星空、満天。手を伸ばせばつかめそう。ゆっくりと込みあげてきた満足感。涙。思えば遠い遠い道のりでした。


2014年2月8日土曜日

ゆっくり休養




いま日本ではソチオリンピック開催で持ちきりらしいですね。そうですか、ロシアでやっているんですか。ロシアはもちろん、ここモンゴルでもオリンピックの匂いを嗅いだこともない、ひょっとして日本と韓国と中国と、それにNHKだけが言ってるだけじゃないの?!やってるかどうか、怪しいなぁ~。

というわけでプログも開店休業でどうせ客も来ないだろう。Gちゃん一日ホテルで昼寝。写真の整理?掲載?やめて!面倒くさくなってきちゃった。さすがに夕方前に目が覚めてお腹も減って。町の中央にある大きな寺院へブラブラ。

つい先日 旧正月が終わったらしい。外はマイナス10度で随分あたたか。モンゴルはチベットの宗教と兄弟関係?良く似ています。写真撮ったけど、何てことなし、長野の善光寺さんを写したと言っても分からない。遠くに北アルプスの白峰も連なって。

じゃ明日からゴビ砂漠、行ってきます。腕ぐすね、でんぐり返るほどの夕日朝日、がんばって撮って来ますね。ラクダって本当に居てるのかなぁ。

晩御飯。美味しかったなぁ~ラマダホテルのレストラン。注文は「サンマ塩焼き定食」!ご飯とみそ汁とサンマ塩焼き。別に納豆と、メニューには無いけどオシンコを頼んで。ご飯は、「お坊ちゃま なりませぬ!」乳母が怒るかな~半分ずつに分け、味噌汁に入れて、残った半分にはお茶を掛けて。。。冷凍したのをこちらで焼くのか、焼いた冷凍をこちらで解凍するのか、これはイケル、そこいらの「松葉食堂」と殆ど変らない味!感動!故郷を離れて何千里、ここでこの時期にこの味。涙の出るほど感動、見てた賄いの松葉食堂の若い女の子が たどたどしい日本語で「よかったね~!」。いやいやホントに良かったよ!支払20000何とかかんとか。つり銭はみんなあんたにあげる。今までのどんな食事より美味しかったです。

2014年2月7日金曜日

ウランバートル


こんな格好で運転してもいいの~??


えらい所です ここは!ウランバートルの近くまではスンナリ。大変なのは町に入ってから。目的のラマダホテルまで。ベトナムやバンコクの町と一緒、バイクが車に変わっただけ、物凄いラッシュ。騒音騒音騒音。こりゃ何じゃ!車が進んでくれません。渋滞渋滞渋滞、割り込み割り込み割り込み。バックミラー見たら、大きな市バスがGちゃんのパジェロの後ろ1ミリの所で止めている。割り込まれないようにらしいけど。ぶつかったら知らんで、その1ミリ先のガソリンタンク、満杯でっせ!渋滞は殺人的というより狂気じみてます。

一日に市内でぶつかる事故が4~500件あるらしい。小さな事故でも必ず警察を呼んで 車はその場から絶対に動かさないんだって。オマエが悪い、オレは正しいのケンカの証拠保全なんだって。だからますます交通渋滞に拍車。まぁえらい所ですウランバートルは。。。こういう時、他の町なら並列で止まってる車からGちゃんに軽くホ~ン、向こうから笑顔で手を振っているなんてことが良くあるんだけど、とんでもない。ここの運転してる人、そんな余裕なし。赤昇竜だったか青昇竜だったか、あの相撲取りみたい、みんなこわい殺気立った顔して。ご幼少の頃から手厚く乳母に大事に大事に育てられたひ弱い内気なGちゃんなんて もう泣き出しそう、ガンガンと後ろからホ~ン鳴らされて突かれぱなし。

ゴビ砂漠。いろいろ調べてきました。デカい!!。。。ウラジオストック 2月26日出航の日本行き最終フェリー、そこから逆算、2月12日か13日にはウランバートルを出発しないと間に合いそうもなし。けっきょくゴビは4日か5日くらいの時間しか残されていないという勘定。これが許されたGちゃんのギリギリのスケジュール。

まぁ二度と来ることは無いだろうゴビ砂漠。いまGちゃんの目の前。問題はGちゃんの疲れ。さすがに応えました、国境の二日に渡る尋問。明日もう一泊ラマダに泊まることにしました。スイート一泊100US$、カネのない年金生活者のGちゃんだけどこれは値打ある。明日はゆっくり休養、撮った写真の整理や荷物整理に時間をつぶします。気が向いたらまたプログ、追加UPしてみます。。。。

このホテル、日本レストランあり、大発見。美味いかまずいか知りませんが、旅の出発のとき境港で刺身を食べたきり、あああ、あったら、熱~いお味噌汁が飲みたい!毎朝毎晩もうボルシチは、さすがに飽いてきた。

2014年2月6日木曜日

無罪放免!


考え出したらキリがないので考えないようにしましたが、やっぱり戻ってこないパスポート、どこでどう管理されているのやら。悶々と時間の過ぎるのを待つしかなかったGちゃんでしたが。ついに昨晩はパスポート届かずじまい。今朝も銀行が開くという朝10時になっても軟禁中の民宿のベッドで待っているだけ。いつになるかわからないのを ひたすら待つだけというのは苦痛です。様子も分からなくて待つのですから。



朝10時半、意を決しました。もう待ってられん。ヤツら昨日中って約束したじゃないか。取り調べを受けたビルは分かってる、直談判。いいかげんにせい。
私は日本人、英語のしゃべれる人を呼んでくれ。私のパスポートを返してくれ!穏やかな紳士の微笑で丁重に、もちろんベラベラのロシア語で。受付の警棒を腰に構えた女性の凛々しく美しいこと。軍服を着てるけど水着でも着せたらカッコいいだろうな。。。なんて不謹慎考えながら 昨日取り調べを受けた部屋へ。



結局それから3時間半。英語は誰も解せず、Gちゃんも一切ロシア語をしゃべらないということで あわてて途中から中学校の英語の先生だという女性が呼び出されてきて。はっきり言って日本の中学生並みの理解力。それでも無いよりマシの通訳。ゆっくりゆっくりのGちゃんの説明を理解してるのかしていないのか。その助けを得ながら。要するに係員4名がGちゃんの調書作り開始。「私はすべて読みました。内容は間違いありません」数10頁もあるロシア語の調書、できたのが昼の3時過ぎ。オマエら大の大人が4人がかりでこの書類作成4時間かかって?!余りにものろま過ぎませんか!?顔を真っ赤にして昼飯も食わず、それなりに必死に頑張ってるのは分かるけどね。

サインしたら、それも20個所くらい! やっとGちゃんのパスポートはGちゃんの手元に戻って来ました。バカじゃない、国境を通過するのにパスポートを忘れて来るテロリストがこの世の中に居るの??悪いことをする奴にそんなノロマ聞いたことない。アンタらね、常識というものがあるでしょ!



さすがに申し訳なかったのか、罪滅ぼしか、はたまた2日がかりでできた相互の暗黙の連帯か、二人が街の中心にある銀行へパスポート不携帯罰金430ルーブル(約1,300円)支払いに案内してくれ、そのまま国境のイミグレまで車で先行誘導。そこから先はモンゴルです、良い旅を。先導した車から降りてきたGちゃんの尋問責任者だった男、見れば普通の血も涙もある顔をしてるじゃないですか。閉まったままの国境ゲートで車停めて二人でしばし私談。名前も住所も初めて明かしました。お世話になったおかげに日本に帰ったら何か贈り物をと言うGちゃんの要望に素直にノートに住所名前を書いてくれました。2歳の息子も居るらしい。何やったんやアンタのあの氷のような仕事態度は。ホントはアンタも熱い血の流れてる人間やったんか。人生はつらいもんだね、みんなみんな自分が生きていくのに必死なんやね。



結局として分かったことはGちゃんの取り調べで今回8名の人間が動員されたということ。うち5名は尋問、取り調べ専門。仕事は昨日に全て終了。残り3名が2日がかり調書作成、報告担当の管理係りのようなものか。他に通訳女性ひとり。ごくろうはんでした。パスポート持ってなかったGちゃんも責任ある、ちゃんと1300円も!払いましたので勘弁ください。



その後 ロシア国境通過、モンゴル入国手続き。夕方4時半から全て終了するまで1時間半かかって6時。陽もまだ明るく時間も日本より1時間早い午後の6時。日本時間午後の7時。ロシアもモンゴルもイミグレは至って親切、友好的。ゲートを何個も何個も通過しながら。最後にモンゴルの車両保険のゲートを出たら突然そこはモンゴルの町の中!



おもしろそう!モンゴル!!
まず皆の顔がいい!!まるでDNAが一緒。山形の田舎っぺとそっくり。めっちゃ落ち着く顔立ち。道路標識がいい、全部英語併記。誰でもほとんど英語は最低片言しゃべる。オカネの価値?全然分かりません、国境の銀行で取りあえず両替した5万円、ゴムバンドで止めてデカい札束、ポケットにも収まりません。国境近くのスフバートルという町のホテルで支払ったお金は30000何とかかんとか。。単位、呼称も知りません。言われるままに30000何とかかんとか、、、とほほ、だれかこれ いかほどのものか教えて!!



心配かけました。申し訳ありません。なんとかモンゴルに入りました。直感、過ごしやすそうな雰囲気の国。みんな親しみやすく親切。あす1日遅れでウランバートルに入ります。いよいよ念願のゴビ砂漠です。帰る期日が決まってるのでのんびりはできませんが。楽しいお話をまた伝えたいと思います。





天国だった昨日の朝。早朝のきれいなハイウエイ、初めてビデオを撮りました。ロシアのウランウデからモンゴルの国境に向かっています。

2014年2月5日水曜日

大凶。最悪。

ウランウデはモンゴルに一番近い大都会ですが、そこからモンゴルとの国境の町キャフタまで300㎞あるのでしょうか。昨日ウランウデに到着したGちゃん、意気揚々と朝8時ウランウデのホテルを出発。迷うことなく一直線でロシア側の出国検問所キャフタまで3時間ほどのドライブ。
ロシア、モンゴルは友好国同士で陸路での車の行き来はパスポート一枚だけでOK。こりゃ楽だ、上手くいけば今日中にウランバートルまで行ってしまえる。折からの昇る朝日の美しいこと、天空が見たこともないピンク色に染まって。まるでGちゃんのすばらしい旅を祝福してるみたい。

天国はそこまで。前方に見えるキャフタのロシア側出国検問所。係員2名の誘導で車を停め、はいパスポート提示ください。。はいはい、パスポートね、、、ぬ?パスポートが無い?、、ぬぬぬ?どこへ行ったGちゃんのパスポート!!車中、カバンの中、何もかも全部調べてもパスポートが見つからないじゃありませんか。冗談じゃない、これは大変なこと、ただごとじゃありません、モンゴルどころの騒ぎじゃなくなる。

考えられるのは昨夜泊まったウランウデのブリヤーチャというホテル。チェックインの時 どんなホテルでもパスポートは提示、必ずコピーはホテルが保存する。昨夜遅くホテルに着いたGちゃん、早く食事に行きたいのもあったし ホテルの従業員の不手際もあった、要するにパスポートをホテルから返してもらわなかったわけ。預けたフロントのどこかに置いたまま。考えられるのはそれだけ。自信がある 泊まった「部屋」には「絶対」に置き忘れていない。。。以前酔っ払って帰れなくなって泊まった大阪駅近くのホテル、部屋に入れ歯を忘れてね。カッコ悪いからと愚妻にあくる日に取りに行ってもらったことがあった。それ以来ホテルの部屋を出る時は完全徹底チェックがGちゃんの信条。今回も部屋にパスポートを置き忘れてるなんて絶対にない。



ホテルに電話を入れてくれて、パスポートのあるのが確認できたら Gちゃんが取りに引き返して もう一度ここまで戻ってくれば良い話。あああ、それにしてもまたあの道を戻るんかいな!えらい時間をソンしたな~~。大チョンボやな~!。。。いえいえ、そうは問屋は卸してくれませんでした。車を向うの建物の下に停めろ、動かすな、オマエもそこで動くな!



しばらくしたらいかにも目つきの鋭い男2名、2台の車で。ここではなく別の場所へ移動するから付いて来い。そこで詳しい事情を聴くとのこと。
連れて行かれたのは下の写真の建物。結果的にはこれは入国や出国を扱う税関関連建物ではなく 国家安全保安を取り締まっている建物。聞くのも恐ろしいのでそこがどんな役所なのか正確にはGちゃんには分かっていません。取り調べが終わってから結果的に分かったことです。



入った部屋は大きな会議室くらい、机も椅子も十分2~30人は入れるでしょうか。中には係官とおぼしきが10名ほど。スタッフの人相態度を見て直感的にこれは大変なことに巻き込まれた印象。なまじっか中途半端なロシア語をしゃべってると誤解される恐れ十分にあり。もともと片言のGちゃんがロシア語で事情説明する必要もない、能力もない、ここは確実な英語以外は一切話さないことに。英語の出来る係官、「まぁまぁ」レベルが一人、片言がもう一人。その二人が通訳代わり。



まず調査開始は。Gちゃんの身上。住所氏名はもちろん。家族構成。子供の名前、勤務先、孫の数、年齢、収入、職歴、、学歴を徹底尋問。財布に入ってた米国のソーシャルセキュリテーカードまで。それと同時に別の調査員がGちゃんのパソコンの中身チェック。はたまた別の机では日記やノート、レシート、メモ、書類関係を徹底的にくまなく。持っているロシア語の教科書やノートもくまなく1ページずつチェックしてました、ロシア語の活用や文法が汚いGちゃんの字でぎっしり書いてあるだけなのですがね。



ホテルに電話してパスポートがあるかどうかチェックしてもらえば分かることじゃないか。というのはGちゃんの論理。彼らは危険人物をチェック取り締まることが立場の仕事。パスポートがあろうがなかろうが関係がないのです。明らかに入管の役人ではありません、手荷物検査は一切なし、狙っているのはデータ、書類ばかり。こうなればGちゃんが危険人間かどうか自己証明するしかない。事実を淡々と説明するしかありません。ですから麻薬とか銃器とか、車の中の荷物検査は一切ありません。



係官はGちゃんのしゃべったことは一字一句全部控えていました。そして一番大変だったのはパソコン。専門とおぼしきのがGちゃんのパソコンは全部チェックしました。。。もともとパソコンには人様に見てもらって恥ずかしいものは入っていません。Gちゃんもハイどうぞ、どこまでもお気に済むまま。驚いたのはSKYPE,フェースブック、ヤフーホットメール、それにGちゃんのイオネットのプロバイダーメール。このメールを全部ひとつずつ解読。ロシア語に変換して。



ご心配なく読者の皆さまの調査はされていません。。彼らはパソコンの文字変換をしてロシア語にシステムを変えてGちゃんのメールをひとつずつ読んでいるのですが。でも翻訳しても山田太郎という文字は山田太郎としか表示されません。問題はアルファベットで書かれた名前。これは隅から隅までGちゃんとの関係を。例えば marilyn マリリンと言いましてね、Gちゃんが中学時代から始めたボストンに住む文通のペンパルがいる、かれこれ50年以上も家族ぐるみの付き合いのある知人ですが。夫の名前、職業、家族構成その他その他。Gちゃんの供述を全部メモを取って、裏付けに別のパソコンで調べたりどこかに電話で問い合わせたり。いやはや事の自体の重大さを改めて知りました。



フェースブックはお手上げ。ご存知の人は分かると思いますが あれは気に入れば簡単に「お友だち」として登録してしまう。Gちゃんにももちろんお友だちリストに入ってるアルファベットの名前の人はたくさんいます。旅行家とか写真家とか冒険家。これが全部調査対象。Gちゃんとの関係。特に今回はヤクーツクに住む観光案内のプログを出している人の調査は厳しかった。どういう関係じゃ?!関係なんかおまっかいな、ロシアでは珍しい英語によるホームページ。ロシア語では難しいからそこからヤクーツクの情報をGちゃんは得てただけですわい。



いやはや、とんだ災難。長々と説明ごめんなさい。現在2月5日午後7時。(日本と同じ時間です)国境キャフタにある取り調べ建物の近くにある小さな民宿くらいのホテルに軟禁中です。係官に宿泊を指定されました。

係官がウランウデのホテルからGちゃんのパスポートを3時間、4時間かけてここまで持ってくるそうです。今日の7時か8時の到着ということになっています。それは結構なこと、Gちゃんがわざわざ戻らなくて済む。でも本当にそうなのかどうかGちゃんは内心では疑っています。一晩かけて内部調査続行ということもありえるかもしれません。今現在晩の8時になりました、まだ来ていません、待つしか方法はありません。

なおそれを受け取って解放!ではありません。明日の朝、10時に開く銀行を待って罰金(パスポート不携帯罪)500ルーブル 1600円くらい、収めて初めて解放されます。今いるホテルは動くなと言うことは軟禁と解釈しているのですが、どうせ行く先もなし、時間つぶしにプログを部屋で書いている次第です。


ホテルには係官3人の随行で5時頃チェックインしました。1000ルーブルの宿泊料はもちろんGちゃん負担です。

トラベルはトラブル。よく言ったものです。いやはや色んなことがあります よその国の旅行は。。彼らの言うとおりであれば明日の朝 罰金収めてウランバートルに向けスタート。約10時間のドライブでウランバートルに到着と言うことになります。。そう願ってます。なにはともあれパスポートを持ってなかったGちゃんの全責任。持ってさえいればこんなことにもならないで済んだし みんなみんな無駄な仕事をしなくてハピーだったのにね。大失敗でした。



なにせ相手は国家。Gちゃんも姑息な細工はしないようにします。もともと何もないんだから細工のしようもありません。また いったん今日のこのプログも掲載は後日にすることにしました。各国が国家機密とやらに神経質になっている昨今、現在もどこでどのような監視がされているか分かりません。ホテル横に停めてある車は完全にマークされている感じがします。疑り出したらキリがありません。どんなことでどうなるか分からない現在進行中のトラブル。安全確認できるまでは慎重運転です。。読者のみなさんのご了解をお願いします。このプログは本日はアップしません。心配かけます、ごめんなさい。



調査されシステム変換されてるパソコンを元に戻すの、大変。パソコン画面で読める文字は全部全部ロシア語。日本語でもパソコンはGちゃんには大変だというのに。。使ったら元通りに直しとけ、バカたれが!することないし暇だからひとつひとつ治していってるけど。少しずつハラが立ってきました。

2014年2月3日月曜日

今でしょ!



冬のシベリア、何が美しいといっても 大地に昇る太陽と夕日の荘厳さは格別です。深紅に燃える壮大な太陽を 太古の昔から人が神と敬っていた意味が良く分かります。この美しさはどんな写真家でも捕えきれないと思います。あの赤がどうしても表現できないのです。いつかもっと素晴らしい写真をと願っています。

アッという間の2週間、あっけなく終わってしまったヤクーツク。このまま一路東に走れば2月中旬までには我が家に帰れます。。昨年の今ごろ たたきのめされて一路東に走ったこの同じ道、悔し涙に泣いたあの挫折感が思い出されてなりません。と同時に 敗北したとはいえ何もかもをやり遂げた あの充実感が今のGちゃんには感じられないのです。これで良いのだろうか、異国の地をひとり走りながらこのまま帰ることに悩み考えるヤクーツクからの帰途でした。

そんなGちゃん、愚妻や孫のホノちゃん、家族とSKYPEをしました。ささやかながらGちゃんの楽しみです。
「それほど行きたいのなら行って来たら。今しか無いでしょ!!」「そのかわり 元気で帰って来てね」
こらえていた涙が止まりません。苦労ばかりかけ 何ひとつしてやれなかった妻。子供や家族の幸せのため老いていった愛妻。画面の向こうからじっとこちらを見ていました。素晴らしい我が家族。ふだんは全く気も付かなかった当たり前と思ってたどこの家庭にもあるささやかな幸せ。その当たり前のことがいかに幸せなことなのかつくずく分かった気がします。

突然ですが、決めました。ちょっとだけまた寄り道させてもらいます。
昨年 バイカル湖への道、途中通ったウランウデ、そこから南へモンゴルのウランバートルまで600㎞。その先はあのゴビ砂漠。月の砂漠をラクダに乗って小さな王子さまとお姫さま。子供のころ思い描いたあの夢のゴビ砂漠はGちゃんの目の前にあります。せっかくここまで来たのに、行くしかないでしょ、今でしょ!!

モンゴルはビザは?ロシア再入国はできるの?右側通行、それとも左側通行?英語かロシア語は通じるの?電気は何ボルト?朝青竜か白鵬くらいしか何も知らないGちゃん、知っているのはあのゴビ砂漠があるというだけ。知らないことばかり。。。こんな所でじっとしてたらアカン、即 大都会のチタへ移動。今年はすっかり雪のないチタへの道、あの地獄のような昨年がウソのよう。ノンストップ948㎞ 12時間かかってやって来ました。ウランウデまであと一日の行程。ここなら情報は集まる。ここ一番 なにかやる時のGちゃんの集中力は天下一品。何をやらせても、早い!

ゴビ砂漠で月の王子さまを見てきます。問題点も課題もなにも知らないGちゃん。申し訳ありませんがプログはチョットだけ休まさせていただきます。2月23日までにウラジオストックにたどり着かないと日本へ帰るフェリーがなくなります。モンゴルに行くにしては時間がありません、プログどころでなくなっちゃいました。モンゴル人民共和国、ゴビ砂漠を走るのに命までくれとは言わんでしょう、ダメならあっさり引き返してきます。とんでもない極楽トンボ、ここまで来ても夢は果てません。
またの元気なプログ再会をGちゃんが一番心待ちしております。みなさま お元気で。


2014年2月2日日曜日

なんのための?

1000㎞余り続くヤクーツクへの道は 想像はしていましたがやはり物凄い道でした。暖冬とはいえ猛烈な寒さと悪路の連続、気の休める一瞬もない往復。戻って来て幹線道路に入りますと道路が天国みたい。昨年あれほど悪態をついたロシアの道路、立派なもんじゃない、文句言うほうがおかしい。それほどヤクーツクへの道は大変なものでした。Gちゃん良く頑張ったと思います。この歳でこの車、おそらく日本ではGちゃん只一人、大したもんや!ひとりほくそ笑んでもいたのです,が。。。。

ヤクーツクからの悪戦苦闘の帰路。途中で向うからエッチらオッチラ、自転車に乗る三人組に出会いました。どう見ても地元住人じゃない、サイクリスト?にしても、このこの時期に?日中でもマイナス40度近い気温、道路はツルツルの氷、自転車が走れるの?なんで自転車??。。。すぐにUターンして事情を聞きに行きました。

三人とも大学生、もうすでに10日間、野宿をしながらヤクーツクを目指しているという。そう言えばシラフやテント用のマットも背負ってる。夜間マイナス50度に耐えながらヤクーツクまで自転車で?どう考えてもあと20日は掛かる。どんな装備、どんな計画、どんな準備、そしてアンタらは何者?、、聞きたいことは山ほどあるけれど、それよりも何よりも、なんのための自転車なんやねん?!死んでしまうぞ。

お互いに時間が惜しい、それなりに壮絶な戦いの真っ最中、30分程度しか話せませんでしたが、、、アドレス交換であとはまた情報交換はすることになっていますが、、、「なんで自転車なんやねん?!」への異口同音の三人の答え。チャレンジマイセルフ。自分への挑戦。誰の為でもない、自分自身のために挑戦しているのです。元気に満ちあふれ輝くような目をした若者たちの 素晴らしい答えが印象的でした。

世界を旅していますとこういう若者に良く出会います。そして共通しているのは誰も知らない無名の普通の人ばかりということ。Gちゃんが初めて北極海まで走った時には、同じカナダホワイトホースからイヌビックまで、あの距離を、あの季節に、車でなく、歩いて挑戦している人が居ました。マスコミが伝える有名人だけじゃない、誰も知らないだけ、この世の中には物凄いことに挑戦してる もっと凄い人がたくさん居る。世界は広い。

自分の吸う酸素ボンベをポーターに運ばせて頂上に連れて行ってもらって、下山はヘリでカトマンズまで 仲間を残して一足先にハイさようなら、それで80歳世界記録て言うんかよ?!大名登山の三浦雄一郎さんを内心バカにしてたGちゃんでしたが この学生との出会い、アタマの芯をハンマーで殴られたほど自分自身が恥ずかしくなりました。

暖かい車の中、コーヒー飲みながらタバコくわえて、厳冬期のヤクーツク挑戦?走破?完走?、、、いったいそれがあんさん なんぼのもんですんや?!バカにしてる三浦はんと変わりませんやないか。車なら、カネを使ったらだれでも行けまっせ。。。いやぁ~勉強させてもらえました、若者に。こんなことくらいで有頂天になってたら これから先の道を間違える。

人は弱いものです。また同時に人は強いものです。たえず自分自身を見つめ対峙しながら、見果てぬ自分の夢を追い求めていきたいと思います。
たとえ失敗してもいい、行けなくてもいい、きっとこの若者たちも何かを得てまた故郷に帰って行くのでしょう、多幸と健康を祈ります。




追記;4月22日 東シベリア海(北極海)にあるチェルスキーという村に到達したとの連絡が入りました。ヤクーツクから更に2千キロ以上の距離、シベリアの北の端まで自転車で走ったことになります。

極寒のこの季節、世界には想像を絶する物凄い若者が居る。驚嘆に値します。
その経験はこれからの長い人生で必ず生きて来るでしょう。おめでとう。心からの祝福と豊かな人生を祈りたいと思います。



2014年2月1日土曜日

さようなら ヤクーツク


寒いヤクーツクから南1100㎞、2日かけて帰って来ましたスコヴォロジノ。ここはシベリアの交通のカナメ。北へ行けばヤクーツク、東へ行けばウラジオストック、西へ行けばウランウデからバイカル湖。この幹線道路に出たとたん まるで別世界。今まであれほど文句を言ってた国道が天国みたい、パジェロもエンジン音だけ、耳がシ~ンとなるほど静かな走行となりました。やれやれ これでヤクーツクへの旅は全て終わりました。済んでみればアッと言う間の旅でした。

さすがに暖かい。完全防寒姿の運転では首から汗が流れます。日中でマイナス30度を割ってマイナス29度でした。今夜は冷えてマイナス35度くらいでしょうか、マイナス30度台なら もう自信持ってパジェロさまは明日朝は絶対にエンジン一発で掛かって下さいます。




今日はうっかり事故を起こしちゃいました。

本日走行650キロ、10時間の運転。好みでレースしているわけじゃないけれど飛ばさないと到着が夜中になってしまう。

。。イカンのです、昔からGちゃんの悪いクセ、高速でカーブを曲がる時 アウトインアウトが極端すぎる。コーナーぎりぎりを走るわけですが、特にスリップしやすい雪道や凍結道はハンドルは極力切ってはダメ、スリップしてもハンドルは切らない、スリップに任せておく、
勝手に車の惰性で元の道に戻るという理屈ですが。。。まぁ分かりやすい話、車を運転してるんじゃなく滑ってるようなものです。

。。コーナーをギリギリ通過しすぎて大きく左右にスリップ、本能的にアクセルを吹かせたのがこれまた裏目。道路はしの除雪された雪の山の上を走ってるじゃありませんか。もうそうなればダメ。雪の山に突っ込んで行くだけ。ガガガガ~ガッシャ~ン。

運転席から外へ出られないほどの雪の中。もちろんパジェロは前にも後ろにもニッチもサッチも。助手席から苦労して外へ脱出して。あああ、やっちゃったわい。
良くあるのですGちゃん、この路肩落ち。上げるのは簡単、誰かに引っ張ってもらえばいい。軽いもんですパジェロなんて。大変なのです、衝撃で散乱してる車内の荷物の跡かたずけが。

どうしようかな?って考えてる間もなく運よく3~4台も次々と止まってくれて。みんな笑ってる、Gちゃんも笑ってる。「おまえロープ持ってるか?」。「ロープ」というのはロシア語教室で教えてもらってなかったけど直感で分かった。「もちろんよ!物凄い大きい良いのを持ってるんや!」「ほな、見せてみ~!」

アツという間、引き上げてくれて。礼を言わないといけないし、なにか羊羹の残り物でもやろうかな、なんて考える暇もなく、「じゃ、気を付けてな!」サ~って去っていくじゃありませんか。え~?人を助けて 終わったらサッサと去って行く?、、、う~ん、カッコいい!!あのさり気なさがクールでカッコ良いじゃないですか。よし、次にGちゃんも誰か助けた時 そうしょっと!カッコ良すぎるな~。

おかげでパジェロ、かわいそうに写真の通り。走行には別条がないけれど、ダサいし実にカッコ悪いなぁ~!割れた破片をガムテープで止めるわけにもいかんし、このまま田舎者の爺さんみたいに走ってるのも Gちゃんのプライドが許さんしなぁ~。




これは走行中の運転席。

「1月29日(朝)8時16分 車内温度プラス12.5℃ 外気温マイナス49.9℃」と読めます。

速度60㌔で走行、外は真っ暗というのも分かっていただけると思います。

ちなみにイエローハットで買ったこの1200円の温度計、測定限界はマイナス50度まで。ヤクーツク行き帰りではぴったり50で動かなくなりました。

2014年1月31日金曜日

ありがとう ヤクーツク



またひとつ夢を叶えてくれたヤクーツクを後にしました。まだ真っ暗な朝の9時の出発で一路南に向かっています。今回の目的は地球上で一番寒い町と呼ばれてるヤクーツク訪問と相棒パジェロジュニアの極寒対策の成果確認でした。マイナス30度台とマイナス40度台では車の性能や運転も大きく変わるようです。身を持って体験でき満足しています。特にマイナス50度での走行はGちゃん自身の良い思い出にもなりました。

凍りついた想像を絶する物凄い道を走らないといけないのですが 今回も相棒三菱パジェロジュニアの活躍があったおかげとつくずく感心しています。Gちゃんの車と比較したらトヨタランドクルーザーなんてバスのように大きく見えるのですが、たった1100ccのエンジンというのに全く遜色なく走行しました。コブシくらいの石を敷き詰めたツルツルのデコボコ砂利道を時速90~100㎞で飛ばすのですから 車は悲鳴を上げ バラバラになるのじゃないかと思えるほどの振動やバウンドをこなしながら走ります。あの馬鹿でかい3000ccもあるランクルですが 小回りが利かないのです。大男アタマに知恵が回りかね。。悪路に弱いのです、エリートは。

さすが過去のラリーで大きな成績を残している三菱自動車、つくずくその強さの意味が体験できました。車買うなら三菱自動車。一銭ももらってませんがね、すばらしいエンジンと性能です。。。。のんびり走ったらいい?!そうはいかないのです。次の宿のある村に行きつかないのです。ちなみに本日8時間ノンストップ539㎞走行。もうGちゃん完全にラリードライバーの領域です。


あまりにあっけないヤクーツク到着でしたので 昨年のバイカル湖のような涙するほどの感激はありません。そんな極寒の地に20万人の人が住んでいること自体 信じられませんが 金、石油産出地らしく 将来はここから日本までパイプラインを引く計画もあるようです。今は信じられないような道を走り 文字通りシベリアのど真ん中まで苦労して辿り着いたわけですが Gちゃんの孫の孫くらいの時にはハイウエーでもできているのでしょうか。


もう少し今日の報告をしようと思ってたのですが。。。いけません。タバコのマッチを貰ったホテルの隣の部屋の客にお礼を兼ねて Gちゃんの持ってるバーボンウイスキー一杯くらい差し上げないと。。運のつき。まぁ部屋に入れ、まぁこれ食え。挙句は家族の話から仕事の話、Gちゃんの片言がめっちゃ面白く聞こえるらしい、大笑い。。終いには男二人に押さえつけられ、俺のウオッカを飲め!これがロシアの風習じゃ!
いやぁ、人懐っこくて実に陽気。おまけにこんな荒っぽい親切の押し売り。楽しい愉快な酒、久しぶりに酔っ払いました。

ま夜中の4時まで


東京の青山先生、群馬の竹岡さん、その他のみなさん、貴重なアドバイスありがとうございました。やっとこれで写真は掲載できるようになったようです。



グーグルは何回もこういうトラブルを起こしているようです。「考え過ぎのバカ」と言います。浮世の生活を知らない技術のマニア専門家集団が 考え考えた「便利なはずの技術」が 結局は使い勝手の悪い製品に仕上げていることを言います。こういう使い勝手の不便さや難しさが 結局はGちゃんのような一般素人のパソコン離れにつながっていくのではないでしょうか。それに比べて電子レンジやテレビ、誰が使っても簡単、家電会社の努力は大したものだと感心します。

さぁこれから寝ます。起きたら600㌔ほどのドライブが控えていますので もう一日ゆっくり寝たほうが良いかどうか、迷っています。無理して走って事故ったら 最悪だもんね。歳とって すっかり臆病慎重になってきたGちゃんです。


追記;どうもまだ治ってないようです。写真をクリックしたら「拡大」できるはずなのに。。。
また突然プログの掲載がアウトという事態になったらごめんなさい、、、それが困るんだよな、突然の更新ストップが。読者は誰だって心配するもんね。 

2014年1月30日木曜日

休日





一日ゆっくり休日、骨休めの一日です。暇つぶしにヤクーツク雑感をどうぞ。

人種;人口20万人の大都市です。8割はヤクート人、つまりモンゴル系。道行く人は朝青竜や白鵬と同類項で非常に親近感がわきます。性格も恥ずかしがり屋みたい、英語で話しかけたらメッチャ恥ずかしそうにして ごめんなさいごめんなさいとGちゃんに謝る。はにかみ屋なんですかね。お昼にYAMAMOTOという寿司屋に入ったんですが、客いっぱい。まるで青森か山形の田舎の農協のおばちゃんの集まりか?という雰囲気。そんな顔してロシア語をしゃべるのでGちゃんにはなにか変な感じ。ちなみに寿司は喰えたもんじゃなかった。

ホテル;ピンからキリまでいくらでもありそうです。ただしGちゃんの苦労したのがガレージ付きホテル。屋外駐車場のあるホテルはいくらでもありますが「屋内」というのは絶無。マイナス40~50度、お客さんは一晩中エンジンをかけっぱなしにして夜を過ごしています。Gちゃんは朝のエンジン始動には自信がありましたし 別に新品のバッテリーも予備で持っていましたがね、ここまで来てくれてそんな可哀そうなことパジェロさんにさせられません。かわいそうじゃないですか。ガレージ付きは「北極星」という市内最高ホテルのみ、無理して泊まったのはそういう理由からです。ガレージ料金、な、なんと一日1000ルーブル、二日泊めて約6600円!ちょっとした青空駐車場の一か月分料金。どうりでパジェロ以外にもう2台だけの駐車。ま、もっともシャツ一枚で作業の出来る暖かさでしたが。

朝エンジン掛からなかったら。。昨日の朝 ガスバーナーでボデーの下からローストチキンみたいにオイルパンを焼いているのを見ました。信じられませんが、ガソリンに引火したらどうするんだろう、とてもとてもGちゃんにはそんなことする発想もありません。そう言えば道路脇の車の下で焚き火をしているのも良く見かけます。普通の一般家庭ではガレージを締め切って電気ストーブを一晩点けっぱなしにしているようです。石油バーナー送風機とでも呼ぶのでしょうか、一晩燃やしている家庭もあるみたいです。。。もったいないし、無駄なこと。アメリカやカナダみたいなバッテリーヒーターやオイルヒーター、つまり電気毛布方式になぜしないんだろう、訳はわかりません。

そして寒さ。本日はやや暖かく昼間でマイナス41度でした。でも写真撮影はものの5分程度しかできません。完全装備をしていますので寒さは感じないのですが シャッターを押す指がむき出し、見ている間に指先が真っ白に凍傷になってしまいます。こんな時に火事でも起きたらどう放水するんだろう、低温すぎて信じられないことが起きます。。まず自分の出す息。日本でも寒い時にハァ~って白い息が出ますがすぐに空気中に消えてしまいますよね、もちろんここヤクーツクでも白い息は出るのですが、、空気中で一瞬に凍ってしまいますので、白い息は消えない、ゆらゆら空気中を漂っています。息がしかり、車の排気で出る水蒸気がしかり、家庭から出る生活上の水蒸気等々、、チリも積もれば山、風のない日なんか昼間で視界10㍍とか5㍍とか、市内が全部濃霧に覆われたようになっています。危なくて車も自転車以下のスピード、日本なら恐らく通行禁止になることでしょう。。。。ああ、あの北京や上海の光景とも似ています。もちろん空気はきれいで臭いも何もしませんがね。


2014年1月29日水曜日

グーグルってボケ??

最近 他のユーザーがあなた(Gちゃん)のパスワードを使っていつもと違う場所からGoogleプログのアカウント(0228com@gmail.com)にログインしようとしました。
Google では、このアカウントへのアクセスが不正使用のおそれがあるため、このログインをブロックしました。ログインの詳細について、以下の情報をご確認ください:
場所: Tsentralnyy rayon, Yakutsk, Sakha, Russia グーグルアカウントチーム 今後ともよろしく。


馬鹿じゃねいのかグーグル。旅行してたら転々とアクセス地点の変わるのは当たり前!こういうのを 親切の押し売り、考え過ぎのバカって言うんです。どこの誰がこんなつまらないプログに不正ログインするというのか。あほらしくてお話になりません。みんなで楽しく愉快にプログを書いたり読んだり簡単に、そんな本来の目的にもっとアナタのエネルギーを使ってください。ねぇ天下のグーグルさん。

今日1月29日(月)夕方にヤクーツクに到着。さすがに寒いです。外気は摂氏マイナス55度。やっと実感しました 何故みんなマッチでタバコに火を点けてるのか。馴染みの100円ライターでは全く点火しません。にゃるほど!

街中が霧かスモッグに覆われたようになっています。前を走る車は昼というのに赤いテールランプしか見えません。視界は10㍍くらいでしょうか。排気ガスに含まれる水蒸気が一瞬に凍って街全体を覆い尽くしています。人の吐く息も空気中を白く漂っているのが見えます。5分も外を歩けばまつ毛もヒゲも 吐く息で真っ白けのかたまり。ここでジョッキングでもしたらどうなっちゃうんだろう。生のマンモスが見つかったというのも納得。北緯は遥かにアラスカの方が高いけど ここの寒さはホンモノ。キャイ~ン!世界一というのも良く分かりました。

2014年1月27日月曜日

いよいよ本番




スコボロジーノという町まで来ました。ここはヤクーツクへ行く分岐点。ここまでの道は昨年と一緒。ヤクーツクへはここから北に分かれて1056㌔の道のりにあります。いよいよ本番を迎えました。

昨年と比べたら雪が少ないのと暖冬。今年はどうなってるんでしょう。ここまで来れば行くしかありません。一日中降雪、気温マイナス25度、雪が止めば寒くなって来るのでしょうか、まだ、出てる顔が痛いという感覚ではありません。

ヤクーツクへはかなりハードな二日間のドライブになりそうです。ダートな道は運転が楽だから降雪は歓迎。ガソリンは満タン、予備タンクも満タン、合計90ℓ、これで900㌔は走れる計算。いよいよ本番、なんとかなるのでしょう。到着を楽しみにお待ちください。

2014年1月26日日曜日

ベロゴルスク

ハバロフスクから西へ9時間のドライブ、680㌔走ってベロゴルスクという人口6万人くらいの田舎町に日の高いうちに着きました。泊まるホテルなんてどこでもいい。暗くなる前にホテルのありそうな沿線の適当な町で探すだけ。ベロゴルスク、尋ねる町の人はみんな親切。Gちゃんの車に顔を突っ込んでホテルの場所をナビ設定してくれました。なんなく到着。おまけに時差1時間の得、日本より1時間早いだけの時刻になりました。

ホテルの門を通って、ぬぬぬ??、こんなこともあるんや!ここ泊まったことある!昨年の記録を見たら、苦労して苦労して夜中の9時ごろやっとたどり着いて。。。フロントのおばさんまで一緒の人、覚えてくれてて。ああカッコ悪るぅ~、昨年は疲れ果てて目がげっそり、頬もこけ落ちてたGちゃんだったらしい。おばさんの言ってることが一切分からず、一度は宿泊を断られたこのホテル。マイナス30度の真夜中、これからどこへ行けと言うんじゃ。ゼスチャと必死だけで何とか泊めてもらったホテル。こんな偶然もあるんですね。

チェックインは、今年は自信と余裕、おかげさまでGちゃんもすっかり進化しました、おばさんの言ってることがよく分かる。「私はあなたをおぼえています」なんて、おばさん Gちゃんの教科書通り読んでるんかい?!年寄り婆さん仲間も集まってきてワイワイガヤガヤ。ババア相手でも しゃべれるって素晴らしい!

部屋は喫煙可の部屋に当てがってもらって、〆て代金一泊1000ルーブル、約3300円。なんでやねん、去年は2300ルーブル払ったと日記に書いてある。ロシア語のしゃべれない分1000ルーブル、上乗せしたな、汚いやっちゃお前らは。

本日早朝ハバロフスク、気温やっとマイナス25度。日中でマイナス20度。チョットは寒くなって来たようです。町へ出て夕食も今までみたいな服装ではいけません、凍てつく寒さ。明後日あたりから本格寒波みたい。いよいよシベリアのど真ん中、極寒地への突入となります。

すみません。写真掲載、どうしてもできません。設定がおかしいみたい。治ったら固めてドサァと載せます。

2014年1月25日土曜日

暖かすぎますハバロフスクも

ゆっくり、のんびりハバロフスクまで8時間のドライブ。気温は早朝でマイナス15度が最低、日中はせいぜいマイナス10度。今年は異常気象でしょうか。アラスカのヘインズジャンクションでもそうらしい、普段はマイナス30や35はあってもよいアラスカのお寒いお寒い場所。いったいどうなってるんでしょう地球温暖化。道路は山越えで一部雪道があっただけ、ほとんど完全除雪の快適な道。来週か再来週か、たっぷり貯金してある寒気、まとめてドサァって来てくれるんでしょうか。

マイナス50度に対応できるように布団蒸しにしたGちゃんの車、おかげでオーバヒート寸前。ラジエーター通気口、ついに一部開口。Gちゃんは一枚脱ぎ、一枚脱ぎ、フリース一枚姿。その格好で外へ出てガソリン給油しても。。完全装備でガソリン入れてた昨年と比べたらえらい違いの今年です。ホテルのパーキング場に停めて一夜のボロパジェロ、用意してきた防寒用の寝間着も一回も使う機会なし、それでも軽る~く一発始動の早朝でした。

ロシア語のお勉強。中年から年配のご婦人が「先生」に最適と言うこと発見。みんな優しく微笑みながら 発音や言い回しまでていねいに。Gちゃん わざとトンチンカンを答えたら うれしんだろう、大はしゃぎ。その点 若い娘はGちゃんを最初からバカにしくさって相手にもしてくれない。あかん、教育がなってないなぁ最近のロシアは。。

プログへの写真添付。昨年も旅行中に発生。今年もどういうわけか添付できなくなっちゃった。またもネットのプロ、青山さんに聞くのもカッコわるい、昨年のご指南メールを探し出して、なんとしても載せないと 下手な文章だけのプログなんて読者離れも時間の問題。


追記:①ヤフーニュース読んでたら。やめてよ従業員の農薬混入だって?!それはないやろ、どこかの未開国みたいな。Gちゃんまで恥ずかしい。

追記:②好きなウイスキー飲みながら明日の準備してたら。。掛かって来るはずもないホテルの部屋の電話。「ブイ ルービッチェ クラスヌヤ イ マラドーヤ ジエーンシナ?!」。翻訳するのもためらう内容。止めてや!ここは3か4☆の由緒あるホテルと違うんかい。Gちゃん、只今、厳しい修行僧の身、そりゃ歳を取ったとはいえ嫌いやおまへんけど。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。

2014年1月24日金曜日

楽しい初日 

ウラジオツトックからハバロフスクまで。ゆっくり2日間の行程。出発時は視界30mくらいか、猛烈な濃霧。こんなこともあるんや。どうりで暖かいはず、一日中マイナス10度前後。雪が無くって残念だけど、何があってもなくっても。とりあえずはハバロフスクまではとエンジン始動。

昨年出発初日にガス欠のGちゃんに 天使のように迎えてくれたガソリンスタンドの爺さん どうしてもお礼が言いたくて。Gちゃんは河内弁、爺さんはロシア語、延々としゃべりあって抱擁して別れた恩人。お礼の土産は小倉屋の羊羹、入れ歯の年寄りにも食べやすかろうと。あの爺さんどうしとるかな。。。あっちだったかな、こっちの方面だったかな、ウラジオストックから20キロくらいの内陸部。訪ね訪ねて探したのですが。一期一会とは良く言ったものです。一瞬の出会いを大切にしないといけません。。寂しいけどついに会えなく諦めました。。。同じような年恰好、同じようなガンコそうで冗談好き、爺さんアンタもそう長くないやろ、あの世でまたタバコもくもく楽しいバカ話やりましょう。会えなくて本当に残念でした。

走ってたら、Gちゃんはやはり根からドライブが好きみたい。雪は無いし暖かすぎて昨日は腐ってたんだけど。走り始めたら。。。ドライブというよりも、走る景色が去年とまるで別世界。まず!道路標識が、看板が、広告板が、、、読めるやおまへんか!何や、車の修理屋なんてあっちもこっちも、ホテルもレストランもスーパーも!前を見ながら運転するというより景色を読みながら運転してるありさま。。。

会話も、自分で言うのおかしいけど、捨てたものじゃない。昼飯も、ガソリンスタンドも、道を聞くのも。回りは全部 ネイテブのロシア人。言ってみれば全員がGちゃんの会話の先生。同じならと、女性ばかり選んで話しかけるんですがね。どの先生も格別の笑顔でニッコリ。それにみんなめっちゃ親切。。がはは、手当たり次第 Gちゃん連発「カク パルスキー?」、「ロシア語でどう言いまんねん?」。。。そりゃそうです、「おっちゃん ガソリン満タンにしてんか!」なんてロシア語教室では教えてくれない。。。ホテルのフロント、「宿泊」という単語知らんかったら「疲れた~!今夜一晩ここで休みたい」と言えばバッチリ通じる。イヤ~当たり前のことですが、意思疎通のできるのってメッチャおもしろい!。。。ロシア語教室のある木曜の夜は、アタマ興奮、うなされて朝まで眠れないじまいだった10か月間。ほとんどノイローゼ気味を頑張って 良かった。去年と比べたら天と地の差、全然違う余裕と景色。いや~こいつはまた違った楽しい旅になりそう。





2014年1月23日木曜日

↓ パジェロ ゲット ↓

「パジェロ ゲット!」  確かこのタイトル、去年も使ったことあったよな。あの時は何もかも初めてのロシア、不安と不慣れの中でやっと手に入れたパジェロとのご面会、喜び勇んで使ったタイトル、Gちゃんも新鮮だったんだなぁ。良かったなぁ。なつかしいなぁ。

あきまへん。今年は全然気合が入ってない。緊張感に欠けすぎてます。本日昼前に税関からパジェロ受け取って、そのままホテルに帰って昼寝。今か今かと応援してくれてる皆にプログでいち早く報告もしないといけないのに。書くこともない、書く気にもなれないのが本音の今のGちゃん。ごめんなさい。

気合抜け。ウラジオストックに着いて直ぐに感じた。暖かすぎる。昨年あれほど積もってたガチガチの雪なんてどこにもなし。聞けば昨年末に寒かっただけで先週あたりから春のポカポカ陽気、悪いことに50年ぶりという暖冬。本日の気温なんて実にマイナスのたったの7度。雪のない道をスタッドレスタイヤ履いて俺ははるばるロシアまで何しに来た?!がっくり拍子抜けたぁ~このことだよなぁ。

厚手の下着上下にユニクロのヒートテック下着重ね着、純毛のシャツにフリースのジャンパー。汗だく。何言うてまんねん、車の中にはその倍以上の防寒具が今や遅しと待っているというのに。。目指すヤクーツク、本日マイナス35度。まぁこんなことで終わってはくれないでしょうがね、それにしても。いやはや。

何を隠そう、プログに実証写真を載せたくてね。マイナス60度まで計測できる大きな温度計まで密かに準備してきた。世界一寒い場所へ行くのに、同じなら自分の一生で一番寒い体験を誰だって経験したいじゃありませんか。。。イヤな予感、あかん、今年は。Gちゃん このまま帰りたいよ。

明日とりあえず、は出発します。走ってみないと分からない。ハバロフスクまでは行くつもりです。ただし雪のないドライブ旅行記、書くGちゃん面白くもないのに読んでる人って なおさら。
人生、思い描いたようには 事は進んでくれんもんですね。溜息ばかりのGちゃんです。

2014年1月21日火曜日

ウラジオストック!

やっと着きましたウラジオストック。韓国東海の港を出港して丸27時間の航海。例によって例の通り、Gちゃんは税関を通過した最後の乗客、着岸後 船で3時間ほど待たされた勘定になります。

やっとこさの入管を出た待合室。うれしいじゃありませんか、ユーリーとスベトラーナちゃんが待っている。1年ぶりの再会。熱烈抱擁、かたい握手。。。。昨年別れる時彼らに宣言してた、今度会うときはGちゃん ロシア語を絶対にしゃべるようになってるからな!てね。自分のことながら うれしいじゃありませんか、前のGちゃんと違うんやで今のGちゃんは!!

疲れているだろうからとホテルに直行、チェックインして晩御飯たべて只今現地時間夜の9時、日本時間夜の7時、部屋に入ってまず一番に愛妻にネット電話。荷物もほどいて冷えたビールとウイスキー、いや~長いこと掛かって着きました シベリアの入り口に。


東海からウラジオストックまでのフェリー。DBS境港のタチアナ嬢、もうアンタ どれだけサービスしてくれるんや。Gちゃん、3等客室でオカネ払ってるはずなのに今回は3階級特進のジュニアスイート独り占め。大きな部屋、うちの家よりデカいテレビ、ベッド2つに数多くのアメニテー。もうこの上といえばこの船には特別室しかないはず。乗船してから受付に聞きに行きましたよ、ホンマにホンマ 宜しいんでっか?!べッドがひとつ空いている、若いお嬢さんならGちゃん 相部屋は全然構いませんってね。

驚き、びっくりの第二弾。東海から昨年はほとんど全員乗客はロシア人、ところがどっこい今回は乗客ほとんど全員韓国人。400人は居るだろうか、それも300人くらいは小学生!
聞いてびっくり。韓国・ロシア両国間でこの1月から相互ビザ廃止に協定したという、60日までの滞在は相互にビザ不要、観光、商用、勉強を問わずもちろんその期間内なら行動は全くフリー。

日本?ビザ取るのにGちゃんほとんど1か月、それもモグリのビジネスビザ。リタイアしてるGちゃんがビジネスでロシアに行くわけもおまへんやないか!正直な日本のみなさん、事実上自由な旅行はできないのが現状、行きたい人は日程もホテルもルートも決まった旅行社主催のロシアパック旅行しかできません。

引率の先生に質問攻め。お口あんぐり。一般家庭の普通の学校へ通ってる子供たち、下は小学3年生から上は中学2年生まで、280人、ビザ解禁に合わせてのロシア観光渡航。
将来のより一層の国際協力、相互理解、経済発展を望むなら韓国の一番の目指す方向は若い世代への人材育成、それが我々大人の今できる一番の投資、とぬかしやがるやおまへんか。

どの引率の先生も英語べらべら。もうその目の輝きが光ってる。
うちのホノちゃんより2つか3つ歳の取ってるだけの子供たちが。おそらく初めての海外旅行。聞きなれない外国語、凍てつくような気候、親元離れての心細い初めての外国旅行、、否定、批判する理由はいくらでも思い浮かぶけどね 20年後30年後 この中から韓国とロシアの架け橋になるような人が出てくるのは確実。東海からだけじゃないらしい、ソウルからも、、そして恐らく直行の空路も開設されているだろうし 逆にロシアからも続々と韓国に行っているだろう、、、そういえばユーリーもこの正月休みに家族と韓国へスキーに来てるってメールしてくれてた。。。恐るべし朴ウネさんの政治力。いやぁ参りました 韓国恐るべし。

ビザが要るか要らないかは大変な違い。簡単に言えば「お友だち」か「お友だちでない」かということ。日本とロシアはお友だちではないのです。。。分かっていただけますか、Gちゃんが最後の最後まで入管を待たされたのが。もともとビザもない自国民のロシアのみなさんお疲れさまはいどうぞ、お次はお友だちの韓国のみなさま。最後はお友だちでもないビザが必要だったお客さん、Gちゃん一人だったけど、入りたけりゃ入れや、とは言わなかったけどね。

経済発展とかオリンピックをとか今さら戦後の高度成長期じゃあるまいに 安倍はん アンタのやってること どんどん孤立して行ってるだけやおまへんか。腹の底ではバカにしてる、アンタの顔にチャンと書いてある、あの朴ウネさんだったかツネさんだったかの 爪のアカでも貰ったらいかが!
どうりでロシア中が韓国製品だらけ、日本製なんて高すぎて車以外見たことおませんで。
あほんだら安倍政治、得意満面のその鼻 たたいてやりたいわい。
  

例によってウイスキー。うまい独りの夜。要領はもう分かっとる、明日に税関に車引取り申請、明後日に車ゲット、明明後日、確か金曜日になるはず、ウラジオストックを出発。それまで時間はたっぷり。快適なホテルでゆっくり休養予定。

ご愛読ありがとうございました。なんとかスタート台に立ちました。これからも応援よろしく。おやすみなさい。

                                                                 

班ごとの記念撮影。国旗を全員もって。前途洋々若い韓国。分からんでもないけどねハヤルその気持ち。。こういう時は自国のではなくロシアの国旗にするんです!サッカーのサポーターじゃあるまいに。

プログの写真は  写真に直接クリックで 全て大きく拡大できます。  





2014年1月19日日曜日

出発。初日からゲロゲロ。

うれしいけど、遊びの旅に見送りなんてGちゃんの性分にも合わず、今回は誰にも言わずこっそり鳥取境港出発。誰か分からない、DBSフェリーに乗客名簿のGちゃんの名前を問い合わせた人も居たらしい、ホントにごめんね、声援や心配をしてもらってるのに。。。個人情報保護で教えられないだって。宜しくお伝えくださいってDBSフェリーのタチアナ嬢が。

昨年と要領は何もかも一緒。一番安い3等客室で申し込んでるのにフェリーは1等ファミリー個室。あなた気が利くね~タチアナさん、日本語ベラベラの別品さん、誰かおムコさん紹介してあげたいくらいの美人。4月に京都か奈良の桜を見に行きたいんだって。ウクライナ出身、鳥取大学大学院社会学部博士課程、自信ある人だれか案内してあげて!うん、ロシア語はさすがにGちゃんも太刀打ちできんくらい上手かったわい。当たり前か、同志社の笑学部では話にもならんなぁ~。

途中寄港する韓国までの要領も分かっとる。あとは飲んで酔って朝まで寝るだけ。海も穏やか。寝転がって入国申告書を書いてたら。ぬぬぬ、なんじゃこれは。猛烈な吐き気。船酔いなんて生まれて初めて。苦しいのなんのって、もうGちゃんも歳か、部屋のトイレでゲロゲロの連続。酒酔いと船酔いの二重苦。ほとんど眠れなかった一夜。え~?俺はこんな老いぼれかよ~!

気が付いたら夜の8時、韓国東海市のホテルのベッド。昼前にチェックインしてバタンのQ,気のうしなったように熟睡したらしい。あわてて夕食。知った魚料理店。あんなデッカイ生きのヒラメをさばいてどこの団体が喰うんだろう、板前が切ってるのを見ながら、、ぐええ、それってGちゃん用?!

毎回思う、韓国の人ってなんであんなに喰うんだろう。料理ってチョット出るから美味いもの、ドサと出されたら喰いたくもなくなる、、見ても山盛りの料理にデリシャス!って感動してるアメリカ人と一緒の感覚。ヒラメ一匹、箸を付けたのはエンガワが精々。コリアンピザ、要はチジミ、一切れ喰ったら腹いっぱい。出された料理 机いっぱい、カメラの持ってこなかったこと悔やまれることしきり。ほとんど手を付けられない晩御飯でした。

捨てるのはもったいなすぎますしね、吉兆みたいに次の客に回すにしても明日では鮮度が落ちてることだろうしね、いやはや 他人事ながらこんな大量の喰いのこし どうするんだろう。店の心配をGちゃんがすることもないけどね。さすがに うまいマッカリだけは 酒飲みは残すわけずにもいきません、すっかり開けて。おかげで またしても酔っ払い。カムサムニーダ。〆て2500円くらい。安いのか高いのか。心もちウオンが強くなった感じ。途中で何回も何回も休んでやっとホテルに這うようにしてご帰還。暑い部屋、汗が玉のよう、パンツ一枚姿、冷蔵庫の冷えたビールの美味いこと。。。いやはや酔っ払いのとんだ出発初日でした。即 寝ます。

2014年1月3日金曜日

今年もよろしく


行ってきます寒ぶ~いシベリア。出発準備は全て終りました。あとは出発を待つのみ、ゆっくりしました今年のお正月。みなさまもお元気で良い年でありますように。


辺ぴな場所にあるので「わざわざ」行かないと行く機会も一生なさそう 今回はシベリア極寒の地ヤクーツクを目指します。着くのは2月上旬ころか、美しい写真をいっぱい撮りたいと思っています。

特に今回は車の防寒対策確認が一つの目的です。摂氏マイナス50度を想定した対策をしました。
過去のアラスカでもマイナス50度は経験していますが シベリアと比べれば車両インフラは天と地の違い。朝のエンジン始動が命取りにもなりかねず 前回のシベリアで見聞した現地の前時代的、原始的防寒対策は全て取り入れました。カッコ悪いけどこれしか方法はなし、頑張ってきます。


追記;今年の年賀状に使った写真を載せました。昨年のバイカル湖でのショットです。

ちなみに広さは琵琶湖の50倍。水深は1600~1700㍍。透明度は世界一。その美しさから「シベリアの真珠」と呼ばれているそうです。うなずけます、確かに素晴らしい湖でした。

冬は凍りついたその上を車で走れるらしい、そう聞いたのはもう何年前のことか。。。夢は実現するものです、凍りついた沖合に10㌔も走れば 走ってきた湖岸の景色も消え視界360度 景色は何もなし。この宇宙に自分一人だけが生き残ったような真っ青の絶景が広がりました。
夢は必ず実現するもの、叶えられた夢に心から感動したのを覚えています。