政治、思想、宗教問題についての話題はできるだけこのGちゃんの大冒険プログには持ち込まない積りでしたが。 シベリアを旅し、どうしても話題から避けられないのが旧日本軍シベリア抑留兵のこと。思い切って今日、ハバロフスク郊外にある戦没抑留者慰霊公苑に行ってきました。市内から車で10分の所にあります。
凍てついて雪の積もった広大な敷地に慰霊碑とモニュメント。誰も居ない記念公園。旅も終えすっかりふやけたGちゃんですが さすがに厳粛な気持ちになりました。。シベリアのみならず中国、ビルマ、スマトラ、硫黄島、、数々の戦地で散って行った人々の気持ちは如何ばかりだったろう、思いの馳せざるを得ませんでした。天皇を陛下と仰ぎ 陛下の名のもとに犠牲になって行った人々。この過酷な環境で耐え忍び心から満足して国の為に死んでいったのでしょうか。母や父や妻を思い、ただそれだけが生きる支えだったのではないでしょうか。誰しもが持ってる、山青き、川うつくしい、あの故郷に帰りたかったのではないでしょうか。苦しく悲しかったと思います。そんな無名のたくさんの人々に心からの冥福を祈りました。すっかり平和な世の中に慣れきってしまいましたが、なんて我々は自由で素晴らしい毎日を送っていることでしょう。これで不平を言えばバチが当たります。
小さなことにこだわりました。上の写真は修正してあります。「衆議院議員 何野たれベイ書」と大きく刻印されていました。厳しいですが、これがこの何野たれベイさんの本音、思考の本質、Gちゃんはそう判断しご本人には失礼ですがプログでは消しました。
これは私人の墓標ではありません。日本国民みなが願う戦争への反省と平和への誓いの象徴であるはずです。どうしてそこに個人の肩書と名前が要るのですか。国民ひとり一人のお金と願いが込められているのではないのですか。
Gちゃんには 遺跡に自分の名前を落書きしてる修学旅行の中学生の悪ふざけのようにさえ映りました。純粋であったはずのせっかくの慰霊碑、当事者だったはずの国も政治家も もっとその意味を考えて欲しかったと思います。
靖国神社問題を筆頭に今も保守体制層に蔓延している思考。加害への深い反省のないことがそうさせるのだと思います。先の戦争を侵略と呼ばなくて何て呼ぶのでしょう。
占領軍に押し付けられた憲法、隣国をシナと呼んで何が悪い、恥じらいもなく公人が叫んではばからない昨今の日本。とんでもないおごりと傲慢な思考だと思います。平和ボケしたとしか言いようがありません。今を生きる者の使命とは何でしょうか。
個人的な責任所在を弾及するのではないのです。二度とそんな失敗を起こさないための冷静な真の原因把握と対応こそが明日を生きる者の知恵と責任だとGちゃんは思います。それが反省というものではないでしょうか。
福島原発事故でもそうです。失敗に謙虚に向き合うことは決して「自虐的」でも恥ずかしいことでもありません。
再びこういう慰霊碑の作らなくて済む国になれるよう、ここシベリアだけじゃない、何百万というアジア各地に散った同胞の思いに 真摯に思いを馳せたいと思います。そうでなければ この戦争で命を奪われ死んでいった人々は 単なる犬死ということになりかねません。