2013年12月11日水曜日

どんな家庭じゃ?!




 Gちゃんの大冒険プログ。長い長い休刊を終え 10か月ぶりかで一昨日に突然アップしたんですがね。反応もなし、しばらくどうせ誰も読む人なんていないだろう。。。翌朝ビックリ。先輩やら同僚やら同窓生から5通もメール。「おい、また行くんか~!」

寒くなってきたら条件反射のように皆 Gちゃんを思い出すのか、アップして翌朝。。。それにしても休刊中のプログを今か今かと毎日開けてチェックしてくれていたこそのメール。ありがたいというか 期待してもらってたと言うか、いやはや長い間お待たせしてそれはすみませんでした。

凄いな~!夢を叶えてくれよな~!。。。。前回の冒険旅行みたいな励ましの感想は今回絶無。
「ま、オマエならやるわな。」「そこまでロシア語に必死になるのはなにか他に人には言えないワケでもあるんかい?」「ようやるわ」。。みんな冷めた辛らつなご感想。ま、笑って許せますよねここまでなら。

ムカッ~とくるのは後半の感想。「オマエの家庭ってどうなってるんや?!」「よくヨメさんや家族が黙ってるな?!」「ホントによめはんと同居してるの?!」「何ちゅう家庭や?!」
あげく 「そんな所へ行かすヨメはんの顔が見てみたい!」
ほっといてくれ、人のよめはんの詮索まで いいかげんにせい!!といいたい。アタマに来たとはこういうことを言う。

遊び半分で始めたこのGちゃんの大冒険プログ。言葉の端はしには平和で幸せなGちゃんの家庭のことは書いてきたつもりなんですがね。だいたい 自分の家族のことや妻のことをベラベラと人様に自慢したりしゃべるような歳でもなし、そんなことは自分だけが知っていれば良いこと.で済ましてきたんですがね。

オマエら そこまで言い切るんなら 見せてやろうじゃおまへんかGちゃんの家庭。
百聞は一見にしかず。見たら分かるやろ これが人もうらやむGちゃんのご家庭じゃ!

「わたしは じまんのまごです」小学校一年のホノちゃんが作文に書いて教員室で大笑いになったらしい。笑いの絶えない、そんな明るい Gちゃん自慢のご家族なんです!みんな暖かくGちゃんをシベリアに送り出してくれてる。人のよめさんのこと二度とごちゃごちゃ言うな。参ったか!





 

2013年12月8日日曜日

第二回 シベリア遠征

また寒い冬がやってきました。早いものであっという間の1年、みなさま お変わりなくお元気にすごされていますか。 あれからロシア語の勉強だけで生きてきたGちゃん、今ではすっかりペラペラになって自信も付けて!

今回はシベリア極寒の地 ヤクーツクを目指します。夏でも永久凍土が地の下200㍍まで!そりゃそうでしょう、マンモスの生が出てくるのも不思議じゃない。さぞかし冬は寒かろう。だからこそのGちゃんの挑戦。あと一か月、2014年1月中旬の出発。愛妻の稟議も無事決済、ビザ申請、フェリー予約、パジェロの防寒対策、現地情報の入手と忙しい毎日を送っています。

この10か月、さすがのGちゃんもロシア語だけは真剣に頑張りました。24時間ロシア語のシャワー、寝ても覚めても。トイレの中でもロシア語のテキスト。語学は勉強や記憶力じゃなく「慣れ」、それに 何を始めるにしても遅すぎるということはない、つくずく実感。

神戸新聞会館ロシア語教室の元春先生ありがとうございました。プーチンと北方領土を論争するほどの語学力はないけれどね、ここまで日常会話ができたら冒険旅行も片目のケンケン、恐いものなし。。。。ロシア語が全くできず門前払いさせられ屈辱に泣いた昨年の経験、いやはやあの悔しさはバネになりました。皆さまの応援をおねがいします、行ってきます。ダスビダーニャ!

2013年2月6日水曜日

Россия до свидания さようなら

Спасибо вам всем! Это была интересная поездка. Я с нетерпением жду того дня, когда вы можете встретиться вновь. Надеюсь, что вы все хорошо

Thanks a lot for everyone.Was a nice trip & hope see you again in near soon.I'll come back to this beautiful country.Thanks Russia again.

ありがとうございました。すばらしい旅でした。またお会いできる日を楽しみにしています。
ロシアのみなさん お元気で。



長い間のプログ愛読ありがとうございました。これにてしばらく休刊させていただきます。
苦しくも楽しい次の冒険談の またお伝えできる日の来ることを願っています。応援ありがとうございました。皆さまもお達者で!

今回のロシア旅行の写真をまとめました。下記をクリックください。
https://photos.app.goo.gl/5GhyZA6TAgjmbFq58


またGoogleにこれまでの冒険旅行写真の一部を掲載しています。ご興味あればご覧ください。
https://photos.app.goo.gl/c4KCtPFDEZRWEGng6 
https://photos.app.goo.gl/NGt9tteqEkG9tbnc6


いずれの写真もダウンロードできます。自由に転用していただいて結構です。


2013年2月5日火曜日

Замечательные люди люди すばらしい人々










親の猛反対を押し切ってやっと手に入れた大好きな娘。そうか、涙の出るほど感無量か。先は長いぞ。。

冬の景色も素晴らしかったですが 人々の表情にも素晴らしいものがありました。

誰もみんな快く写真を撮らせてくれました。ありがとうございました。
いつの日か またぜひお会いしたいと願っています。 

  



後日追加:
  
ロシアからの車両通関業務を一切やってくれたユーリーとスベトラーナちゃん。世話になりました。プログに美人のスベトラーナちゃんの写真が無いとクレーム、やむなく本日添付。。。次回に会うときはGちゃんロシア語ベラベラ。その後Gちゃんに刺激されたスベトラーナちゃんは日本語を猛勉強中とのこと。やるね、若い人はガッツがあって。大きな夢がうれしいね。





2013年2月4日月曜日

ごくろうさまでした

よく頑張ってくれましたパジェロ。ウラジオストック埠頭にある税関に引き渡してきました。次に会えるのは鳥取県境港。ゆっくり休んでください。
今回の旅、英語が通じるかもと出来るだけホテルに宿泊しましたが 駐車場は全て屋外の青空駐車。ロシアには建物内のパーキングなぞ初めから一流ホテルでもないようです。一番気にしていたのは夜半の冷え込みです。バッテリーやオイルヒーターの暖房設備のないこの国、朝のエンジン始動を一番危惧していました。今から思えばバイカル湖を目前にした野宿の夜が一番冷えたように思います、零下40度を下回っていました。それでも何の問題もなく一発エンジン始動。途中で窓ガラスが閉まらないアクシデントに見舞われただけ、本当に良く頑張ってくれ 愛着や思い入れがますます増してきました。

ロシア税関書類申請~車納車~フェリー会社確認の一連の作業は 到着時仲介のエーゼンシーLINKSのスベトラーナちゃん。とても一元のロシア語のできない外国人旅行者では勝手も土地勘もなく無理です。万時にそつなく作業を進めてくれました。税関提出資料だけでもちょっとした数十ページのレポート並み。23歳という、Gちゃんのサインした書類は全て自分のスマホに撮りこんで如何にも完璧な仕事。大助かりでした。。。おまけに美人。吸い込まれそうな青い目、賢そうな面立ち。もっと早く出会ってたらGちゃんの人生変わってたかも。

ちなみに日本へ車を送る必要費用は。ロシア税関事務代金16000円。車の海上輸送費と人間の一等キャビン乗船代を含めて700ドル。締めて8~9万円程度の勘定になります。安いか高いかは人それぞれですがGちゃんは安いと思います。仲介料も全て込みで車、人、ロシア往復合計20万円弱という感じでしょうか。バイクなら半分くらいで済むと思います。→バイクも同じ程度の費用が掛かるようです。

埠頭でスベトラーナちゃんと別れて。あとはもう足もなし。あっちこっち一人で散策してきました。雨が降ったらあくる日は寒くなる、日本の冬と一緒、真っ青な青空、外気は20度を下回っていたでしょうか、凍てつく寒さ。簡単にカメラのバッテリーは低下してくれる。それとGちゃんの疲れ。考えてみれば歩いたこともない毎日運転。運動不足なのでしょうか、物凄い息切れ。サングラスも置いてきたのでホテルに帰ったら完全な雪目 涙ぽろぽろ止まりません。何とか製薬の吉田くんの呉れた目薬。一度車のダッシュボードに置き忘れたら明くる日 目薬は見事なピンク色した氷になってた、また溶かして使ってるけど あれってマイナス30や40度でも変質しないね。アンタいい薬作ってる、ごくろうはん。

ずっとGちゃんの足だった車が無くなって 感覚の大混乱。便利な大都会の真ん中に居ながら未開の無人島に居る感じ、生活のリズムが変われば勝手も全く違う。歩くのさえままならず。。信号の変わりそうな横断歩道を急いで見事にスッテンころり。どこにでも見る哀れな年老いた老人、皆の同情の目が恥ずしいやら情けないやら。

在って当たり前の足が無くなる、いやはやその時の対応。在るうちにみなさんも心行くまで世話になった奥さんに孝行しときなはれや。無くなったら泣かんならん。。。なぬ?その言葉、Gちゃんにだけは言われたくない?!

2013年2月3日日曜日

帰国準備

あまりに可愛そうなのでパジェロを洗車してやりました。高圧噴射のお湯、タイヤ周りとボデー下から座布団みたいな真っ黒の氷の塊りがドスンドスンと。長い間お風呂で洗ってないGちゃんも家へ帰って洗ったらこんな調子かな。

屋外は氷点下なのでここシベリアは修理工場も洗車も何もかもドームみたいな屋内で。暖かい建物の中で シャンプーしてワックスまで掛けてハイ700円。安すぅ~!おかげでピカピカになりました、これで帰っても乞食には間違えられません。明日の昼に税関に持ち込みます。

時間があったのでショッピングモールに土産物になりそうなものを見てきました。行く前に楽天ショッピングでキャビアの値段を調べたら50グラム入りビン詰めが一個15~20000円。よくまぁこんなものを土産に買ってこいとしゃ~しゃ~と抜かしやがったものだ、ガキ友たちの厚かましさに今更ながらムカムカ。。。人の良さそうな老齢のオバサンに強引に試食させろと頼んだら。なんじゃこれは黒い色したイクラじゃねいか。ちょっと生臭くて塩っぽいだけで 目をつぶって喰ったらこれはイクラそのもの。一ビン50グラム8000円。吉兆かヒルトンじゃあるまいに この味この価格は成金のこけおどし。そりゃフォアグラの方が遥かに美味い。現地ロシア人もこの黒キャビアは食べたことがない、そりゃ当たり前だろう。それが正常な感覚。。。年に一回か二回、クリスマスや誕生日パーテーで食べるキャビアは同じチョウザメでも種類の違う赤キャビア。これは色形はイクラそっくり。これも強引に試食。ふん、けっきょく黒も赤も全く同じ味じゃんけ。こちらは一ビン1500円。これさえもマッタケを買うくらいの感覚かな、特別の時以外は買ったことないという。悪いけど買うの止めました。ロシアに行ってロシア人が食べたことのない土産を買って。それもイクラと同じ味。買って得意そうにプレゼントした人の、へへへ、人格が疑われます。

うろうろGちゃんなりにショッピング街。結論。買うモノ何もなし。マトリョーシカ?出しても出しても中から出て来るバカみたいな人形てかコケシというか。孫のほのちゃんでもバカにされる。どうしても欲しい人 今なら間に合う、大至急連絡乞う。ただし全部メイドインチャイナ。一番迷ったのがスモークフィッシュ。あの寒いバイカル湖湖畔の道路上で貧しそうな漁師の屋台で売ってた燻製。一匹50円だったか100円だったか 余りの美味さに仰天 ガツガツと二匹も平らげた絶品。さすがに大都会のモールだから値段はそうはいかないけれど それでも手頃。迷いに迷ったんだよなこの半加工品。腐るとか言う意味じゃなく税関輸入規制対象品。米国なら絶対に持ち込み禁止。見つかったらまた 年寄りをいじめる気か!って訳もなくがなり立てれば済むんだろうけどね。ね、できないよね 良い年の爺さんがね。。。結局何も買わずの時間浪費。いいけどね 暇だから。。。。旅行しても土産物なんて気にも買ったこともないGちゃん。だれか良い知恵あったら大至急教えて!!

せっかくだから最後に 夕陽に真っ赤に染まるウラジオストックの街や近郊を勝手気ままにドライブ 回ってきました。何とかで世界一だという湾に掛かる出来立ての立派な橋も車ガラガラ、米国並みの三車線高速道路も市内10キロ範囲だけ、終わったと思ったら急に砂利道の日本にもない凸凹道。何やねんこれは。昨年8月だったかのAPEC世界首脳会議に合わせて突貫工事したプーチンの見栄っ張り厚化粧工事って言われても これってそうとしか言えないよな。いやぁこれは何としてもモスクワは見てみたい。ナイフで削り落とすほどの厚化粧なのかなぁ。。。

街に溢れるレグサスやランクル、価格は日本で売ってる3倍くらい高いらしい。でもGちゃんの見た大多数のロシア、助け合って慎ましやかに日々を生きてる昔の古き良き時代の日本と一緒、地味で質素堅実。。。。田舎を回れば絶えず見かける野良犬。ドロドロの毛をまとって 食い物欲しさに物乞いしてる眼の哀れなこと。そう言えば昔は日本でも野良犬はどこにでも見かけたよな。。。野良犬だけじゃない。ガソリンが無くなって ワラをもすがる思いで入った田舎の一般民家の住民とその生活。。。

いえいえ、今日の同じ夕方たまたまね、郊外の瀟洒で豪華な高級住宅街を走ってたらね、かわいいテリアを散歩させてる母娘を見かけて。絵になりそうだから写真を撮らさせてもらったんですがね。実に良い顔してる。苦労もなにも知らずに。ホンモノの富裕層は顔を見れば一目で分かる。微笑んでもらったり笑ってくれたり 良いのを数枚カットさせてもらえましたがね。。

Gちゃんの持ってきたグリコポッキーを奪い合うように喰い争ってたあの見てきた田舎のドロドロの哀れな野良犬のイメージがダブってしまってね。実に複雑な心境でファインダーを覗いていました。
野良犬とテリアの差だけじゃない、人もみんな一緒。。。う~ん、ホントはどちらが幸せなんだろう。
むつかしいね。生きる意味って。。。。はい。これで来る時フェリーの免税店で買った1㍑ジャックダニエル完飲。酔ってこういうことを言い始めると人間てそう先は長くない。みなさんもお達者で。

2013年2月2日土曜日

旅の終わり ウラジオストック


面倒臭いし すっかりロシアの悪路にも慣れちゃったので ハバロフスクからウラジオストックまで800キロ、12時間。ウラジオストックに到着しました。あとは目と鼻の先の税関までパジェロを持って行くだけ。もうこれで運転しなくて済んだ。正直な実感です。3つくらい命拾いをした勘定になる、思い返しても背筋が寒くなります。ホテルの玄関前に停めたパジェロ。ドロドロ、こんなパジェロを見たのは初めて。可愛そうにごめんね。Gちゃんも頑張ったけれどこのボロ車、頑張ってくれたこそのバイカルまでの旅。帰ったらキレイに洗って再整備してやろうと思います。ちょうどロシアだけで8800キロ走ってくれました。

さすがに厳冬期のシベリアドライブはきつかった。予想以上、と言うか想像を絶するドライブでした。氷結、凍結、積雪した道路や低温は世界どこも一緒。日本や米国と大きく違うのは道路状況、インフラの決定的な遅れと運転マナーの悪さ。純朴で親切なロシア人しか見たことなかったのに運転させたら素養はゼロ。文句を言ってても始まらない、その流れに乗らないと走りきれない、、大阪の泉ナンバーの運転、と言っても分かる人は少ないだろうけど、要するに一般人なら呆れかえる運転をしないと乗り切れない厳しいレース。、、泉南の方 ごめんなさい。当然ながらあっちでもこっちでもスピン、追突。道路下への墜落。今日だけでも6,7台。いつも乗用車でした。凍結には慣れているはずなのにね。。Gちゃん、気の毒だけど絶対に助けません、そういう運転する人は覚悟の上でしょ、自己責任でペナルテー払ってください。

交通量が多いので道路上の雪や氷はどんどん変化して行く、もちろん陽当たり 日陰、登り下りの道路上の変化。刻々変わる道路状況を読みながらの運転技術と経験が求められます。まして速度80キロを超えると死んでもブレーキは踏んではダメ。うん、これでGちゃん 帰ったらクロネコヤマトか佐川急便の長距離トラックドライバーに就職できます。ま、だれも冬のシベリアなんて走りたいとは思わないだろうけど、神経のズタズタに磨り切れるバイカルへの旅でした。

2013年2月1日金曜日

ゆっくりハバロフスク


日本へのフェリー便が出るウラジオストックまであと1000キロ弱。ゆっくり二日間の行程、いよいよGちゃんの大冒険の旅も終わりに近付いてきました。ハバロフスクのホテルでゆっくり休養。ともいかず、部屋での無線ランがうまくいかず ロビーでパソコンを使いながらフェリーの予約やパジェロ税関手配や、、、白い目で見られながら 仕方ない、IP電話で大声で怒鳴りながら。

ロシア語のスパシーバありがとうしか知らないGちゃんにしてはバイカル湖まで良く走ったと思います。一番の功労はパジェロ。出発してから走行7000キロを超えましたがエンジン音は快適そのもの、まだまだGちゃんと一緒に世界を目指してくれると思います。

二番目の功労はやはりナビ。過去の北極海や北米への旅はランドマックナリー社の地図帳一冊だけ。ほとんど何も困らなかった。ロシア文字表示の道路標識、ナビなくしては絶対に在りえなかった今回のロシアの旅。昔に地図帳一冊だけでロシアを走った人がいると思う、凄いことだとつくずく尊敬します。大変だったと思います。。次のGちゃんの課題は決まっています。ロシア語の勉強とパジェロをヨーロッパから日本にどう送り返すか、その情報入手。そうそう、それに Gちゃんの冒険に呆れはててる家族の稟議書決済。ここまで来たらGちゃんもこれで止めるわけにはいきません。みなさん応援してくださいね。

バイカルからの帰路、どこかで何かのニュースでも流れたのだろうか、ガソリンスタンドやメシ屋、パジェロを停める毎に人々が集まってきてGちゃんやパジェロの写真を撮る。中にはプレゼントをくれる若いお嬢さんとか。まるで有名人みたい。写真だけじゃない、ムービーまで撮って。。戸惑いますよねこういうのって。。。ネット社会、どこでどう流れるか知れないユーチューブなんて、って思ったけれどね、ま いいか何をいまさら。先も知れてる。。。むかし仕事の出張で広島に行ったついで、優勝争い真っ最中の阪神/広島戦を見に行って。あくる日知らん顔して出社したら。仕事ご苦労さんやったな、えらい力入れて頑張ってたね。メガホン振り回してがなり立ててる映像がテレビに再三放映されてたらしい。。分からんようにサボりや!阪神の優勝を一緒に喜んでくれた上司、いまどうしてはるかな。あのころの日本は全てに余裕があったいい時代でした。

ロシア人の純朴さ、親切さは先に触れました。気が付いたのは生活の経済的格差。見た限り一般の人々は決して裕福じゃないと思います。むしろ貧しい。車など日本の○○商店、××工務店看板付きは常。東ドイツのあの何とかいう化石のような乗用車が走ってる。さんざん使い古したはずの中国の漢字の看板付き中古トラックまで。我が目を疑った、あきれはてた。Gちゃんのパジェロが20万キロを超えたなんて自慢どころかシャレにもならない。そして方やレグサスやクラウン、並みいる世界の高級車。今回の旅ではいわゆる富裕層との知り合える機会はありませんでしたが この国の格差は中国並みかも。とてつもなくその差は大きい。そう感じます。物質的に豊かなのは大都市だけ。地方では貧しい者同士がお互いに助け合って必死に生きている、そんな地域格差も見て取れました。零下何十度という夕方の自動車道、乗せてくれとヒッチハイクしてる貧しいお婆さん、振り向きもせず走り去ってごめんね。停めて乗せてあげる気持ちの余裕もなかったGちゃん。苦労の年輪を重ねたあの顔や表情はきっといつまでも覚えてるでしょう。

治安は予想以上にいい。ハンドルロックと言って車のハンドルに鉄のバーを差して一晩駐車しておく盗難防止器具。北米中米では屋外駐車で常識。今回使ったのは初日だけ、むき出しのルーフに積んだガソリンやタイヤその他、一切盗難なし。聞いてた警察の検問も大したことなし。日本の常識程度の検問。むしろ好意的。。ははは、一度スピード違反でとっ捕まっちゃった。60のところ98出してるって、証拠の写真を示してね。奥まった別室で三人がかりで若い巡査。なにいうてまんねん こんなロシア語も読めん年寄りをいじめて。はちゃめちゃの河内弁。取り調べ完全にお手上げ、最後は勤務中だというのにタバコ吸いながらGちゃんとパジェロをバックに記念撮影。ロシア語を喋れんワシも悪いけど 悔しかったらアンタらもカタコトの英語くらいしゃべれ!スピード違反無罪放免。はいスパシーバ!

英語。ほとんど壊滅的。通じない。不思議なのはその態度。人間はロシア語をしゃべる動物。英語しか知らないアメリカ人の発想と一緒。大国のエゴ。東洋の思想や考え方と大違い。日本を含め東洋の国々では 外国人から英語でしゃべりかけられたら、、避けるけど、つかまったら、、必死で無い脳みそひっくり返してあらん限りの英語で応えようとする。外国人相手にベラベラ日本語でしゃべってる人って見たことないよな。。。ガッカリは若い世代。高等教育を受けていると聞いてきたがほとんど全滅。大都市でもね。テレも恥じらいもなくロシア語を延々としゃべってる相手に出くわすと こいつバカじゃねえのって思います。ま ロシア語のできないGちゃんが一番わるいんですがね。

厳密には今回のGちゃんのようなロシア自由旅行は禁止。今回も商用ビザというのを取って仕事で訪露していることになってる。(Gちゃん本人自身も自分は何の仕事で訪露してるのか知りませんがね)。現在の観光旅行は全て旅行社主催の短期パック旅行のみ。ガイドさんの旗の下で定められた都市間を移動して決められたホテルに泊まってくださいということ。。。良いとか悪いとかじゃない、世界の共通語は英語、受け入れ態勢にそれが無いと観光客も大々的には受け入れられない。それがこの国の現実と限界、そんな気がします。フランス語しかしゃべれないモントリオールと一緒、全く英語に馴染みの無い国でオリンピックを開いて 長い時間を掛けながらひとつひとつ門戸は広がっていくのでしょうか。ロシア大阪領事館、ロシア語しかしゃべれなかった領事館員、ビザを取る時にあきれ果てたけど 今になって分かります、あれが当たり前だったのですロシアという国では。なんで英語や日本語をしゃべらないけませんのや?ワテは大ロシア帝国民でっせ!そかそか 大したもんや。

ゆっくり風呂につかって下着も着替えてさっぱり。無精ひげも剃っていよいよ明日からラストラン。行程からどう見ても前に泊まった幽霊の出るホテル辺りが宿泊地。なつかしいなぁ、寒くって寝袋で寝たよな。ギギギ~勝手に開く部屋の木の扉、また聞きに行くか。。。今夜は部屋にある電気ポットに 持ってきたカレーライスと焼きそばのパックを突っ込んで。ホテルの日本レストランより遥かに美味しい日本食でした。おやすみなさい。

2013年1月31日木曜日

ハバロフスク・ハバロフスク


ウランウデを出発して4日間音信不通で心配かけ申し訳ありませんでした。USBモデムのおかげで毎日こちらからはメールやネットはなんとか閲覧できましたが 遠い遠いシベリア僻地のこととて電波も弱く どうしても発信ができませんでした、ごめんなさい。
あれから丸4日、ウランウデからハバロフスクへの道。中国の国って入道雲みたいに北に張り出しているんですね。その入道雲をぐるりと一周しないとウラジオストックに辿り着けない。

行きは良い良い、よくもまあこの道を走ってきたもんだ、距離や辛さを知っているだけに帰りの道の長いこと!ロシアって片道ならまだしも往復って絶対にできないね、つくずくそう思いました。まして帰りは連日雪、ハバロフスクへの道は壮絶な戦いの道でした。この4日間走行2968㌔、本日は817㌔11時間の運転。やっとハバロフスクに着きました。なんとかかろうじて生きています。

Gちゃんの過去最高記録は米国モンタナ州ツインフォールズという町からシアトル経由カナダバンクーバーまで1250㌔14時間の走行。自慢したいんじゃありません。国境での入出国手続きも含めて14時間。シベリアと同じような厳冬期の吹雪の中を走りながら米国とロシアでこれだけの差が出てくる、同じボロパジェロで走ったというのに。。。幹線道路にしてはお粗末すぎる道路状況、道路標識、トラフィック、交通インフラ、、どれほど冬のロシア走行が厳しく過酷か分かってもらえるでしょうか。。分からないか。分かる必要もないか。そりゃそうだわな。

降雪中や積雪中の道路では遅い車を追い抜けないのです。長距離大型トラックの巻き上げる雪煙は後方300メートルになれば視界5m。真後ろは完全に視界ゼロ。前方とは4~500㍍の車間距離をとらないと安全運転できない。トロトロと延々と走る遅い車。光々と光るGちゃんのヘッドライトはバックミラーにも見えているはずなのにこの国では後方車に道を譲るルールはないらしい、ノロノロと我が道を走って1時間も2時間も、何が悪い?!てな感じ。
意を決して追い抜くには 狭い対向車線に飛び出て追い抜くしか方法はなし。。車間を詰めて行けば前方がカーブなのか直線なのかさえ見えなくなる完全なホワイトアウト。運を天に任せた追い抜き、向うから車が来ればそれで終わり。。雪煙の中に突然現れた対向車の運転手の恐怖に引きつる顔。あの表情は一生忘れることはないと思います。運を天に任せたGちゃん生まれて初めての死との直面でした。

冬のシベリア走行についてはマニアにはいくらでも詳しく報告させてもらいますが、まずは普通の人は目指さない方が良いでしょう。壮絶としか言いようのない帰路3000キロの戦いでした。ああしんどいどころの騒ぎじゃなかった。着いたハバロフスクのホテルの日本レストラン、よくぞ生きて帰って来られたことか、飲む熱燗の染み渡ること。人生観の変わるほどのものでした。

人それぞれ、生き方も違うし考え方も違う色んな人生。そして自分はどう生きるのか。身体が勝手に動いて誰かにハンドルを切ってもらっているような毎日、無事帰国すれば亡き父や母の墓前に挨拶に行こうと思います。こうして生かされていることへの喜びと感謝。なにをしたいのか、どう生を全うしたいのか、いつかは同じ墓に入る息子としてこれからも自分自身の生を見詰めたいと思います。

いやだね、年寄は。飲めばホラ吹くかキザになるだけ。でもね。多くの人の応援や励ましに感謝すると同時に、その原点、親不孝ばかりだった両親への思いは尽きないものがありました。愚息に呆れ返ってるかなぁ~。。。この歳になって誰もそんな話はしないけど、帰ったら仲間や友達ともまたそんな話をしてみたいなぁ。

2013年1月27日日曜日

再びウランウデ

撤退、挫折感、これで良いんだという自分自身への弁護や弁明、くやしさ、、結論の無いいろんな感情のまぜこぜの退却第一日のドライブでした。虚脱感は大きく たいがいは陽気で明るいGちゃんですがかなり沈み込んでいました。

大きなロシアに相手にもしてもらえず跳ね飛ばされてしまった自分。。。悔しさは必ずいつの日かは倍返し、逆境からいつもそんな生き方をして乗り越えてきたGちゃんですが。
今のGちゃんにはそれを言う資格さえないように思えてくるのです。悔しい自分自身に苦しんだ一日でした。涙があふれて止まりません。


夕食後 孫のほのちゃんとSKYPEをしました。よかったね爺ちゃん、ほのちゃんの弟の生まれるのに間に合うね。。。Gちゃんには二人目の孫、初めての男の子。2月中旬の予定。そうだ、そうだ、これで良かったんだ、孫の誕生に間に合うんだ。そんな幸せってないじゃないか。

2013年1月26日土曜日

リストビヤンカ






バイカル湖岸の休養地リストバヤンカ。そういえば今日は土曜日でした。家族ずれがいっぱい。凍った湖の上で実に楽しそう。
すっかり休養したGちゃん、久しぶりに美しい景色に興奮、はいはい、撮りまくりました。もうこれで秋の作品展は決まり。マイナス15度で大変暖かい日でしたが撮影に夢中になっているとさすがにシャッターを押せないほど凍えてしまいます。


夕方ホテルに帰ってきたら休日だからか結婚式をホテルでやっていました。新郎は「てめえ、もっと腹に力を入れやんか!」と言いたくなるほどの菜よなよした男。新婦は何でもテキパキ、才女風。よくあるよなぁこの組み合わせ、恐妻人生その1というパターン。どういう風の吹き回しか披露宴の写真係にGちゃん。入って来いと言う。まかしてんか!一生の記念に残るのを撮ればいいんでしょ!物怖じなんてハナから持ち合わせてないGちゃん、一族がそろって歓びあう新しい門出の幸せを十分楽しまさせてもらいました。長い長い人生、力を合わせ幸せな家庭を築くよう心から願いました。

まだまだ続く披露宴を丁重にお礼を言って部屋にすっかり遅く。明日の出発の準備を始めました。ここイルクーツクを最終地点にウラジオストックに戻ることに決めました。モスクワは目指しません。

3日間十分に休養、同時に素晴らしいロシア、特に普通の人々の暖かい心や親切さ、まじめさ、誠実さに慰められるここ数日でした。おどろくほど素晴らしい人々を垣間見ました。ロシアは奥が深い。長距離トラックドライバーではなく 一つの町に滞在し人々と触れ合えたことが 今まで漠然と感じていた旅の進め方への大きな契機になりました。

モスクワへの道を進めるかどうかはGちゃんなりに十分に考えたつもりです。応援してくれている仲間や友達を思えばここで旅を止めることは断腸の思いがしますし、今のパジェロの状況からすれば可能と判断されます。じゅぶんにロンドンまで走ってくれると思います。赤の広場で校旗を振ってくれよな!という友の冗談もGちゃんには本心でした。

引き返す一番大きな理由は人との触れ合いです。過去に何回も旅行は重ねてきました。恐らく普通の人よりは遥かに、いわゆる海外旅行は経験していると思います。そしてそこで得たものは何か。

南米アンデスの最高峰アコンカグアを登ったことなんて全く覚えていません、覚えているのはラバに登山道具を積んでベースキャンプまで一緒に苦労して登った貧しいポーター達との焚火を囲んだ夜の語らい。染まるような満天の星の下でマテ茶を飲みながら過ごした夜。海外への山はみんなそんな思い出ばかりです。中南米、ヨーロッパそしてアメリカ。いま確信して言えることは、時が経って記憶に残るのは 行ったという結果じゃなく 名も無い人との語らいや触れ合いや思い出のように思います。人との触れ合い、そして自分との対話。貴重なカネと時間をかけてこれを得るために知らない土地を人は旅するんじゃないか。誰の為に生きているのではなく自分自身が納得できる生き方をしてみたい、幸せを願って人々が必死に生きている そんなものを見たい 探したい、それこそがいついつまでも自分の財産として励みとして残っているように思えるのです。 

ロシアの片りんにちょっと触れました。そしていちばん感じたことは ロシア語の読み、会話のできない人間にはもったいなすぎるほどこの国は素晴らしすぎるということが見えてきたことです。モスクワへの旅を続けてもそれはそれなりに収穫はあると思います、しかしいったん退却し最低限度の会話のできる自分になって再挑戦する方が当初からの夢を達成できる一番の近道のように思えてきたからです。体制を立て直し出直す方が遥かに大きなチャンスが残されている。これがこれまでもやってきた自分のやり方、そう考えたからです。

万事 変わり者で変人だったGちゃんですが ウラジオツトックへ引き返しいったん帰国させていただきます。ほんとうに皆さんの応援をありがとうございました。期待や夢を裏切って申し訳ありませんでした。ロシア語のおはようも言えない自分が情けなすぎます。今までの経験で何とかなるだろうと思っていた自分に哀れささえ感じます。帰ればGちゃん、歳との競争が待っていますが、必ず必ずまたこの地に戻って来る、そう念じてやみません。ロシア語のできない自分が悔しくてなりません。そんなヤツは出直して来い、この大きなロシアに怒鳴られ叩きのめされた思いがします。悔しいけど出直します。

ごめんなさい、へべれけ。書いてるさいちゅう家族が呼びに来た。カメラはやめて飲みに来い。Gちゃん 酒は弱い、でも美味しい酒なら大好き。言葉はわからんけどヤツラ本当に純朴で誠実。両家の両親の芯からうれしそうな噛みしめる安堵、歓びの表情がたまらなく印象的でした。みんなみんなこういうひと時を味わって幸福に浸るんだね。長い人生、みんなみんな夢を追い求めて生きていくんだね。
乱文おもいつくままGちゃん、読み苦しかったと思います。ここまで読んでくれてありがとうございました。

2013年1月24日木曜日

イルクーツク


バイカル湖。シベリアの真珠。冬は凍結して車で横断できるらしい、そんな話を聞いて驚いたのは何年くらい前のことだろう。寒いんだな、凄いんだな、感心して聞いたそんな夢が本日やっとやっと叶いました。やったぁ~!やったぞ~~!岸も何も見えない沖合にパジェロを停め 大声というより狂ったように叫んでいました。感激と感動、涙が吹き溢れ声をあげて泣き叫んでいる自分の感情を抑えることはできませんでした。夢がかないました。人生最高の幸せをかみしめています。本当に本当にみなさん 応援ありがとうございました。人生最高の贅沢を味わわさせていただきました。Gちゃんは世界一幸せな男です。ありがとう、本当にみなさんの励ましや応援のおかげで夢がかないました。

寒かろうと保育園に行く孫のホノちゃんが毛糸で首巻を編んでくれました。そんなに辛かったら 車をほってそのまま飛行機でかえってきたら?昨夜愚妻に言われていました。モスクワに行ったら帰りは同じ道を通らずインドを回って帰ってきたらどうや?!という訳のわからない激励をしてくれる高校時代の同窓生が居ました、自分のことのように心配し応援してくれる多くの職場の上司や同僚、部下が居ました。忙しいのにロシア情報を電話で懇切に支援してくれた東京の青山さん、パジェロを完璧に対策してくれた神戸のモトレージさん。そしてもっともっと多くの 陰ながら応援してくれてた多くのみなさま。ほんとうにGちゃんは素晴らしい人々に囲まれ見守られてここまで来れたんだなぁと思います。

イルクーツクのホテルはお祝いの意味も込め超一流、ジャケットを持って来なかったのを恥じるような静かで上質のレストラン。Gちゃん好みの、昔のエリザベステーラーみたいな魅力的な面立ちの歌手の歌う一番前に座らせてもらえて、いやぁ~!最高の祝賀会。生まれて初めてのウオッカの飲み過ぎで支離滅裂、ごめんなさい。決して「泣き上戸」じゃないのですが、Gちゃんの周りを取り囲み見守ってくれた多くの人々の気持ちを思う時 心からの感謝と、古いですが恩返し、次にお返しするのはGちゃんの番、、、苦労がおおきすぎただけに感慨もひとしおの偽らぬ心境です。一人でしんみり味わう祝賀会、感慨に涙がとまりません。

最高の贅沢だと思います。凍りついた冬の北極海をマイカーで走る。凍りついたバイカルを走る。とりわけバイカルの素晴らしさは北極海とはまた違う趣。氷の透明度。ブリザードで積もった積雪はせいぜい2センチ程度、つまり360度、どこでも気の済むまで走れる。凍った氷が北極海のように移動しないので全湖がフラットだからです。10キロも沖合に出たら対岸も、来た岸も視界から消えてしまい全視野自分を中心に真っ青の氷の世界。この世の中で自分だけが生き残ったような、そんな今まで体験したこともない異惑星の世界のような風景が始まります。感動と興奮、感激、そして感謝。本当に冬のロシアに来て良かったと思いました。

写真教室のみなさん。写真?撮りまくりましたよ。ジッッオーの三脚、マンフロットの雲台、パジェロより高くついた広角レンズ、、凍りついたら困るので使いもしないのにホテルの部屋に毎日運び込んでたお荷物だけだった撮影機材。この冬のバイカルを撮りたいためだけに入ったような写真教室。まかせなさい!今秋の作品展はGちゃんはバイカル一色で行きます!皆さんも絶対に見に来てくださいね。

同志社の同窓生のバカもん。キャビァを土産に買ってこいとか、ロシアのお姉ちゃんにはご挨拶しただろうな?とか勝手なことをぬかしやがって。言われた通り、零下20度の寒い中で校旗をバックに記念写真は撮った。おかげで指が真っ黒けの凍傷になっちまったけど、いやぁ~ おまえらの喜ぶ顔を思い浮かべるとちっとも苦痛じゃなかった。せめて帰ったら下手なゴルフをバカにしないでいただきたい。

いけません。年寄りの酔っ払いはぐだぐだが多すぎて。好きなバーボン、生まれて初めてのウオッカ、ビール、飲んでも飲んでもどれもこれも うまい!フロントのお嬢さんが可愛くて親切でキレイな英語で。食事の注文もバーも全て通訳代わり。明日はロシアの国旗を買って来てくれるんだって、Gちゃんが頼んだ、パジェロの後ろにたなびかせて走りたくてね。楽しまさせてくれてるロシアへの敬意のつもりです。。。うん、みんな疲れ切った年寄りにはどこの国の人も親切だ。

気に入って、今晩だけじゃなくこのホテル、連泊に決めました。明日のブログはお休みにします。しばらく目がとろけるほど眠りたい。ほんとうに みんなみんな ありがとう。。。おやすみなさい。

追記;野球部の浅井くん。ファーストで4番だったんだって。健康少年優秀賞ももらったんだって。Gちゃんがまちがえてるとエライ怒っとる。この世界情勢、モスクワからインド経由でどうして帰るんじゃ?!おぬしの描いてる世界地図は50年目前の中学地理そのまんま。

2013年1月23日水曜日

ウランウデ




 



黄金の腕じゃなくウランの腕かい?!モンゴル国境に近いこともあり放牧や牧畜が盛んな様子、小さいころから乗馬は腕に自信があるのでしょうか。チタから700キロ、ウランウデの町にやって来ました。8割ほどがモンゴル系に見える、これまでのロシアとは住民の様相が一変しました。標準時間も1時間取戻し、やっと日本と同じ時刻になりましたが 相変わらず日の出は朝の10時半 日の入りは6時半ごろです。

チタを出たのは真っ暗な朝7時半、数えると10時間の運転になります。平均時速70キロというのは相当に無理をした運転です。狭い対向二車線での追い抜きは非常に危険で なおかつ道路は当然凍りついていますので一瞬の気を休めるひと時もなくホテルの部屋へ入ったらバタンQの状態。ロシアにラリードライバーに来たのかと反省するのですが それくらいの距離を稼がないと次の町に行きつけないというのもあり 相変わらず悪路の長距離ドライブに苦労しています。

Gちゃんはロシア語の読み書き会話は全くできませんので 旅の楽しみ、現地の人としゃべり語り合う収穫が皆無、ただ黙々と運転しているロシアの旅に不満と疑問がでてきました。人との語らいだけでなく車のことでもロシア語のできないのは致命傷になりかねません。

昨日運転席側の窓ガラスが上がらなくなってしまうというトラブルに見舞われました。凍りついてモーターが稼働しなくなったのですが 恐らく日本でなら自分でも直せたと思います、この時期、ここシベリアでは屋外では手がかじかんでドライバーすら長くは握れません。素手ではもちろん作業はできません。あとは修理屋、日本ならHONDAやTOYOTA、街で見かける看板のどこでもいい、デーラーに持ち込めば後はゼスチャーででも通じるでしょうが その看板すらシベリアでは全く見たことがありません。修理工場がどこにあるのかないのか聞くのも探すのも大変な苦労。幸い親切なドライバーのおかげで100㌔あまり先のチタ市内にある修理工場まで案内してもらえ これまたGちゃんの夢に感動した修理工場で「タダ」で直してもらえましたが。。。駆動系やエンジン、足回りの複雑で技術的な故障を予想するとかなり先々にも不安を覚えています。英語でなんとかなる、軽く考えていたロシア語が ボデーブローを受け続けたような大きなツケとなって覆いかぶさって来たように思います。

明日は夢だったバイカル湖の町イルクーツクに入ります。ガイドブックを見れば英語の通じるホテルが数軒ありそうですので、またまともな写真撮影をする時間もなかったので休養方々ゆっくり2~3日滞在するつもりでいます。

2013年1月22日火曜日

シベリア最深部チタ

チタに到着しました。2日間で1498キロの走行、もうくたくた。もう一度この道を帰るの?パジェロが無理というよりGちゃんが無理、そんなことしたら死んじゃう。。。無理してロングドライブしてるんじゃない、沿線に適当な宿が無く、ナビで調べたら40キロ、50キロも沿線から離れてしまうのが常、夜暗くなってから田舎道に迷い込むわけにもいきませんしね。まして野宿なんてこの冬には自殺行為、避けるに越したことはない、、、意に反して昨夜やむなく車で寝る羽目になっちゃったけどマイナス40度の車内。冷たいでした。


ウラジオストックからチタまで、3000キロ走ったことになるけど景色単調、全く一緒、変わらず。気晴らしにもならずひとり旅ではこれが一番疲れます。予想はしていたけれど想像以上 これならシベリアを走ったというだけのことになっちゃう。いやぁ困りました。

夕陽。素晴らしく美しい。大発見!西へ向かって時速100キロ位で走ったら地平線に沈んだ夕日、ややもすれば再び昇ってくる、ビックリ。この時期夕日は西じゃなしに南西方面に沈むのですが あがる夕日に感動、地球は丸い。そう言えば地球は時速60キロで自転してたはず。。。
その逆、今朝みた、朝日がなかなか上がってこない、下手すれば昇る朝日が沈んでいく。バックミラーで目撃。いやぁ~これって 学校でも教えてくれなかったよなぁ。地球のふしぎ。

チタってオリンピックやるの?デカい町。中央広場を見下ろすいいホテル、従業員のだれも英語のしゃべる人が居ず 大丈夫?こんな町でオリンピック開けられるの??
朝10時ころはまだ暗くって今は夕方7時、ちょうど日本の夏みたい まだまだ明るい。どうなってんだろう。疲れと寝不足のGちゃんこれで本日終了、これから暖かいベッドでとにかく寝ます。

追記;オリンピックをするのはソチだった、Gちゃんの思い違い。ソチとかチタとかややこしいけど ムチはいけません。

2013年1月19日土曜日

ハバロフスク



シベリアの夕日。

夕陽に被さる建物と送電線鉄塔。その向こうの遥か彼方の地平線に沈む太陽。延々と広がる大地の大きさが分かります。











逃げるようにやっとたどり着きましたハバロフスク。林立するホテル群。豪華な造り、快適な設備、ウエイトレスまで流ちょうな英語、横になっても寝れそうな清潔なキングサイズベッドと広いバス。やっぱり都会はいい。

昨夜はけっきょく夜半に車から寝袋を取り出して寝る羽目になりました。あの瀟洒なはずのホテル、寝ようと思ったらベッドの毛布、うちのコロの小屋の毛布より薄汚いペラペラ。それでも我慢して耐えに耐えたのですが凍死には勝てん。おかげで朝の9時半にたたき起こされるまで暖かい寝袋で爆睡できましたけどね。一泊2000円に喜んでたらとんでもないオマケ付きでした。貧乏人の真似をして粋がってたらあきまへんでお坊ちゃま!よく幼少の頃ウバが言ってたよなぁ~。歳を取ってもついつい育ちが出てしまいます。はい。

本日走行550キロ。何が何でもハバロフスクに行くと決めてた。アムール川沿い、一番豪華そうなのを狙ってチェックイン。部屋の家具は全てマホガニー、眺望抜群、清潔で広い部屋、ネットができるできないなんて言う以前、静かで暖か。展望台には日本レストラン。これこそエエとこのお坊ちゃまにはふさわしいお宿じゃおまへんか。3450ルーブル 約1万円弱。
折から素晴らしい夕日。写真教室のメンバーが見たら溜息つくだろう、一回もまだ使ってない撮影機材を思わず開けて部屋から撮影。

一週間ぶり、我が家を出てから初めてのシャワー。美味い刺身に熱燗。仕上げは味噌汁に飯をぶち込んでニャンコごはん、たくわんぼりぼり。究極の日本食。飲み過ぎちゃいましてね、どういうわけかプログアップ、もう何時間も格闘。書いても書いてもアップできずに消えていく。飲んだら書くな、書くなら飲むなということか。

快適ホテル。気分爽快。あすもう一泊するかも。先を急ぐ旅でもないもんね。

2013年1月18日金曜日

横断第一日

とつぜん現れた頼もしいガソリンスタンドで。
いやぁ助かりました。お世話になりました。

あんたロシア語、わたし大阪弁、二人でお互いにようしゃべりましたな。











いよいよ出発の朝を迎えました。これから始まる長い長い横断の旅。道路状況、天候、言葉の問題、、昨夜はベッドに入っても目が冴えてしまって なかなか眠れませんでした。

朝食を終え 真っ暗なホテルの外を眺めながらため息。これから先の不安や恐怖。このまま旅を止めてしまいたいほどの不安なのです。。。生き生きと荷物を積み込んで凍り道を爆走する そんなカッコ良さなんてカケラもありません。。何とかかんとか理由を付けてはノロノロと出発を遅らせて。

外気温はマイナス30度くらいだろうか。エンジンは一発で始動。十二分にアイドリングも完了、車内も暖かい。もう出発を遅らせる理由どこにもなし。大きく深呼吸してガキガキとタイヤ音を立ててるホテルパーキングを恐怖心につぶされそうになってスタート。

9時を回っているというのに真っ暗。ロシアは左側走行ですのでヘッドライトも右に射光方向を変えておかないと対向車に大迷惑。昨日変えておいたヘッドライトをアップにして、恐る恐る中心街に降りて行ったらラッシュのど真ん中。大きな街は入っていくより出る方がはるかにむつかしい。一方通行が多くってUターンもできず 初めて走るロシアの道、どう走ったらウラジオストックから出られるんじゃ!もう半泣き。とほほどころじゃおまへん。

!!!!ビックリしました。気が付けば 昨年できたばかりの あのデカい橋を渡ってる!
サンフランシスコの金門橋と一緒、ウラジオストックを象徴する、昨日だったかの掲載写真に載っている美しい橋、、記念に渡りたいけれど旅人のGちゃんには渡る道も分からず。なんのことはない、気が付いたらその憧れの橋を走ってるやおまへんか!運転しながら写真を撮る余裕はなかったけれど 渡れた偶然の幸運に感動。北を目指すならホントは渡る橋ではないんですがね。

渡り終えたら。これまた突然に!!!!ガソリン残量表示計、ランプ。残距離あと15~20キロ。屋根に積んでる50リットルのタンクは全部空のまま。。日本を出る時には車のガソリンもできるだけ減らすように、過去二回のバンクーバー送りで日本通通の何の根拠もない注文に飼い慣らされて。今回もほとんどガス欠に近い状態での入国。まずガソリンスタンド、そればかり考えてここまで走って来ただけに 赤いランプの表示は恐怖。

走っても走っても原野。歩行者なんて居るわけないし たまに路肩に停まってる車に聞いても英語はちんぷんかんぷん。やっと通じても今度はこちらがロシア語わからない。。。市内で入れなかった、入れられなかった その後悔。時間が掛かっても探すべきだった、後悔先に立たず。ほんと朝から連続して半泣き。これは致命傷になる。済んだから書けるけど。ガソリンがない、そんな当たり前以前の問題で。ドライブに慣れたはずのGちゃんしては大失態。速度は経済速度、下りはNの惰性、ライトも暖房も電気は全て止めて。どこまで続いてるのか分からない広漠と凍りついた大地。延々。

奇跡を見る思い。突然現れたガソリンスタンド。惰性で滑り込んで止まったら、安堵で座席に座ったまま。しばらくドァも開けられなかった。助かりました!!Gちゃんって 付いてる!!

車に35ℓ腹いっぱい、スペァ10ℓ3缶と20ℓ1缶、合計85リットル。結局パジェロには1リットルも残ってなかったことになる。2,700ルーブル、約8000円(ℓ当り@95円)。但しランクは日本でいうスーパー(高精製ガス)、、、一般用はもっと単価は安い。いやぁ助かった!

天使に見えました 頼もしく次々とタンクに満たしてくれるスタンド番の爺さんが。満タンのスペァタンクも全部ルーフに積み終わって、それでも地獄からの脱出に安堵の余韻もさめやらずに、へたり込んでるGちゃん。言葉は通じなくても見てたら態度で分かるみたい。天使が手招き。向こうの小屋へ来いという。オマエも異国で苦労したんやな、ゆっくり休んで行けという感じ。ああ、もうそうさしてもらいます。

ロシア人ってなに~~?!!親切で人懐っこさ。マグカップに熱いコーヒー、冷蔵庫から得体の知れない春巻きか卵焼きみたいなグニョグニュした食い物(あとで知った、ブリヌイというらしい、ロシア版クレープみたいなものか)、自家製だろう巨大なチーズを切り出して。遠慮じゃない、キモ悪いから要らんと言うてるつもりなんですがね、俺が勧める酒が飲めないのかという日本のあの習慣と一緒、飲んで喰わないと礼儀に反するのかなぁ。まぁ食え、食ってから言え、そう言ってるのは爺さんの態度で分かる。爺さんはロシア語、Gちゃんはもう英語も止めてドロドロの大阪弁。それがまたお互いに通じまんのや!あげくイヤイヤ喰わされたグニョグニョのクリープ一片。「なに?!コレうまい!!」「そやろ!言うてるやないか!もっと喰え!!」いやぁ~おいしかった!!爺さんの食べる分のなくなるほど すっかりごちそうになりました。
ホッと一息、狭い小屋で二人でガンガンとタバコを吸いながら、年寄り二人が自分勝手気ままに 相手が聞こうが聞くまいが。いやいや本当にお世話になりました。別れ際、お互いに抱擁しながら。すっかり元気になれました。

再び走り出した国道M60号線。猫にカツオ節。北朝鮮にミサイル。Gちゃんにガソリン。もうこうなったらこっちのもの。モスクワも手に入れたも同然。現金なものです、好きな音楽を聞きながら、びゅんびゅん飛び去っていく景色の輝き。パジェロも快走そのもの。

陽も高いけど3時になったら初日は止めると決めてた。凍てついた真っ白の荒野の中に現れたポプラか、何とか杉かの 高い樹の群生の中、見れば瀟洒なロッジ風の建物。急ストップ、Uターン。出てきたおばさんにスベトラちゃんの書いてくれた文字を指で指し示しながら。部屋?あるよ!一泊700ルーブル!げ?2000円?どんな部屋や?!ネットの出来ないのは気になったけど、GちゃんにはUSBモデムさまが居る、初めて使うけどネットは何とかしてくれはるやろう。あとはベッドさえあればいい。

失敗なのか正解なのか 今も良く分からないホテル。10畳ほどの広さ、セミダブルほどの薄ぺったいマットの敷いたベッドひとつ。一人用ソファが2つに椅子1つ。小机ひとつ。真空管テレビが1台に小さい洗面ボール。一応窓もカーテンもあるし絵画も掛かってる。便所は廊下を隔てた向かい側の共同。風呂シャワーなし。

食堂風の部屋が見えたので晩飯食えるか?とゼスチャーで聞けば食えるという。じゃお願いします。待ってたら6時からのはずが5時から食ってくれというので即了解。サラダ、トマト風スープ、ポテトの上にひき肉いっぱい、それに食パン2枚くらい。見た目めっちゃキモ悪る。ひと口。うん!これはいける!。。。あれほど慣れてるはずの米国、いつも出される量が多くてウンザリ 半分も食べられないことが多いのに、同じくらいの量。うちのコロ顔負け、お皿を洗わなくて済むほど綺麗に完食。受付のおばさんが作ったはずの素人料理。特にスープはお代わりが欲しかった。缶ビールも飲んで支払いはキャッシュ、締めて200ルーブル。げげげ、600円?!笑います安すぎて。木造2階建て。部屋数は20くらいあるのだろうか。Gちゃんが食事終えたとたん おばさん、怖いものが出るみたいに出迎えの車に飛び乗って森の彼方へ。朝ご飯は9時からよ~って言いながら。

え?管理人も居ない、どう見ても宿泊客はGちゃんひとり。ぐえええ~~この真っ暗になった建物のなかで一晩過ごすの?!ひょっとして これって失敗と違うんかな。夜中にギシギシと廊下を亡霊が部屋の外に立ってたりして。よくあるじゃないですか、英国の映画で出てくる、全くあれと一緒のシーン。静まり返ってそれは不気味。部屋でタバコが吸えないので真っ暗、照明もない廊下を歩いて入口のギギギ~って不気味な音を立てるドァ開けながら寒い外でタバコ。鎖でくくられたデカいイヌ一匹、こいつまで不気味な唸り声。こんなのアリかいな?!見知らぬ外国人をひとり建物に残して。明日朝になってGちゃんの首に血を吸った歯型がふたつ、冷たく白~い顔になって。美味くないぜ 年寄の干からびた血なんて。

留めは。部屋の鍵。掛からないのです。締めても外に開いてしまう。二枚あって、内側のは締めても中に開いてしまう。それもゆっくり、気が付いたら開いてる。つまり二枚の部屋のドァは開いたまま、冷たい廊下からヒンヤリした気持ち悪い風が。瀟洒なロッジ風の外観に誘われて入ってきたのに、どうりで車の一台も止まってなかったわけや。女性なんて絶対に一人では泊まれません。外灯もない真っ暗な建物。怖いというより危険。

気分転換。暗い部屋でUSBモデム初使用。これが、にっちもさっちも言うこと聞いてくれなくて。
パソコンに差し込んだら自動でインストールするからそれでおしまい、あとはどこでも自由にネットをお楽しみください。なんてスベトラのガキ ぬかしやがって。。。ピンコードを入れろ。地域コードを入れろ。何を入れろ。。次から次へと難題を吹っかけてくるやおまへんか!言うてるやろ、俺はロシア語なんてじぇんじぇん ハナから分からないし 分かる気もないんやから!

スベトラもスベトラ。ロシアの先生 青山師匠も師匠。こんな役立たずをよくも素人に推薦したな!
3か月使い放題6000円の感動、あれはいったい何やったんや。。。パソコンいじくりまわして。突然ガクンってパジェロがローギァに入ったみたいな変な音。ぬ?なぬ??あわててヤフーのホームページ。開きません。。。とって返して初期画面のGちゃんの自分のプログのショートカットをクリック。のろのろのろ。出てきたのは昨日のホテルの前の意気揚々の写真!繋がってますやおまへんか、ネットさまに!!!そかそか。今までの使ってたネット環境が良かっただけ、電波も弱いのろのろ運転を知らずに 今までの調子でビンビン飛ばしてた自分が悪いだけやった。

とたんに酒!ジャックダニエル たっぷり残ってる。お化けでも幽霊でも誰でも出て来い!一人じゃクチ寂しい、ロシア語はあかんぞ、日本語か英語、ちょっと面白い話でも一緒にしまへんか。人ってちょっとしたことで激変しちゃう、おもしろいね。

そうそう、書き忘れてました。泊まってる場所や名前?知りまへんてか、分かりまへん。ロシア、なんとかせい。道路標識も道案内も何もかも、バカたれが、みんな縄文字だけで表記、おかげでGちゃん 自分の泊まってる場所もわかりません。せめて他の国でみんなやってるように、遠慮気味にでも良いから小さくアルファベットで併記なんて、、淡い期待も初日にぶっ壊されてしまいました。とにかくウラジオストックからM60を北へ256キロの地点。ハバロフスクにはあと400か500キロの場所。。。アメリカやカナダによくあるレッドロックとかウイドーズミルとか、走ってる道端に表示されてる小さな地名表示板。どんな町かな、旦那が死んだんかな~、赤い岩があるんかな~なんて想像しながら走るのもまた一人旅には楽しいもの。ここロシア。とほほ、あれは相当な覚悟で挑まないと読めません縄文字は。ウラジオはなんとか。ハバロフスクХабаровскなんてGちゃんからすれば中東の粘土板に書かれた文字と一緒。不勉強な自分を呪うより こんな表示だけのロシア政府を呪います。

写真?かんにんしておくれやす。ごっそり持ち込んだ撮影機材。まだ開ける気にもなれまへん。どうでも良い写真用にとダッシュボードにパナのルミックス置いてあるだけ。。写真教室の藤本先生、私みたいな素人の生徒にいつも親切に、はいはい、一応は言わはるまま「P」で、RAWも一緒に。下手は先生の現像でなんとかまたあとで頼みます。

ほんじゃみなさまありがとうございました。何とかかんとか走れたシベリア第一目。血を吸われてプログもこれで終わりということがなかったら、また明日。それにしても不気味なほどのこの静けさはなになんじゃ!

酒が回って実に爽快な気分。よくぞ男に生まれてきたもんや。。。。というのは今日の立ち寄った何でも屋みたいな店の屋外トイレでオシッコ。つくずく。。。あの山盛りはガチガチに凍ってるから臭いはしませんのやがね。行くに行けない、遥か遠くから飛ばしながら、、よくぞ男に生まれてきたもんや。小学校3年の時に中学生のケンちゃんにも負けんかった。飛ばしっこはGちゃんの特技。
あははは、びろうな締めでごめんちゃい。

2013年1月17日木曜日

パジェロ ゲット!!

LINKS LTDのユーリー、スベトラーナと一緒に。

車両受け入れ一切合財実務のロシア側担当。
旅行相談、保険、ネット、その他も何でも解決OK。まる3日間、すっかりおせわになりました。

お礼は1万円弱。英語もお見事。値打ちあり。
連絡先も全部わかってます。
ご希望の折はお知らせを。推薦できます。





どうせ役人仕事、下手したら来週になるかも知れないパジェロの受け取り。のんびりベッドで寝てたら朝の10時にけたたましい電話。今から税関へ車両受け取りに行くという。

はいはい、来いと言うなら行きますけどね。のろまなロシア熊、役人がそんなクイックレスポンスするはずもなし。出迎えの助手のスベトラーナさんという女性の車に乗って税関へ。行ったところで結局はどうせ何かの書類にサインするだけで帰ってくるんじゃおまへんのかい。私なんて車を目の前にして神戸税関では3か月も待たされた。鼻から役人のすることなんて信じてまへん。 

いやぁ失礼しましたロシア税関。神さま仏さまロシア税関さま。ジョークじゃありません、マジ!!書類に2~3 サインしただけでパジェロの所へ。ハイ、これアナタの車のキー、どうぞ安全運転で!
うそ~!でんぐり返ってもっと驚いたのは車内の荷物。どうせどこかで誰かが積荷の中から目ぼしい物を盗んでるにちがいない。。過去2回の車のバンクーバー船送り、往路も入れたら計4回のパジェロの太平洋航路、毎回ごっそり荷物は盗まれてた。ひどい時にはフロントに吊ってあるマスコット人形まで跡かたもなく。やった犯人は船の船員かカナダか日本の税関官吏。そんなもんと今回も覚悟はしてました。

鳥取境港、フェリーに積み込む時に 誰かが車内を触ったら分かるように荷物の上に無造作に毛布。その毛布の折れ具合まで境港そのまま。ウソや~ん!後部座席の大きなケース2個、中は防寒具や修理工具ぎっしり。中身も触っていないのが良くわかる。
敢えて言えば、運転席の足元、フェリーから税関倉庫まで誰かが運転した時に、靴の裏にタバコの吸殻がくっついていたのでしょう、つぶれた吸殻がひとつだけ。盗難は一切なし!境港で積み込んだそのまんま。我が目を疑う。こういう時に使う言葉なんでしょう。感動。疑っていてごめんなさい。ロシアの役人って凄いじゃんか!

フェリーで来て三日前入国した時の税関でのあの体験。ロシアの役人って末端まで良くわかっとる。実に立派。Gちゃんはこれまで忘れてしまうほど多くの国の出入国をしてきたけれど 少なくともハバロフスクの税関官吏は世界標準以上。感動、感服しました。大したもんです。

入国するときの入国審査。旅行者にしては最初に接するその国の人。いわば訪問した家の玄関。入関審査員の良し悪し、その対応。その国が、経済的に豊かかどうかじゃなく、社会的に(文化的、精神的に)豊かかどうかよく分かります。

応対はバングラデッシュやアジアからの旅行者にどんな口のききかたをしてるのか、それに比べて米国や欧州の「青い目」の旅行者にはどうなのか、海外旅行して日本に帰られた時にはぜひ一度みなさまも日本税関員の外国人への態度言動を観察されたらGちゃんの言ってることが分かると思います。いじめとしか思えない入国審査、仕事熱心とは違うんじゃおまへんか。せめてどの国の入国者にも審査は平等、ようこそ日本へ!にっこり微笑むくらいはね。アンタらも血の流れた人間なんだから。

境港積み込みから丸5日。特にここ連日マイナス20度を下らない寒さ。夜間はもっと冷えただろう。今日も昼間でマイナス21度。冷え切ったバッテリー。掛かるかな?エンジン。。。待ってましたとばかり一発でグエ~~ン!エサが遅れて泣き叫びながらガツガツと食べてる我が家のコロと一緒のうなり声。頼もしいヤツ、これでやっとロシアが走れる。

車を受け取ってからは ロシア横断の師匠、青山さんのプログ通り。
22~3歳くらいじゃないかな、このスペトラーナちゃん。テキパキさはユーリー以上。彼女の車の後ろに付いて走って市内各所。
特筆はネットの生命線、USBモデムの購入。100円ライターくらいの大きさ、パソコンに差し込むだけ。一部ド田舎を除いて全ロシア、これで車内からパソコンネットができるようになりました。ちなみにGちゃんの買ったモデム、3か月使い放題の速度2ギガだったか3ギガだったか、、プリペイド式で足らなくなったら買い増していくなんてGちゃんには面倒くさすぎます、、、定額式というやつか、〆て支払は合計2160ルーブル 約6000円。6万円と違います!

安さに驚くというより 日本のネット接続料のベラボウさに怒りさえ。そんなことしとるからNTTやドコモが儲けてるだけ、電気代しかり。医療費しかり。何も文句を言わない国民から騙し盗ってるだけ。イヤなら使って貰わなくて結構って、ねぇNHKやSONYさん、見てたら分かる、あんたらも平気でそう言うとる。私もバカじゃない、受信料は払う気もないし SONYはタダでも使いませんがね。

準備を何もかも終わって後は出発だけ、ユーリーも含めて招待しました感謝夕食会。街一番のシーフッドレストラン。スベトラちゃんも着飾って。おいしいだけじゃない、この高級店でこの値段!

飲み過ぎたせいだけじゃありません。おカネを払うたびに驚く日本との物価差や経済発展ばかり目指してバブル作りを願ってる日本の末恐ろしさ。今や赤ちゃんも入れて国の借金は国民一人あたり500~800万円。無性にハラが立ってきましてね。どこかおかしい今の日本。安倍のミックス?苔の生えたような右肩上がり経済論を振りかざして。ジャブジャブに湯水のようにオカネを印刷するんだって。世界に誇る強靭な国土作り?Gちゃんの使ってしまった借金を孫のほのちゃんや子孫が返済して なんでそれが美しい国と呼べますのや。

夕方7時というのに真っ赤な夕日。今ごろ日本は5時だから夕闇のなか。お気の毒だけど その代りこちらは朝の9時でも真っ黒け。時差っておもしろいね。。。海に沈む真っ赤な夕日。いや~今夜は爽快な酔い気分!なにもかも素晴らしい印象のロシア。酔った分、ちょっと日本の愚痴ばかり出ちゃったけどね。

みなさまありがとうございました。明日18日朝に出発します。いよいよシベリア横断の旅です。
。。。心配ご無用!スベトラちゃんにちゃんとノートにロシア語で書いてもらいました。「近くにホテルはありますか?」「一泊したいのですが部屋はありますか?」「レストランはどこにありますか?」
ロシア語でどう発音するのか知らんけど これを指で示せば死ぬことはない。

それにね。酔っぱらいの文句ついでに。勝手で申し訳ないとは思ってるんですがね。ごめんね。
「がんばれ頑張れ!」「無事完走を祈る!」という励まし。あれって めっちゃ負担。
そもそもこんなの冒険でも何でもないタダの年寄りのお遊び。遊びに無理をするのは若い頃の火遊びだけのこと。ついうっかりヤケドしたこともあったけどね。
「死ね死ね」って追い打ちを掛けられてるみたいな「がんばれ頑張れ」。ごめんなさい。くれぐれも やめてください。本質的には 岸壁からサビキ釣りしてる釣り好きと全く同じのつもりです。

さぁ今夜もホノちゃんとSKYPE。「爺ちゃん、どうしてお口をずっとお手てで押さえて しゃべってるの?」って昨夜は言われちゃった。あなたもお婆さんになったら分かる時が来る、だれでも寝る前には外して お顔は家族にも見られたくないようになるのです。とほほ。

追記 そうかあれから18年にもなるのですか。今頃は六甲山の谷へ家族の為に水汲みに行ってたなぁ。。。神戸の街なんて火の海だった。雨の焼け跡にしゃがみこんで泣いてる老人の姿を思い出します。亡くなられた人、人生の大きく変わってしまわれた方、心から喪心お悔やみ申し上げます。

2013年1月16日水曜日

ウラジオストック その2

シベリア鉄道 東の起点ウラジオストック駅と
レーニン像。ここからモスクワまで列車に乗って横断するんだね。4,5日くらいかかるのかなぁ~。

駅の向こうに見える海に掛かる長い橋は昨年開催のAPECに合わせて出来たばかり、、、国をあげて極東に力の入れてるのがわかる活気ある街。仕事なんていくらでもあるらしい。あなたも おひとついかが?!


やたら寒いはずです Gちゃんの着てるもの。鳥取の境港を出た時そのままの格好。つまり我が家を出発した時の格好そのまま。防寒具や着替えはみんな車の中。そこまで先は読めんかった。とほほ。

車を手に入れる。初めて日本から車を持ち込んだ人、ロシア語もろくに分からず大変な苦労をしたと思います。人さまの歩いた足跡をたどるのは楽ちん。ホテルで寝て待っていれば良いだけ。どういう流れでパジェロが手に入るのか分かってる。まぁどうせ役人天国ロシア税関。ゆっくり寝て待つしかないか。

「ロシアから境港にお帰りになったその時は フェリーが着いて1時間後にはお家へ車で帰っていただけます」。境港の上組赤嶺さん。鼻くその一つでもロシア税関に送ってあげたら?!
本日夕方5時 車両一時輸入申請書とやらを税関へ申請。なにもわざとこちらが遅れて提出してるんじゃない。朝から一日待たされて税関さまからのご指示時刻にお伺いしただけ。
これでなんとか明日の夕方には なんて甘いけど 上手くいけばパジェロの中の防寒具にご対面くらいはできるかも。

おいユーリーよ。かくかくしかじか。上組のやってるシステムを説明して。あんたそのビジネス、ここでやったら一儲け、グッドニュースと思わんかい?!
やつ、鼻先でバカにして笑いやがった。それがでけたら苦労しまっかいな!私もアホと違いまっせ。

本日は税関からの気まぐれ電話を待っただけの一日。寒いけど 何か間に合わせの防寒具 買いに街へ。両替の銀行はすぐに発見。BANK、じゃないけど何か良く似たスペル。直勘。当座の一か月分くらいのルーブル ゲット。英語通じず全て身振り手振り。

税関で盗まれるのがイヤだから 一切ホテルに運び込んでる写真関係機材。写真撮影いっちょやったろか!っていう気になれないんですな。ナショのバカちょんポケットに街へ。見てる間にバッテリーパワー低下。ろくな写真も撮れませんでした。ついでに全ロシアのロードマップも購入。たかが地図帳一冊。散髪屋か食堂か見別けも付かない縄文字看板の中、分かりまっか その苦労!?英語は絶望的に通じない。ああ しんどかった。。。いったいワシはこんな苦労して。何のためにやってるんやろ。

気疲れと寒さと先の不安。夕食後今夜も一杯飲みながら留守宅にIP電話。
「電話をしにロシアに行ったはりまんのか?毎日毎晩。」「ほのちゃんには電話はしない方が良いよ、『爺ちゃん寂しくて毎日 掛けてきたこともない電話をロシアからしてくるの』って保育園中に言いふらすから」。あげくに「わたし お風呂に入られへんやおまへんか!」
ワシは何や?!覚えとれ。腹を抱えて笑い転げてる愚妻めが。男のソーダイなロマンが女に分かってたまるかい。

2013年1月15日火曜日

ウラジオストック!


ウラジオストックって不凍港。ロシア帝国海軍の極東基地のあった所じゃねえの?!見たら海、全面に凍ってるじゃん。南極じゃあるまいに。

こんな寒い所。GちゃんこのままフェリーでUターン、帰りたいよ~。







やっと着きましたウラジオストック。日本の境港からは韓国の人ばっかりだったのが 途中で寄った韓国の東海からウラジオストックへの便は 乗客ほとんど全員ロシア人。
その風采どう見てもツーリストじゃない。聞けば韓国への出稼ぎという。まさか韓国中のロシア人が
一同に集まったわけでもあるまい、どうみても2~300人のロシア乗客。クリスマスや正月休暇はとっくに過ぎ去ってるしね。ふだんでもそうらしい、グエ~!韓国てそんなに外国人労働者を受け入れてるんだ?!  これもTPPがらみ??  (後記;韓国はTPP不参加)

東海からのフェリー乗り場はロシア一色。案内もアナウンスも。14日月曜日小春日和の東海を2時かっきり出航。船内放送 ぐだぐだとさえずってるけど命には別条ないだろう。明日の朝10時まで18時間の船旅。しっかり食って飲んで寝てたらウラジオに着いている。ウイスキー2杯キュ~ッ。こてん、俺は寝る。

どっこい。夜半何時頃か、ものすごい船の揺れ。横揺れというよりピッチング。ド~ンド~ンと当たる波が不気味に船内を響き渡ってる。寝てるベッドの体がゴロリゴロリ。ぐえええ、これがあの冬の日本海の荒波?!まるで阪神大震災みたいな地響き。
Gちゃんの二等客室はCデッキと言って船の最下部、窓もなし。つまり何かあったらタイタニックの三等客室の乗客と同じ運命。心配してデッキを見に行ったら!こんなの外へ出たら流されちゃう。打ち寄せた波がデッキの上を濁流のように流れてるじゃありませんか。あかん。この船、沈むでこれは!

乗客のだれも知らないだろうけど実はこの船は。何年前かバブルの昔に鹿児島と種子島を往復してた中古フェリー。採算悪くなって赤字の船を韓国の船会社に買っていただきました。境港の岸壁や施設や設備は鳥取県が丸抱え、やっとできた国際フェリーでありやんす。Gちゃんのパジェロじゃあるまいが 中古の不気味さは見たらわかる、北海道へ行くフェリーとは月とスッポン。

まぁそんなことどうでもいいけどね。台風みたいな北風に向かって必死に突き進んでる感じ。まるで暴風雨。ギシギシギシギシ船は今にも沈没しそう、先日お正月のパジェロとそっくりじゃありませんか。エンジンをいくら吹かせてもからきし前に進んでません。

もっとも 船なんてどうでもいいけど。オイ、Gちゃんのパジェロしっかり甲板にくくりつけてくれはったやろな?!すんまへん、昨夜の波で海にお宅のパジェロ落としてしまいましたんや。なんて許さんぞ。

ウラジオストック到着は8時間遅れの15日午後18時。波も収まって船が北上するにつけ気温はどんどん寒くなって。。。デッキの手すりに氷のかたまり。乗客は何もすることもなく。それにしてもロシア人はタバコよく吸うなぁ。喫煙は船内のバーか船外のデッキ。寒いからみんなバー。5~60人は入れそうなバー、どいつもこいつも指にタバコ。べつに迷惑じゃありませんがね。Gちゃんだって16の時からの喫煙家。まあそれにしてもみんな吸いすぎ。カラダにええことおませんで。。。煙にまみれながらGちゃんもパソコンでブログ書き。

暇つぶし。持ってきたガーミンナビで見たらウラジオストックまであと30キロ。船足は時速30キロ。かっきり1時間後の到着か。。。結局予定18時間の運航が26時間。どういうわけか下船はロシア人から先。 待ちに待たされけっきょくGちゃんが船から降りた最後の乗客。。。よっぽど疲れ果てた顔してたのかなぁ。税関の女性が駆け寄って来て重いGちゃんの荷物を持ってくれて入国審査の行列の一番前へ。覚えたてのスパシーバありがとうを連発。うんうん、歳を取ってきたらこの手はあるなぁ、あわれな疲れた爺さん臭い格好をすればいい!さっそく勉強!!
入管も人懐っこい笑顔、ほぼフリーパス、うえるかむ つぅ ろしあ!スタンプポン!1分。はや~!あの商用ビザや招待状というのは何やってん?!

ロシア受け入れはLINKS,LTDという旅行社。車やバイクによる世界中のツーリストのウラジオ受け入れを専門にしてる会社。と言ってもユーリーさんというおっちゃんがやってるだけだけどね。
長いこと待たされはりましたやろ兄さん、すんまへんでしたな。。。打ち合わせ通り入管を出た所で出迎えを受けて、その仕事っぷり。境港の上組の赤嶺さんと良い勝負。流ちょうな英語、適格な言葉。パジェロ受け入れや保険や各種手続き、今後の段取り、てきぱき説明して 予約入れてくれてたホテルへ乗せてもらって。ほんじゃ明日10時に電話します ハイおやすみなさい。ちょうど夜の9時になってました。

ああしんどかった。。。到着のフェリーターミナルなんて両替も見つからなかった。ルーブル一銭もなし。支払はカード。3泊分でホテル7800ルーブル、閉まる直前のホテルのレストランの支払いが1288ルーブル。これなんぼのもんやねん?!誰か教えてちょうだい簡単な換算方法。

小さいながらもシングルが2つ、シャワーとトイレが付いて。Gちゃんにはこれで十二分。なにはともあれ部屋でネットの出来るのが気分よし!このご時世、これって当たり前なんだけどね。。。思い出すのは糞たれ大阪ヒルトンホテル。Gちゃんはヒルトンのプラチナカードホルダー。一元さんでもないそんなお得意さんからも 一泊2000円のネット接続料を別途取るのですあのバカたれホテルは。殿さま商売。イヤなら使うなということらしい。いつかは潰れるそんな会社、必ず。

やりやり。やっと自分の時間を取り戻しました。ガチガチの道路と寒さ。行く先々を考えるとゾ~っとするけど。まぁ今夜はノータックスで買ったウイスキー。キュ~って飲んでとにかく寝ます。おやすみなさい。

追記:ここウラジオストック。時間は日本より2時間早い。日本12時の時はこちら2時。
考えてちょうだい、日本より早い時間を使ってる国は太平洋のパラオか何か知らんけど、日本より東にある国の一部だけ。。。ふしぎ~~!!ロシア、そんなことしてるから国内に9つも時間帯を作らなあかんようになったんと違うんかなぁ。わたし端から端まで走るつもり、もうちょっと楽にしまへんか。ややこし過ぎまっせ。

2013年1月14日月曜日

写真添付


ぐえ~~写真をアップでけたぁ~~!!

救助隊のヘリが飛んできたみたい、あっちからもこっちからも。プログに書いたらとたんにうれしい情報殺到。遠いこんな韓国の田舎町まで。感謝感謝。

孫のホノちゃんの書いた絵をスキャン、プログアップでけるかどうか本日テスト添付。
ぐわ~爺ちゃんシベリア行くの~~?!驚いてるホノちゃん。シベリアって どこにあるのかも知らずにね。

HTMLとやら言う形式でアップしたのですが
画像の位置を変えるとか 大きさを変えるとか そんな難解なことはGちゃんにはとてもできません。でもアップできただけでもうれしい。これからのプログ、読みにくいかもしれませんが みなさん よろしくね。ありがとうございました。
ふう~~。

2013年1月13日日曜日

疲れたぁ~~

あわてふためいて我が家を出発して何をどうしたのか。ベルトコンベアに乗ったみたい、忙しい出発の第一日目でした。気が付いたら韓国の東海岸、東海donghaeという港町にあるホテルのベッドの上で大の字。なぜロシアに行くのにわざわざ韓国に一泊しなければいけないのか 良くわかりません。いずれにしてもようやく 時間に支配されてたGちゃんの環境逆転、やっと自分の時間がやってきました。

海外旅行に飛行機で外国に行かれた人は多いだろうけど、さすがに船による出国はGちゃんには初めての経験。さんざん脅かされた冬の日本海の船酔いなんてウソ言うでない。それに。予約満席ということで取れなかった個室、回された8人カイコ棚ベッドの2等船室、じえんじえん問題なしの快適そのもの。部屋にはGちゃん一人しか居なかった。どうなってんだろうDBSフェリー。バーでビールでも飲んで船酔いどころか酒酔い、ぐっすり眠ってる間にアッと言う間に東海に着いて下船させられちゃいました。今日は日曜の朝、明日の昼2時の出航まで時間つぶしです。もう何年ぶりかの韓国、焼肉かビビンバでも食べに行くか!

出発当日の朝まですったもんだしたパジェロ。自宅から境港までの走行は快調そのもの。
あんなボロ車にコンピューター制御をしてたなんて驚き。なにせ10年以上も前の製造なのにね。
ガソリンの噴射とかトルコンの制御とかをしてるらしいけど、、、今の時代の車ならどうなっちゃうんだろう、不良の原因を調べるなんて神業みたいでないと分からないんじゃないかな。えらい時代です。

軽快なエンジン音は、車の好きな人なら分かるだろうけど、いいね。真っ白な大山を見ながらの境港。約束通りDBSフェリー乗り場で車の検疫や積み込み。上組の赤嶺さんが万事てきぱき、指示通りにGちゃんが車をフェリーに積み込んで降りてきたら「はい私の仕事はこれでおわり。良い旅を!」。。。。いやはや車の一時輸出がこれだけ楽だとホント助かります。

ロシアからの帰路、またこの境港に帰ってくるけど 船が10時に到着して1時間後、11時には車でお家へ走ってもらえます!とのこと。日本通運さんこんなこと聞いたら失神するんじゃないかな。
2007年の北極海の旅の帰り、バンクーバーから神戸に送ったパジェロ、日本に着いてから手に入ったのは3か月後。税関も生まれて初めて。日通も会社始まって以来。もう二度と取扱いさせないでくださいとおっしゃる前に、オマエらここの境港のこともっと勉強せい!と言いたくもなります。神戸埠頭に雨ざらし、3か月分の駐車料金を請求する税関の無神経さ いやはや「前例がない」というのは無能な官吏には地獄の響きでもするのでしょうか。分からんかったらオレに聞け!!

「自動車一時輸出入申告書」にデッカイ赤の「許可」のスタンプを押したのを頂いて、、いえいえ、実に紳士的でしたよ境税関支署のスタッフの皆さんは。。。気分よくGちゃんはフェリーの待合室へ。
韓国の旅行者がこのフェリーを利用してお国へ帰るらしい、ごったがえすほどいっぱいの人。
日本人か韓国人かなんて見別けもつかない雑踏の中に、、ぬぬぬぬ??はた迷惑も考えずにひときわデッカイ大声でしゃべってる老人一群。やだなぁ年寄りは。。。げげげ。ひょっとしてオマエら高校時代の同窓生?!何をしに来てるんじゃこんな所へ。

やめてくれよ。ガラの悪いのが6人も。お前らよっぽど暇か家に居れない事情でもあるんかい。朝に大阪を出てGちゃんを見送ったらまた大阪へ日帰りするらしい。かないませんこんな友人って。土産はキャビアひとり一個ずつ、帰りの歓迎会は皆生温泉豪華一泊酒付きのGちゃん主催。勝手に決めて。多数決だと笑ってやがる。だれが教えるもんか帰りのフェリー日なんて。 
友達は選べって親がよく言ってた。この歳になって思い出す。大きな同志社の校旗を広げて記念写真。みんなで魚河岸へ繰り出して美味い酒と魚。はた迷惑な酔っ払い年寄り集団。どいつもこいつもカッコ悪くってダサいけど、いやぁ~、迷惑で涙が流れてしまいました。

申し訳ありません。写真の掲載がどういうわけかできません。ビックリするよな写真を次々と、なんて思ってたのに。ここ2,3回まえの投稿から。治らなかったら致命傷。あれやこれやいじくってるけど、むつかしいねプログって。
どうせ糞田舎の東海。ホテルから出てもろくなものなさそう。明日昼の出発までしっかりパソコンと格闘してみます。

2013年1月11日金曜日

再見。いってきます。see you again。

グーグルマップに出てる天気情報を見たら昨日のウラジオストックの気温マイナス30度。よくまぁそんな寒い所へ。何しに行く。よほどの良いことがあるらしい。いよいよシベリア横断の旅。明日の出発になりました。

遅ればせながら みなさん明けましておめでとうございます。良いお正月を過ごされましたか。健康がまず第一、今年も良い年でありますようお祈りします。

Gちゃん?!プログを楽しみにしてる皆さんには悪いけどそれどころじゃないお正月でした。
我が家恒例の年賀の酒の前の墓参り。すっかり快調のはずのパジェロさま、正月休暇じゃあるまいに 何が不服か坂を上ってくれません。いくら吹かせてもニッチもサッチも。駆動系、ATトランスミッション。全部ごっそりサラに入れ替えて。。。バタバタ大騒ぎしてやっと昨日修理も終わってさっそく今朝一番にテストラン!!
♬いつものように いつもの坂で♪~~まぁ呑気なものです出発を明日に控えて。何かあったらどうする!

さっそうと駆け上るはずの坂。げげげげげげげのゲ。ガンガンとエンジンは唸ってるのに坂の中間で止まったまま。いえいえそんな急坂じゃない、せいぜい20%程度の坂、このレベルなら山越えでどこにでもある。駆動系全部入れ替えてボロバカパジェロ、それなら正月のまんまじゃねえか!!

メーカーも原因不明。平地走行をかっちり4キロ走ったら症状は治まる。オイルが凍るような気温でもないしトランスミッションは新品だし。ここにきてアタマ真っ白。糞ったれ、オマエは平地を4キロ走らないと脳みそ動き出さんのかい!。。。。と、ここまで書いてたら修理工場より電話。

あと考えられるのはコンピュターの基盤不良あるのみらしい。え?オマエそんな立派なものをどこに隠してた?!真空管頭脳とばかり思ってた、ごめんちゃい。メーカーでも事例はあったらしい。駆動制御不能。そこまで知ってしまったら治さないわけにはいかないし。はたまた時間のない夕方から名古屋まで交換部品を取りに行って。ホンマに一晩で修理できるの??ぐえええ~~明日の今頃はロシア行の船に積み込んでる時間帯。今夜は徹夜か。テストランはロシアでしろって?!
爺ちゃんの運転手とガタの来たボロ車、いやはや皆に迷惑かけて、いけません年寄りの頑固一徹は。
ゆっくり熱いお風呂、美味い熱燗に肴、家族のささやかな出発祝いも吹き飛んじゃいました。

税関手続きもあるので明日は早朝の出発。鳥取境港出航は19時。ウラジオストック到着は15日火曜日のお昼。18日まで滞在。あとはお天気と気分と車に任せた横断の旅、あれやこれや心配してても始まらん。死刑囚じゃないけど早く処刑してくれ!

12日追記;駆動制御部品(コントロールボックス)交換。朝一番のテストラン、♪ いつものように、いつもの坂で~~♫、、、へへへへ、ぐんぐん登ってくれるじゃないですか!!
あわてて荷物を積み込んで、さぁ出発です。みなさま 心配かけました。とほほ、疲れちゃった。

ご心配かけ応援いただいてるみなさま、ほんじゃ行ってきます。次回のアップはウラジオからか。
ゲゲゲとかトホホばかりの出発まででしたが いやはやこれからもずっとトホホの旅になりそうです。

最後にGちゃんの好きな歌をお送りして、じゃ皆さんもお元気で!
http://www.youtube.com/watch?v=maAyfcO-X3k