2013年1月31日木曜日

ハバロフスク・ハバロフスク


ウランウデを出発して4日間音信不通で心配かけ申し訳ありませんでした。USBモデムのおかげで毎日こちらからはメールやネットはなんとか閲覧できましたが 遠い遠いシベリア僻地のこととて電波も弱く どうしても発信ができませんでした、ごめんなさい。
あれから丸4日、ウランウデからハバロフスクへの道。中国の国って入道雲みたいに北に張り出しているんですね。その入道雲をぐるりと一周しないとウラジオストックに辿り着けない。

行きは良い良い、よくもまあこの道を走ってきたもんだ、距離や辛さを知っているだけに帰りの道の長いこと!ロシアって片道ならまだしも往復って絶対にできないね、つくずくそう思いました。まして帰りは連日雪、ハバロフスクへの道は壮絶な戦いの道でした。この4日間走行2968㌔、本日は817㌔11時間の運転。やっとハバロフスクに着きました。なんとかかろうじて生きています。

Gちゃんの過去最高記録は米国モンタナ州ツインフォールズという町からシアトル経由カナダバンクーバーまで1250㌔14時間の走行。自慢したいんじゃありません。国境での入出国手続きも含めて14時間。シベリアと同じような厳冬期の吹雪の中を走りながら米国とロシアでこれだけの差が出てくる、同じボロパジェロで走ったというのに。。。幹線道路にしてはお粗末すぎる道路状況、道路標識、トラフィック、交通インフラ、、どれほど冬のロシア走行が厳しく過酷か分かってもらえるでしょうか。。分からないか。分かる必要もないか。そりゃそうだわな。

降雪中や積雪中の道路では遅い車を追い抜けないのです。長距離大型トラックの巻き上げる雪煙は後方300メートルになれば視界5m。真後ろは完全に視界ゼロ。前方とは4~500㍍の車間距離をとらないと安全運転できない。トロトロと延々と走る遅い車。光々と光るGちゃんのヘッドライトはバックミラーにも見えているはずなのにこの国では後方車に道を譲るルールはないらしい、ノロノロと我が道を走って1時間も2時間も、何が悪い?!てな感じ。
意を決して追い抜くには 狭い対向車線に飛び出て追い抜くしか方法はなし。。車間を詰めて行けば前方がカーブなのか直線なのかさえ見えなくなる完全なホワイトアウト。運を天に任せた追い抜き、向うから車が来ればそれで終わり。。雪煙の中に突然現れた対向車の運転手の恐怖に引きつる顔。あの表情は一生忘れることはないと思います。運を天に任せたGちゃん生まれて初めての死との直面でした。

冬のシベリア走行についてはマニアにはいくらでも詳しく報告させてもらいますが、まずは普通の人は目指さない方が良いでしょう。壮絶としか言いようのない帰路3000キロの戦いでした。ああしんどいどころの騒ぎじゃなかった。着いたハバロフスクのホテルの日本レストラン、よくぞ生きて帰って来られたことか、飲む熱燗の染み渡ること。人生観の変わるほどのものでした。

人それぞれ、生き方も違うし考え方も違う色んな人生。そして自分はどう生きるのか。身体が勝手に動いて誰かにハンドルを切ってもらっているような毎日、無事帰国すれば亡き父や母の墓前に挨拶に行こうと思います。こうして生かされていることへの喜びと感謝。なにをしたいのか、どう生を全うしたいのか、いつかは同じ墓に入る息子としてこれからも自分自身の生を見詰めたいと思います。

いやだね、年寄は。飲めばホラ吹くかキザになるだけ。でもね。多くの人の応援や励ましに感謝すると同時に、その原点、親不孝ばかりだった両親への思いは尽きないものがありました。愚息に呆れ返ってるかなぁ~。。。この歳になって誰もそんな話はしないけど、帰ったら仲間や友達ともまたそんな話をしてみたいなぁ。