2014年2月12日水曜日
参りましたゴビ砂漠
よくぞガイドを付けてのゴビ砂漠でした。地の者でも夜は車で砂漠を絶対に走らないという、よそ者にとっては案内なしでは昼間でも走行は不可能でしょう。初めての砂漠走行経験でしたが地図に記載されている道路を走る今までとは全く違う砂漠走行、異次元の経験をしました。大海原を走るようなものです、道路標識はもちろん、目印になる遠くの山や景色もありません。方向が全く分からなくなります。現在時間と太陽の位置だけが頼りの運転になります。
地平線の彼方まで広がる砂漠、車は360度どの方向へでも走れます。今までラクダで通っていた砂漠を 遊牧民が車で走り始めたここわずか10年の間、みんな自分の都合や思惑で勝手気ままな方向にラクダと同じように車を走らせるということになります。例えばオアシスの村から次の目標のオアシスの村までの道でさえ一本ではないのです。オアシスから四方八方に向け車のワダチが広がっており、細い道では車が一台だけ通った形跡、広いのになれば道の幅が左右1キロくらい広く、無数の車が通ってガタガタになった道まで。要するにみんな走りやすい道を自分で勝手に走るという結果になります。知らずに走って間違いに気が付けばとんでもない方向に向かっている、ということです。
それと砂の走行。砂と言っても粉のような粒子。赤いメリケン粉と言うほうが分かりやすいと思います。雪と似ていますがハマり込むと重たくてとても脱出は難しくなります。今日も走行中 運転席側の前輪後輪が深い砂にハマり込み、左側前輪後輪ともに45度ほど宙に浮き そのまま激しいバウンドをしながら危うく横転という事態に遭ってしまいました。助手席のガイドがGちゃんの上に落ちてきたくらいですから横転しなくて済んだのは本当に幸運でした。
随所に雪の吹き溜まりのような細かい砂のデブリ、スピードは出せませんし、さりとて停まれば車は沈み込んで脱出できなくなります。横転したり動かなくなったらそれでおしまい、あちらこちらに放棄され捨てられたままの車の残骸、疲れ果てて死んだのだろうラクダや馬の骸骨、安易に人間が入り込む場所では無いのかもしれません。。♬月の砂漠をラクダに乗った王子さまとお姫さま♪ 幼いころの夢に憧れ、どんな素晴らしい所か、広大なゴビ砂漠の中でも最大と呼ばれている南ゴビ砂漠に挑戦しましたが。。。とんでもない。車を停めて写真を撮る余裕もないほど緊張を強いられる過酷な3日間でした。Gちゃんには砂漠走行なぞとんでもない、もうこれで充分という思い。パジェロもガタガタ、もう二度と砂漠は走らせてくれるなと言っているようです。
ガイドは一日日当50米ドル(5000円くらい)、宿泊、食事代はGちゃん負担。2泊3日の案内に同行してもらいましたが。。。ゴビを初めて走るにはそれしか方法は無い、と思います。モンゴル人でも初めてでは無理です。。。ただ国民的なモノの考え方の違いにガイド採用には理解は要るとは思います。助手席で昼間からビールは飲む、たえまなく彼女と長々と携帯、タバコは吸い放題、いくら言ってもシートベルトはしない、ホテルの部屋の冷蔵庫は飲み放題、、方や必死で運転してるGちゃん、オマエ、ちゃんと道を案内してからそこまでやれよ!って言いたくなることはしばしば。。
ただ現地を知った者でも道を間違うのは さもありなんという実感はします。もともとラクダや羊を放牧している遊牧民しか知らない砂漠、尾瀬や八ヶ岳のガイドを雇うのとは訳が違います。。南ゴビ州の県庁所在地ダランザドカドから首都のあるウランバートルまで、だれが考えても立派な一本道と考えると思います、県庁所在地から首都への道ですから。今日もこの道をウランバートルに向け帰って来ましたが。。そんな幹線道路でさえ もう何回も何回も助手席のガイド君は道をまちがってしまいました。幹線道路でさえそれほど難しいのです。本来は遊牧民だけの土地に 知恵も生活感覚も違う車社会の人間が安易に乗り入れる事すら間違っているのかも知れません。Gちゃんの甘い夢、縦横に広がった車の通った跡形、いろいろ考えさせられることも多くありました。
ウランバートルのホテルに戻ったのは夜も遅い10時半。昨日に続き モノを言うのも疲れ果てたGちゃんです。
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