2014年1月31日金曜日

ありがとう ヤクーツク



またひとつ夢を叶えてくれたヤクーツクを後にしました。まだ真っ暗な朝の9時の出発で一路南に向かっています。今回の目的は地球上で一番寒い町と呼ばれてるヤクーツク訪問と相棒パジェロジュニアの極寒対策の成果確認でした。マイナス30度台とマイナス40度台では車の性能や運転も大きく変わるようです。身を持って体験でき満足しています。特にマイナス50度での走行はGちゃん自身の良い思い出にもなりました。

凍りついた想像を絶する物凄い道を走らないといけないのですが 今回も相棒三菱パジェロジュニアの活躍があったおかげとつくずく感心しています。Gちゃんの車と比較したらトヨタランドクルーザーなんてバスのように大きく見えるのですが、たった1100ccのエンジンというのに全く遜色なく走行しました。コブシくらいの石を敷き詰めたツルツルのデコボコ砂利道を時速90~100㎞で飛ばすのですから 車は悲鳴を上げ バラバラになるのじゃないかと思えるほどの振動やバウンドをこなしながら走ります。あの馬鹿でかい3000ccもあるランクルですが 小回りが利かないのです。大男アタマに知恵が回りかね。。悪路に弱いのです、エリートは。

さすが過去のラリーで大きな成績を残している三菱自動車、つくずくその強さの意味が体験できました。車買うなら三菱自動車。一銭ももらってませんがね、すばらしいエンジンと性能です。。。。のんびり走ったらいい?!そうはいかないのです。次の宿のある村に行きつかないのです。ちなみに本日8時間ノンストップ539㎞走行。もうGちゃん完全にラリードライバーの領域です。


あまりにあっけないヤクーツク到着でしたので 昨年のバイカル湖のような涙するほどの感激はありません。そんな極寒の地に20万人の人が住んでいること自体 信じられませんが 金、石油産出地らしく 将来はここから日本までパイプラインを引く計画もあるようです。今は信じられないような道を走り 文字通りシベリアのど真ん中まで苦労して辿り着いたわけですが Gちゃんの孫の孫くらいの時にはハイウエーでもできているのでしょうか。


もう少し今日の報告をしようと思ってたのですが。。。いけません。タバコのマッチを貰ったホテルの隣の部屋の客にお礼を兼ねて Gちゃんの持ってるバーボンウイスキー一杯くらい差し上げないと。。運のつき。まぁ部屋に入れ、まぁこれ食え。挙句は家族の話から仕事の話、Gちゃんの片言がめっちゃ面白く聞こえるらしい、大笑い。。終いには男二人に押さえつけられ、俺のウオッカを飲め!これがロシアの風習じゃ!
いやぁ、人懐っこくて実に陽気。おまけにこんな荒っぽい親切の押し売り。楽しい愉快な酒、久しぶりに酔っ払いました。

ま夜中の4時まで


東京の青山先生、群馬の竹岡さん、その他のみなさん、貴重なアドバイスありがとうございました。やっとこれで写真は掲載できるようになったようです。



グーグルは何回もこういうトラブルを起こしているようです。「考え過ぎのバカ」と言います。浮世の生活を知らない技術のマニア専門家集団が 考え考えた「便利なはずの技術」が 結局は使い勝手の悪い製品に仕上げていることを言います。こういう使い勝手の不便さや難しさが 結局はGちゃんのような一般素人のパソコン離れにつながっていくのではないでしょうか。それに比べて電子レンジやテレビ、誰が使っても簡単、家電会社の努力は大したものだと感心します。

さぁこれから寝ます。起きたら600㌔ほどのドライブが控えていますので もう一日ゆっくり寝たほうが良いかどうか、迷っています。無理して走って事故ったら 最悪だもんね。歳とって すっかり臆病慎重になってきたGちゃんです。


追記;どうもまだ治ってないようです。写真をクリックしたら「拡大」できるはずなのに。。。
また突然プログの掲載がアウトという事態になったらごめんなさい、、、それが困るんだよな、突然の更新ストップが。読者は誰だって心配するもんね。 

2014年1月30日木曜日

休日





一日ゆっくり休日、骨休めの一日です。暇つぶしにヤクーツク雑感をどうぞ。

人種;人口20万人の大都市です。8割はヤクート人、つまりモンゴル系。道行く人は朝青竜や白鵬と同類項で非常に親近感がわきます。性格も恥ずかしがり屋みたい、英語で話しかけたらメッチャ恥ずかしそうにして ごめんなさいごめんなさいとGちゃんに謝る。はにかみ屋なんですかね。お昼にYAMAMOTOという寿司屋に入ったんですが、客いっぱい。まるで青森か山形の田舎の農協のおばちゃんの集まりか?という雰囲気。そんな顔してロシア語をしゃべるのでGちゃんにはなにか変な感じ。ちなみに寿司は喰えたもんじゃなかった。

ホテル;ピンからキリまでいくらでもありそうです。ただしGちゃんの苦労したのがガレージ付きホテル。屋外駐車場のあるホテルはいくらでもありますが「屋内」というのは絶無。マイナス40~50度、お客さんは一晩中エンジンをかけっぱなしにして夜を過ごしています。Gちゃんは朝のエンジン始動には自信がありましたし 別に新品のバッテリーも予備で持っていましたがね、ここまで来てくれてそんな可哀そうなことパジェロさんにさせられません。かわいそうじゃないですか。ガレージ付きは「北極星」という市内最高ホテルのみ、無理して泊まったのはそういう理由からです。ガレージ料金、な、なんと一日1000ルーブル、二日泊めて約6600円!ちょっとした青空駐車場の一か月分料金。どうりでパジェロ以外にもう2台だけの駐車。ま、もっともシャツ一枚で作業の出来る暖かさでしたが。

朝エンジン掛からなかったら。。昨日の朝 ガスバーナーでボデーの下からローストチキンみたいにオイルパンを焼いているのを見ました。信じられませんが、ガソリンに引火したらどうするんだろう、とてもとてもGちゃんにはそんなことする発想もありません。そう言えば道路脇の車の下で焚き火をしているのも良く見かけます。普通の一般家庭ではガレージを締め切って電気ストーブを一晩点けっぱなしにしているようです。石油バーナー送風機とでも呼ぶのでしょうか、一晩燃やしている家庭もあるみたいです。。。もったいないし、無駄なこと。アメリカやカナダみたいなバッテリーヒーターやオイルヒーター、つまり電気毛布方式になぜしないんだろう、訳はわかりません。

そして寒さ。本日はやや暖かく昼間でマイナス41度でした。でも写真撮影はものの5分程度しかできません。完全装備をしていますので寒さは感じないのですが シャッターを押す指がむき出し、見ている間に指先が真っ白に凍傷になってしまいます。こんな時に火事でも起きたらどう放水するんだろう、低温すぎて信じられないことが起きます。。まず自分の出す息。日本でも寒い時にハァ~って白い息が出ますがすぐに空気中に消えてしまいますよね、もちろんここヤクーツクでも白い息は出るのですが、、空気中で一瞬に凍ってしまいますので、白い息は消えない、ゆらゆら空気中を漂っています。息がしかり、車の排気で出る水蒸気がしかり、家庭から出る生活上の水蒸気等々、、チリも積もれば山、風のない日なんか昼間で視界10㍍とか5㍍とか、市内が全部濃霧に覆われたようになっています。危なくて車も自転車以下のスピード、日本なら恐らく通行禁止になることでしょう。。。。ああ、あの北京や上海の光景とも似ています。もちろん空気はきれいで臭いも何もしませんがね。


2014年1月29日水曜日

グーグルってボケ??

最近 他のユーザーがあなた(Gちゃん)のパスワードを使っていつもと違う場所からGoogleプログのアカウント(0228com@gmail.com)にログインしようとしました。
Google では、このアカウントへのアクセスが不正使用のおそれがあるため、このログインをブロックしました。ログインの詳細について、以下の情報をご確認ください:
場所: Tsentralnyy rayon, Yakutsk, Sakha, Russia グーグルアカウントチーム 今後ともよろしく。


馬鹿じゃねいのかグーグル。旅行してたら転々とアクセス地点の変わるのは当たり前!こういうのを 親切の押し売り、考え過ぎのバカって言うんです。どこの誰がこんなつまらないプログに不正ログインするというのか。あほらしくてお話になりません。みんなで楽しく愉快にプログを書いたり読んだり簡単に、そんな本来の目的にもっとアナタのエネルギーを使ってください。ねぇ天下のグーグルさん。

今日1月29日(月)夕方にヤクーツクに到着。さすがに寒いです。外気は摂氏マイナス55度。やっと実感しました 何故みんなマッチでタバコに火を点けてるのか。馴染みの100円ライターでは全く点火しません。にゃるほど!

街中が霧かスモッグに覆われたようになっています。前を走る車は昼というのに赤いテールランプしか見えません。視界は10㍍くらいでしょうか。排気ガスに含まれる水蒸気が一瞬に凍って街全体を覆い尽くしています。人の吐く息も空気中を白く漂っているのが見えます。5分も外を歩けばまつ毛もヒゲも 吐く息で真っ白けのかたまり。ここでジョッキングでもしたらどうなっちゃうんだろう。生のマンモスが見つかったというのも納得。北緯は遥かにアラスカの方が高いけど ここの寒さはホンモノ。キャイ~ン!世界一というのも良く分かりました。

2014年1月27日月曜日

いよいよ本番




スコボロジーノという町まで来ました。ここはヤクーツクへ行く分岐点。ここまでの道は昨年と一緒。ヤクーツクへはここから北に分かれて1056㌔の道のりにあります。いよいよ本番を迎えました。

昨年と比べたら雪が少ないのと暖冬。今年はどうなってるんでしょう。ここまで来れば行くしかありません。一日中降雪、気温マイナス25度、雪が止めば寒くなって来るのでしょうか、まだ、出てる顔が痛いという感覚ではありません。

ヤクーツクへはかなりハードな二日間のドライブになりそうです。ダートな道は運転が楽だから降雪は歓迎。ガソリンは満タン、予備タンクも満タン、合計90ℓ、これで900㌔は走れる計算。いよいよ本番、なんとかなるのでしょう。到着を楽しみにお待ちください。

2014年1月26日日曜日

ベロゴルスク

ハバロフスクから西へ9時間のドライブ、680㌔走ってベロゴルスクという人口6万人くらいの田舎町に日の高いうちに着きました。泊まるホテルなんてどこでもいい。暗くなる前にホテルのありそうな沿線の適当な町で探すだけ。ベロゴルスク、尋ねる町の人はみんな親切。Gちゃんの車に顔を突っ込んでホテルの場所をナビ設定してくれました。なんなく到着。おまけに時差1時間の得、日本より1時間早いだけの時刻になりました。

ホテルの門を通って、ぬぬぬ??、こんなこともあるんや!ここ泊まったことある!昨年の記録を見たら、苦労して苦労して夜中の9時ごろやっとたどり着いて。。。フロントのおばさんまで一緒の人、覚えてくれてて。ああカッコ悪るぅ~、昨年は疲れ果てて目がげっそり、頬もこけ落ちてたGちゃんだったらしい。おばさんの言ってることが一切分からず、一度は宿泊を断られたこのホテル。マイナス30度の真夜中、これからどこへ行けと言うんじゃ。ゼスチャと必死だけで何とか泊めてもらったホテル。こんな偶然もあるんですね。

チェックインは、今年は自信と余裕、おかげさまでGちゃんもすっかり進化しました、おばさんの言ってることがよく分かる。「私はあなたをおぼえています」なんて、おばさん Gちゃんの教科書通り読んでるんかい?!年寄り婆さん仲間も集まってきてワイワイガヤガヤ。ババア相手でも しゃべれるって素晴らしい!

部屋は喫煙可の部屋に当てがってもらって、〆て代金一泊1000ルーブル、約3300円。なんでやねん、去年は2300ルーブル払ったと日記に書いてある。ロシア語のしゃべれない分1000ルーブル、上乗せしたな、汚いやっちゃお前らは。

本日早朝ハバロフスク、気温やっとマイナス25度。日中でマイナス20度。チョットは寒くなって来たようです。町へ出て夕食も今までみたいな服装ではいけません、凍てつく寒さ。明後日あたりから本格寒波みたい。いよいよシベリアのど真ん中、極寒地への突入となります。

すみません。写真掲載、どうしてもできません。設定がおかしいみたい。治ったら固めてドサァと載せます。

2014年1月25日土曜日

暖かすぎますハバロフスクも

ゆっくり、のんびりハバロフスクまで8時間のドライブ。気温は早朝でマイナス15度が最低、日中はせいぜいマイナス10度。今年は異常気象でしょうか。アラスカのヘインズジャンクションでもそうらしい、普段はマイナス30や35はあってもよいアラスカのお寒いお寒い場所。いったいどうなってるんでしょう地球温暖化。道路は山越えで一部雪道があっただけ、ほとんど完全除雪の快適な道。来週か再来週か、たっぷり貯金してある寒気、まとめてドサァって来てくれるんでしょうか。

マイナス50度に対応できるように布団蒸しにしたGちゃんの車、おかげでオーバヒート寸前。ラジエーター通気口、ついに一部開口。Gちゃんは一枚脱ぎ、一枚脱ぎ、フリース一枚姿。その格好で外へ出てガソリン給油しても。。完全装備でガソリン入れてた昨年と比べたらえらい違いの今年です。ホテルのパーキング場に停めて一夜のボロパジェロ、用意してきた防寒用の寝間着も一回も使う機会なし、それでも軽る~く一発始動の早朝でした。

ロシア語のお勉強。中年から年配のご婦人が「先生」に最適と言うこと発見。みんな優しく微笑みながら 発音や言い回しまでていねいに。Gちゃん わざとトンチンカンを答えたら うれしんだろう、大はしゃぎ。その点 若い娘はGちゃんを最初からバカにしくさって相手にもしてくれない。あかん、教育がなってないなぁ最近のロシアは。。

プログへの写真添付。昨年も旅行中に発生。今年もどういうわけか添付できなくなっちゃった。またもネットのプロ、青山さんに聞くのもカッコわるい、昨年のご指南メールを探し出して、なんとしても載せないと 下手な文章だけのプログなんて読者離れも時間の問題。


追記:①ヤフーニュース読んでたら。やめてよ従業員の農薬混入だって?!それはないやろ、どこかの未開国みたいな。Gちゃんまで恥ずかしい。

追記:②好きなウイスキー飲みながら明日の準備してたら。。掛かって来るはずもないホテルの部屋の電話。「ブイ ルービッチェ クラスヌヤ イ マラドーヤ ジエーンシナ?!」。翻訳するのもためらう内容。止めてや!ここは3か4☆の由緒あるホテルと違うんかい。Gちゃん、只今、厳しい修行僧の身、そりゃ歳を取ったとはいえ嫌いやおまへんけど。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。

2014年1月24日金曜日

楽しい初日 

ウラジオツトックからハバロフスクまで。ゆっくり2日間の行程。出発時は視界30mくらいか、猛烈な濃霧。こんなこともあるんや。どうりで暖かいはず、一日中マイナス10度前後。雪が無くって残念だけど、何があってもなくっても。とりあえずはハバロフスクまではとエンジン始動。

昨年出発初日にガス欠のGちゃんに 天使のように迎えてくれたガソリンスタンドの爺さん どうしてもお礼が言いたくて。Gちゃんは河内弁、爺さんはロシア語、延々としゃべりあって抱擁して別れた恩人。お礼の土産は小倉屋の羊羹、入れ歯の年寄りにも食べやすかろうと。あの爺さんどうしとるかな。。。あっちだったかな、こっちの方面だったかな、ウラジオストックから20キロくらいの内陸部。訪ね訪ねて探したのですが。一期一会とは良く言ったものです。一瞬の出会いを大切にしないといけません。。寂しいけどついに会えなく諦めました。。。同じような年恰好、同じようなガンコそうで冗談好き、爺さんアンタもそう長くないやろ、あの世でまたタバコもくもく楽しいバカ話やりましょう。会えなくて本当に残念でした。

走ってたら、Gちゃんはやはり根からドライブが好きみたい。雪は無いし暖かすぎて昨日は腐ってたんだけど。走り始めたら。。。ドライブというよりも、走る景色が去年とまるで別世界。まず!道路標識が、看板が、広告板が、、、読めるやおまへんか!何や、車の修理屋なんてあっちもこっちも、ホテルもレストランもスーパーも!前を見ながら運転するというより景色を読みながら運転してるありさま。。。

会話も、自分で言うのおかしいけど、捨てたものじゃない。昼飯も、ガソリンスタンドも、道を聞くのも。回りは全部 ネイテブのロシア人。言ってみれば全員がGちゃんの会話の先生。同じならと、女性ばかり選んで話しかけるんですがね。どの先生も格別の笑顔でニッコリ。それにみんなめっちゃ親切。。がはは、手当たり次第 Gちゃん連発「カク パルスキー?」、「ロシア語でどう言いまんねん?」。。。そりゃそうです、「おっちゃん ガソリン満タンにしてんか!」なんてロシア語教室では教えてくれない。。。ホテルのフロント、「宿泊」という単語知らんかったら「疲れた~!今夜一晩ここで休みたい」と言えばバッチリ通じる。イヤ~当たり前のことですが、意思疎通のできるのってメッチャおもしろい!。。。ロシア語教室のある木曜の夜は、アタマ興奮、うなされて朝まで眠れないじまいだった10か月間。ほとんどノイローゼ気味を頑張って 良かった。去年と比べたら天と地の差、全然違う余裕と景色。いや~こいつはまた違った楽しい旅になりそう。





2014年1月23日木曜日

↓ パジェロ ゲット ↓

「パジェロ ゲット!」  確かこのタイトル、去年も使ったことあったよな。あの時は何もかも初めてのロシア、不安と不慣れの中でやっと手に入れたパジェロとのご面会、喜び勇んで使ったタイトル、Gちゃんも新鮮だったんだなぁ。良かったなぁ。なつかしいなぁ。

あきまへん。今年は全然気合が入ってない。緊張感に欠けすぎてます。本日昼前に税関からパジェロ受け取って、そのままホテルに帰って昼寝。今か今かと応援してくれてる皆にプログでいち早く報告もしないといけないのに。書くこともない、書く気にもなれないのが本音の今のGちゃん。ごめんなさい。

気合抜け。ウラジオストックに着いて直ぐに感じた。暖かすぎる。昨年あれほど積もってたガチガチの雪なんてどこにもなし。聞けば昨年末に寒かっただけで先週あたりから春のポカポカ陽気、悪いことに50年ぶりという暖冬。本日の気温なんて実にマイナスのたったの7度。雪のない道をスタッドレスタイヤ履いて俺ははるばるロシアまで何しに来た?!がっくり拍子抜けたぁ~このことだよなぁ。

厚手の下着上下にユニクロのヒートテック下着重ね着、純毛のシャツにフリースのジャンパー。汗だく。何言うてまんねん、車の中にはその倍以上の防寒具が今や遅しと待っているというのに。。目指すヤクーツク、本日マイナス35度。まぁこんなことで終わってはくれないでしょうがね、それにしても。いやはや。

何を隠そう、プログに実証写真を載せたくてね。マイナス60度まで計測できる大きな温度計まで密かに準備してきた。世界一寒い場所へ行くのに、同じなら自分の一生で一番寒い体験を誰だって経験したいじゃありませんか。。。イヤな予感、あかん、今年は。Gちゃん このまま帰りたいよ。

明日とりあえず、は出発します。走ってみないと分からない。ハバロフスクまでは行くつもりです。ただし雪のないドライブ旅行記、書くGちゃん面白くもないのに読んでる人って なおさら。
人生、思い描いたようには 事は進んでくれんもんですね。溜息ばかりのGちゃんです。

2014年1月21日火曜日

ウラジオストック!

やっと着きましたウラジオストック。韓国東海の港を出港して丸27時間の航海。例によって例の通り、Gちゃんは税関を通過した最後の乗客、着岸後 船で3時間ほど待たされた勘定になります。

やっとこさの入管を出た待合室。うれしいじゃありませんか、ユーリーとスベトラーナちゃんが待っている。1年ぶりの再会。熱烈抱擁、かたい握手。。。。昨年別れる時彼らに宣言してた、今度会うときはGちゃん ロシア語を絶対にしゃべるようになってるからな!てね。自分のことながら うれしいじゃありませんか、前のGちゃんと違うんやで今のGちゃんは!!

疲れているだろうからとホテルに直行、チェックインして晩御飯たべて只今現地時間夜の9時、日本時間夜の7時、部屋に入ってまず一番に愛妻にネット電話。荷物もほどいて冷えたビールとウイスキー、いや~長いこと掛かって着きました シベリアの入り口に。


東海からウラジオストックまでのフェリー。DBS境港のタチアナ嬢、もうアンタ どれだけサービスしてくれるんや。Gちゃん、3等客室でオカネ払ってるはずなのに今回は3階級特進のジュニアスイート独り占め。大きな部屋、うちの家よりデカいテレビ、ベッド2つに数多くのアメニテー。もうこの上といえばこの船には特別室しかないはず。乗船してから受付に聞きに行きましたよ、ホンマにホンマ 宜しいんでっか?!べッドがひとつ空いている、若いお嬢さんならGちゃん 相部屋は全然構いませんってね。

驚き、びっくりの第二弾。東海から昨年はほとんど全員乗客はロシア人、ところがどっこい今回は乗客ほとんど全員韓国人。400人は居るだろうか、それも300人くらいは小学生!
聞いてびっくり。韓国・ロシア両国間でこの1月から相互ビザ廃止に協定したという、60日までの滞在は相互にビザ不要、観光、商用、勉強を問わずもちろんその期間内なら行動は全くフリー。

日本?ビザ取るのにGちゃんほとんど1か月、それもモグリのビジネスビザ。リタイアしてるGちゃんがビジネスでロシアに行くわけもおまへんやないか!正直な日本のみなさん、事実上自由な旅行はできないのが現状、行きたい人は日程もホテルもルートも決まった旅行社主催のロシアパック旅行しかできません。

引率の先生に質問攻め。お口あんぐり。一般家庭の普通の学校へ通ってる子供たち、下は小学3年生から上は中学2年生まで、280人、ビザ解禁に合わせてのロシア観光渡航。
将来のより一層の国際協力、相互理解、経済発展を望むなら韓国の一番の目指す方向は若い世代への人材育成、それが我々大人の今できる一番の投資、とぬかしやがるやおまへんか。

どの引率の先生も英語べらべら。もうその目の輝きが光ってる。
うちのホノちゃんより2つか3つ歳の取ってるだけの子供たちが。おそらく初めての海外旅行。聞きなれない外国語、凍てつくような気候、親元離れての心細い初めての外国旅行、、否定、批判する理由はいくらでも思い浮かぶけどね 20年後30年後 この中から韓国とロシアの架け橋になるような人が出てくるのは確実。東海からだけじゃないらしい、ソウルからも、、そして恐らく直行の空路も開設されているだろうし 逆にロシアからも続々と韓国に行っているだろう、、、そういえばユーリーもこの正月休みに家族と韓国へスキーに来てるってメールしてくれてた。。。恐るべし朴ウネさんの政治力。いやぁ参りました 韓国恐るべし。

ビザが要るか要らないかは大変な違い。簡単に言えば「お友だち」か「お友だちでない」かということ。日本とロシアはお友だちではないのです。。。分かっていただけますか、Gちゃんが最後の最後まで入管を待たされたのが。もともとビザもない自国民のロシアのみなさんお疲れさまはいどうぞ、お次はお友だちの韓国のみなさま。最後はお友だちでもないビザが必要だったお客さん、Gちゃん一人だったけど、入りたけりゃ入れや、とは言わなかったけどね。

経済発展とかオリンピックをとか今さら戦後の高度成長期じゃあるまいに 安倍はん アンタのやってること どんどん孤立して行ってるだけやおまへんか。腹の底ではバカにしてる、アンタの顔にチャンと書いてある、あの朴ウネさんだったかツネさんだったかの 爪のアカでも貰ったらいかが!
どうりでロシア中が韓国製品だらけ、日本製なんて高すぎて車以外見たことおませんで。
あほんだら安倍政治、得意満面のその鼻 たたいてやりたいわい。
  

例によってウイスキー。うまい独りの夜。要領はもう分かっとる、明日に税関に車引取り申請、明後日に車ゲット、明明後日、確か金曜日になるはず、ウラジオストックを出発。それまで時間はたっぷり。快適なホテルでゆっくり休養予定。

ご愛読ありがとうございました。なんとかスタート台に立ちました。これからも応援よろしく。おやすみなさい。

                                                                 

班ごとの記念撮影。国旗を全員もって。前途洋々若い韓国。分からんでもないけどねハヤルその気持ち。。こういう時は自国のではなくロシアの国旗にするんです!サッカーのサポーターじゃあるまいに。

プログの写真は  写真に直接クリックで 全て大きく拡大できます。  





2014年1月19日日曜日

出発。初日からゲロゲロ。

うれしいけど、遊びの旅に見送りなんてGちゃんの性分にも合わず、今回は誰にも言わずこっそり鳥取境港出発。誰か分からない、DBSフェリーに乗客名簿のGちゃんの名前を問い合わせた人も居たらしい、ホントにごめんね、声援や心配をしてもらってるのに。。。個人情報保護で教えられないだって。宜しくお伝えくださいってDBSフェリーのタチアナ嬢が。

昨年と要領は何もかも一緒。一番安い3等客室で申し込んでるのにフェリーは1等ファミリー個室。あなた気が利くね~タチアナさん、日本語ベラベラの別品さん、誰かおムコさん紹介してあげたいくらいの美人。4月に京都か奈良の桜を見に行きたいんだって。ウクライナ出身、鳥取大学大学院社会学部博士課程、自信ある人だれか案内してあげて!うん、ロシア語はさすがにGちゃんも太刀打ちできんくらい上手かったわい。当たり前か、同志社の笑学部では話にもならんなぁ~。

途中寄港する韓国までの要領も分かっとる。あとは飲んで酔って朝まで寝るだけ。海も穏やか。寝転がって入国申告書を書いてたら。ぬぬぬ、なんじゃこれは。猛烈な吐き気。船酔いなんて生まれて初めて。苦しいのなんのって、もうGちゃんも歳か、部屋のトイレでゲロゲロの連続。酒酔いと船酔いの二重苦。ほとんど眠れなかった一夜。え~?俺はこんな老いぼれかよ~!

気が付いたら夜の8時、韓国東海市のホテルのベッド。昼前にチェックインしてバタンのQ,気のうしなったように熟睡したらしい。あわてて夕食。知った魚料理店。あんなデッカイ生きのヒラメをさばいてどこの団体が喰うんだろう、板前が切ってるのを見ながら、、ぐええ、それってGちゃん用?!

毎回思う、韓国の人ってなんであんなに喰うんだろう。料理ってチョット出るから美味いもの、ドサと出されたら喰いたくもなくなる、、見ても山盛りの料理にデリシャス!って感動してるアメリカ人と一緒の感覚。ヒラメ一匹、箸を付けたのはエンガワが精々。コリアンピザ、要はチジミ、一切れ喰ったら腹いっぱい。出された料理 机いっぱい、カメラの持ってこなかったこと悔やまれることしきり。ほとんど手を付けられない晩御飯でした。

捨てるのはもったいなすぎますしね、吉兆みたいに次の客に回すにしても明日では鮮度が落ちてることだろうしね、いやはや 他人事ながらこんな大量の喰いのこし どうするんだろう。店の心配をGちゃんがすることもないけどね。さすがに うまいマッカリだけは 酒飲みは残すわけずにもいきません、すっかり開けて。おかげで またしても酔っ払い。カムサムニーダ。〆て2500円くらい。安いのか高いのか。心もちウオンが強くなった感じ。途中で何回も何回も休んでやっとホテルに這うようにしてご帰還。暑い部屋、汗が玉のよう、パンツ一枚姿、冷蔵庫の冷えたビールの美味いこと。。。いやはや酔っ払いのとんだ出発初日でした。即 寝ます。

2014年1月3日金曜日

今年もよろしく


行ってきます寒ぶ~いシベリア。出発準備は全て終りました。あとは出発を待つのみ、ゆっくりしました今年のお正月。みなさまもお元気で良い年でありますように。


辺ぴな場所にあるので「わざわざ」行かないと行く機会も一生なさそう 今回はシベリア極寒の地ヤクーツクを目指します。着くのは2月上旬ころか、美しい写真をいっぱい撮りたいと思っています。

特に今回は車の防寒対策確認が一つの目的です。摂氏マイナス50度を想定した対策をしました。
過去のアラスカでもマイナス50度は経験していますが シベリアと比べれば車両インフラは天と地の違い。朝のエンジン始動が命取りにもなりかねず 前回のシベリアで見聞した現地の前時代的、原始的防寒対策は全て取り入れました。カッコ悪いけどこれしか方法はなし、頑張ってきます。


追記;今年の年賀状に使った写真を載せました。昨年のバイカル湖でのショットです。

ちなみに広さは琵琶湖の50倍。水深は1600~1700㍍。透明度は世界一。その美しさから「シベリアの真珠」と呼ばれているそうです。うなずけます、確かに素晴らしい湖でした。

冬は凍りついたその上を車で走れるらしい、そう聞いたのはもう何年前のことか。。。夢は実現するものです、凍りついた沖合に10㌔も走れば 走ってきた湖岸の景色も消え視界360度 景色は何もなし。この宇宙に自分一人だけが生き残ったような真っ青の絶景が広がりました。
夢は必ず実現するもの、叶えられた夢に心から感動したのを覚えています。