2014年2月12日水曜日

ウランバートルの休日



ゴビ砂漠よりウランバートルに昨夜遅く戻って 車もGちゃんもドロドロのクタクタ。ゴビ砂漠は今回の冒険旅行の最終目標地点、ここから遠路日本への道を目指すことになるのですが、とてもじゃないが続けてのドライブは可哀そうすぎます。パジェロも人もゆっくり休養、体制を整えなおすことに決めました。

ウランバートルラマダホテルは5☆だそうらしいです。セミスイートが1万円、現地では最高級。快適さの誘惑に負けて宿泊、中身はご機嫌、サービスも満点。昨日深夜に出した、砂でドロドロのズボンや上着は朝までにきれいに洗濯してくれてました。ありがとう。Gちゃんはゆっくりベッド。昼前からやおらホテルのサウナで、日本を出発して以来初めてのお風呂。ドッポリと肩まで浸かって。すっかり綺麗になってマッサージを1時間半。グーグーと寝てしまって気持ち良かったのかどうなのか、分からずじまいのリラックスタイムでした。すっかり元気になりました。

愛妻より大切な愛車パジェロ。もちろん洗車。車内も細かい赤い砂でガラスまで曇っている状態。。窓なんて開けていません、外気マイナス20度では開けることもできませんのでね。。もちろん外の汚れは言うに及ばず。物凄い量の砂漠の砂。ホテルの紹介で近所にある洗車場に持っていきました。シベリアと一緒、大きな体育館のような暖かく暖房した室内で洗います。外では水も即凍ってしまいますので洗車はどこでも室内です。水洗い2回、洗剤洗い2回、すすぎ1回、ワックス仕上げ2回、ふき取り。まぁなんて丁寧でやり過ぎ感のある洗車場、市内でも超高級の洗車場らしくって Gちゃんのボロパジェロは恥ずかしくて縮みあがっていました。(料金800円くらい。安う~!)

おもしろいので作業を横でずっと見ていました。横にモンゴルでは見たこともない珍しいベンツの白いセダン。大して汚れもしてないのに。。観察していますと従業員の取り扱いの態度が何かピリピリしてる。何さまの車?聞いてみますとモンゴルで有名な俳優の車とのこと。モンゴル人なら誰でも知ってるというからさぞかし有名な俳優なのでしょうか。ぬ?どの人?、、見れば待合室のデカいソファーにあぐらをかいて反りくり返っとる。これは面白い!

Gちゃんのパジェロ、過去の冒険旅行の到達地点の地名、年月日はペンキでボデーに書かれています。はじめてアラスカ北極海のデッドホースに行った時、日本からデッドホースに到達した最初の車として驚いた行政担当官がGちゃんに到達証明書を発行してやる、と言ってくれたのです。そんな紙切れなんて要らん、どうせならみんなに自慢できるようボデーに書いてくれ、ついでにアンタのサインもしておいてくれ、そう言って到達証明書を発行してもらったのが最初の経緯なのですが。。。

いいじゃんか!おもしろいじゃんか!ゴビ砂漠横断証明書。そんな全国民が知ってるような有名人発行の証明書なら見た人は吹き出すほどうれしがる!。。。誰も遠慮して近ずけないけどGちゃんには単なる若い兄ちゃん。えらい喜びましてね。。Gちゃんの持ってきた白ペンキのペンで。洗ってピカピカになったパジェロのドァにドえらいデカい字で。やめてくれ、そんなスペースを取ってしまったらこれから後の国々の人の書く場所が無くなるじゃんか!と言うのは後のまつり。従業員も全員面白がって集まって来て日本ならサンマかツルベイあたりなのでしょうか。有名人というのは何であんなクチャクチャのサインをするのか、おかげでGちゃんには名前すら分かりません。スマホで写真を撮って自分のプログに載せるそうです。面白くて痛快なのでしょうサンマ兄さんには。ごくろうはんでした。




明日2月13日早朝、日本への帰路に付きます。ウランバートルを後にしロシアを目指します。地理的最短距離は中国北京経由なのですが、中国政府のバカたれが未だに一切の外国人による車の持ち込み、運転は拒否しています。5日もあれば大連の港に行けるのですが。。時計の9時から始まって12時を回って4時位にあるウラジオストックまでグルリと来た道を半周して戻ります。反面、やれやれこれでロシアに帰れる、という安堵感もあります。決してモンゴルがどうのこうのというつもりはないのですが やはり車で移動している旅人には遥かにロシアの方が安心して走れるように思います。

ロシア語!あかん!!ジェ~ンじぇ~ん忘れてる!!この1週間、英語ばかりの毎日、ツケ刃のロシア語なんて、え~っと、え~っと、こんにちわって、どう言うんだったっけ?!げげげ、大ショック。ノイローゼになるほど毎日毎日必死に頑張ったはずのあの10か月は何だった?!あわてて持ってきた教科書を復唱して勉強してる情けないGちゃんです。

愛読ありがとうございました。これで長い旅も帰路に付くことになりました。安全に元気で家に戻ることが最高のお土産。2月28日夕刻我が家帰宅。日本行の最終フェリーに間に合わせたいと思っています。遠い道のりですが気を引き締め旅路を楽しみたいと願っています。


参りましたゴビ砂漠



よくぞガイドを付けてのゴビ砂漠でした。地の者でも夜は車で砂漠を絶対に走らないという、よそ者にとっては案内なしでは昼間でも走行は不可能でしょう。初めての砂漠走行経験でしたが地図に記載されている道路を走る今までとは全く違う砂漠走行、異次元の経験をしました。大海原を走るようなものです、道路標識はもちろん、目印になる遠くの山や景色もありません。方向が全く分からなくなります。現在時間と太陽の位置だけが頼りの運転になります。

地平線の彼方まで広がる砂漠、車は360度どの方向へでも走れます。今までラクダで通っていた砂漠を 遊牧民が車で走り始めたここわずか10年の間、みんな自分の都合や思惑で勝手気ままな方向にラクダと同じように車を走らせるということになります。例えばオアシスの村から次の目標のオアシスの村までの道でさえ一本ではないのです。オアシスから四方八方に向け車のワダチが広がっており、細い道では車が一台だけ通った形跡、広いのになれば道の幅が左右1キロくらい広く、無数の車が通ってガタガタになった道まで。要するにみんな走りやすい道を自分で勝手に走るという結果になります。知らずに走って間違いに気が付けばとんでもない方向に向かっている、ということです。

それと砂の走行。砂と言っても粉のような粒子。赤いメリケン粉と言うほうが分かりやすいと思います。雪と似ていますがハマり込むと重たくてとても脱出は難しくなります。今日も走行中 運転席側の前輪後輪が深い砂にハマり込み、左側前輪後輪ともに45度ほど宙に浮き そのまま激しいバウンドをしながら危うく横転という事態に遭ってしまいました。助手席のガイドがGちゃんの上に落ちてきたくらいですから横転しなくて済んだのは本当に幸運でした。

随所に雪の吹き溜まりのような細かい砂のデブリ、スピードは出せませんし、さりとて停まれば車は沈み込んで脱出できなくなります。横転したり動かなくなったらそれでおしまい、あちらこちらに放棄され捨てられたままの車の残骸、疲れ果てて死んだのだろうラクダや馬の骸骨、安易に人間が入り込む場所では無いのかもしれません。。♬月の砂漠をラクダに乗った王子さまとお姫さま♪ 幼いころの夢に憧れ、どんな素晴らしい所か、広大なゴビ砂漠の中でも最大と呼ばれている南ゴビ砂漠に挑戦しましたが。。。とんでもない。車を停めて写真を撮る余裕もないほど緊張を強いられる過酷な3日間でした。Gちゃんには砂漠走行なぞとんでもない、もうこれで充分という思い。パジェロもガタガタ、もう二度と砂漠は走らせてくれるなと言っているようです。

ガイドは一日日当50米ドル(5000円くらい)、宿泊、食事代はGちゃん負担。2泊3日の案内に同行してもらいましたが。。。ゴビを初めて走るにはそれしか方法は無い、と思います。モンゴル人でも初めてでは無理です。。。ただ国民的なモノの考え方の違いにガイド採用には理解は要るとは思います。助手席で昼間からビールは飲む、たえまなく彼女と長々と携帯、タバコは吸い放題、いくら言ってもシートベルトはしない、ホテルの部屋の冷蔵庫は飲み放題、、方や必死で運転してるGちゃん、オマエ、ちゃんと道を案内してからそこまでやれよ!って言いたくなることはしばしば。。

ただ現地を知った者でも道を間違うのは さもありなんという実感はします。もともとラクダや羊を放牧している遊牧民しか知らない砂漠、尾瀬や八ヶ岳のガイドを雇うのとは訳が違います。。南ゴビ州の県庁所在地ダランザドカドから首都のあるウランバートルまで、だれが考えても立派な一本道と考えると思います、県庁所在地から首都への道ですから。今日もこの道をウランバートルに向け帰って来ましたが。。そんな幹線道路でさえ もう何回も何回も助手席のガイド君は道をまちがってしまいました。幹線道路でさえそれほど難しいのです。本来は遊牧民だけの土地に 知恵も生活感覚も違う車社会の人間が安易に乗り入れる事すら間違っているのかも知れません。Gちゃんの甘い夢、縦横に広がった車の通った跡形、いろいろ考えさせられることも多くありました。

ウランバートルのホテルに戻ったのは夜も遅い10時半。昨日に続き モノを言うのも疲れ果てたGちゃんです。