2014年2月7日金曜日

ウランバートル


こんな格好で運転してもいいの~??


えらい所です ここは!ウランバートルの近くまではスンナリ。大変なのは町に入ってから。目的のラマダホテルまで。ベトナムやバンコクの町と一緒、バイクが車に変わっただけ、物凄いラッシュ。騒音騒音騒音。こりゃ何じゃ!車が進んでくれません。渋滞渋滞渋滞、割り込み割り込み割り込み。バックミラー見たら、大きな市バスがGちゃんのパジェロの後ろ1ミリの所で止めている。割り込まれないようにらしいけど。ぶつかったら知らんで、その1ミリ先のガソリンタンク、満杯でっせ!渋滞は殺人的というより狂気じみてます。

一日に市内でぶつかる事故が4~500件あるらしい。小さな事故でも必ず警察を呼んで 車はその場から絶対に動かさないんだって。オマエが悪い、オレは正しいのケンカの証拠保全なんだって。だからますます交通渋滞に拍車。まぁえらい所ですウランバートルは。。。こういう時、他の町なら並列で止まってる車からGちゃんに軽くホ~ン、向こうから笑顔で手を振っているなんてことが良くあるんだけど、とんでもない。ここの運転してる人、そんな余裕なし。赤昇竜だったか青昇竜だったか、あの相撲取りみたい、みんなこわい殺気立った顔して。ご幼少の頃から手厚く乳母に大事に大事に育てられたひ弱い内気なGちゃんなんて もう泣き出しそう、ガンガンと後ろからホ~ン鳴らされて突かれぱなし。

ゴビ砂漠。いろいろ調べてきました。デカい!!。。。ウラジオストック 2月26日出航の日本行き最終フェリー、そこから逆算、2月12日か13日にはウランバートルを出発しないと間に合いそうもなし。けっきょくゴビは4日か5日くらいの時間しか残されていないという勘定。これが許されたGちゃんのギリギリのスケジュール。

まぁ二度と来ることは無いだろうゴビ砂漠。いまGちゃんの目の前。問題はGちゃんの疲れ。さすがに応えました、国境の二日に渡る尋問。明日もう一泊ラマダに泊まることにしました。スイート一泊100US$、カネのない年金生活者のGちゃんだけどこれは値打ある。明日はゆっくり休養、撮った写真の整理や荷物整理に時間をつぶします。気が向いたらまたプログ、追加UPしてみます。。。。

このホテル、日本レストランあり、大発見。美味いかまずいか知りませんが、旅の出発のとき境港で刺身を食べたきり、あああ、あったら、熱~いお味噌汁が飲みたい!毎朝毎晩もうボルシチは、さすがに飽いてきた。

2014年2月6日木曜日

無罪放免!


考え出したらキリがないので考えないようにしましたが、やっぱり戻ってこないパスポート、どこでどう管理されているのやら。悶々と時間の過ぎるのを待つしかなかったGちゃんでしたが。ついに昨晩はパスポート届かずじまい。今朝も銀行が開くという朝10時になっても軟禁中の民宿のベッドで待っているだけ。いつになるかわからないのを ひたすら待つだけというのは苦痛です。様子も分からなくて待つのですから。



朝10時半、意を決しました。もう待ってられん。ヤツら昨日中って約束したじゃないか。取り調べを受けたビルは分かってる、直談判。いいかげんにせい。
私は日本人、英語のしゃべれる人を呼んでくれ。私のパスポートを返してくれ!穏やかな紳士の微笑で丁重に、もちろんベラベラのロシア語で。受付の警棒を腰に構えた女性の凛々しく美しいこと。軍服を着てるけど水着でも着せたらカッコいいだろうな。。。なんて不謹慎考えながら 昨日取り調べを受けた部屋へ。



結局それから3時間半。英語は誰も解せず、Gちゃんも一切ロシア語をしゃべらないということで あわてて途中から中学校の英語の先生だという女性が呼び出されてきて。はっきり言って日本の中学生並みの理解力。それでも無いよりマシの通訳。ゆっくりゆっくりのGちゃんの説明を理解してるのかしていないのか。その助けを得ながら。要するに係員4名がGちゃんの調書作り開始。「私はすべて読みました。内容は間違いありません」数10頁もあるロシア語の調書、できたのが昼の3時過ぎ。オマエら大の大人が4人がかりでこの書類作成4時間かかって?!余りにものろま過ぎませんか!?顔を真っ赤にして昼飯も食わず、それなりに必死に頑張ってるのは分かるけどね。

サインしたら、それも20個所くらい! やっとGちゃんのパスポートはGちゃんの手元に戻って来ました。バカじゃない、国境を通過するのにパスポートを忘れて来るテロリストがこの世の中に居るの??悪いことをする奴にそんなノロマ聞いたことない。アンタらね、常識というものがあるでしょ!



さすがに申し訳なかったのか、罪滅ぼしか、はたまた2日がかりでできた相互の暗黙の連帯か、二人が街の中心にある銀行へパスポート不携帯罰金430ルーブル(約1,300円)支払いに案内してくれ、そのまま国境のイミグレまで車で先行誘導。そこから先はモンゴルです、良い旅を。先導した車から降りてきたGちゃんの尋問責任者だった男、見れば普通の血も涙もある顔をしてるじゃないですか。閉まったままの国境ゲートで車停めて二人でしばし私談。名前も住所も初めて明かしました。お世話になったおかげに日本に帰ったら何か贈り物をと言うGちゃんの要望に素直にノートに住所名前を書いてくれました。2歳の息子も居るらしい。何やったんやアンタのあの氷のような仕事態度は。ホントはアンタも熱い血の流れてる人間やったんか。人生はつらいもんだね、みんなみんな自分が生きていくのに必死なんやね。



結局として分かったことはGちゃんの取り調べで今回8名の人間が動員されたということ。うち5名は尋問、取り調べ専門。仕事は昨日に全て終了。残り3名が2日がかり調書作成、報告担当の管理係りのようなものか。他に通訳女性ひとり。ごくろうはんでした。パスポート持ってなかったGちゃんも責任ある、ちゃんと1300円も!払いましたので勘弁ください。



その後 ロシア国境通過、モンゴル入国手続き。夕方4時半から全て終了するまで1時間半かかって6時。陽もまだ明るく時間も日本より1時間早い午後の6時。日本時間午後の7時。ロシアもモンゴルもイミグレは至って親切、友好的。ゲートを何個も何個も通過しながら。最後にモンゴルの車両保険のゲートを出たら突然そこはモンゴルの町の中!



おもしろそう!モンゴル!!
まず皆の顔がいい!!まるでDNAが一緒。山形の田舎っぺとそっくり。めっちゃ落ち着く顔立ち。道路標識がいい、全部英語併記。誰でもほとんど英語は最低片言しゃべる。オカネの価値?全然分かりません、国境の銀行で取りあえず両替した5万円、ゴムバンドで止めてデカい札束、ポケットにも収まりません。国境近くのスフバートルという町のホテルで支払ったお金は30000何とかかんとか。。単位、呼称も知りません。言われるままに30000何とかかんとか、、、とほほ、だれかこれ いかほどのものか教えて!!



心配かけました。申し訳ありません。なんとかモンゴルに入りました。直感、過ごしやすそうな雰囲気の国。みんな親しみやすく親切。あす1日遅れでウランバートルに入ります。いよいよ念願のゴビ砂漠です。帰る期日が決まってるのでのんびりはできませんが。楽しいお話をまた伝えたいと思います。





天国だった昨日の朝。早朝のきれいなハイウエイ、初めてビデオを撮りました。ロシアのウランウデからモンゴルの国境に向かっています。

2014年2月5日水曜日

大凶。最悪。

ウランウデはモンゴルに一番近い大都会ですが、そこからモンゴルとの国境の町キャフタまで300㎞あるのでしょうか。昨日ウランウデに到着したGちゃん、意気揚々と朝8時ウランウデのホテルを出発。迷うことなく一直線でロシア側の出国検問所キャフタまで3時間ほどのドライブ。
ロシア、モンゴルは友好国同士で陸路での車の行き来はパスポート一枚だけでOK。こりゃ楽だ、上手くいけば今日中にウランバートルまで行ってしまえる。折からの昇る朝日の美しいこと、天空が見たこともないピンク色に染まって。まるでGちゃんのすばらしい旅を祝福してるみたい。

天国はそこまで。前方に見えるキャフタのロシア側出国検問所。係員2名の誘導で車を停め、はいパスポート提示ください。。はいはい、パスポートね、、、ぬ?パスポートが無い?、、ぬぬぬ?どこへ行ったGちゃんのパスポート!!車中、カバンの中、何もかも全部調べてもパスポートが見つからないじゃありませんか。冗談じゃない、これは大変なこと、ただごとじゃありません、モンゴルどころの騒ぎじゃなくなる。

考えられるのは昨夜泊まったウランウデのブリヤーチャというホテル。チェックインの時 どんなホテルでもパスポートは提示、必ずコピーはホテルが保存する。昨夜遅くホテルに着いたGちゃん、早く食事に行きたいのもあったし ホテルの従業員の不手際もあった、要するにパスポートをホテルから返してもらわなかったわけ。預けたフロントのどこかに置いたまま。考えられるのはそれだけ。自信がある 泊まった「部屋」には「絶対」に置き忘れていない。。。以前酔っ払って帰れなくなって泊まった大阪駅近くのホテル、部屋に入れ歯を忘れてね。カッコ悪いからと愚妻にあくる日に取りに行ってもらったことがあった。それ以来ホテルの部屋を出る時は完全徹底チェックがGちゃんの信条。今回も部屋にパスポートを置き忘れてるなんて絶対にない。



ホテルに電話を入れてくれて、パスポートのあるのが確認できたら Gちゃんが取りに引き返して もう一度ここまで戻ってくれば良い話。あああ、それにしてもまたあの道を戻るんかいな!えらい時間をソンしたな~~。大チョンボやな~!。。。いえいえ、そうは問屋は卸してくれませんでした。車を向うの建物の下に停めろ、動かすな、オマエもそこで動くな!



しばらくしたらいかにも目つきの鋭い男2名、2台の車で。ここではなく別の場所へ移動するから付いて来い。そこで詳しい事情を聴くとのこと。
連れて行かれたのは下の写真の建物。結果的にはこれは入国や出国を扱う税関関連建物ではなく 国家安全保安を取り締まっている建物。聞くのも恐ろしいのでそこがどんな役所なのか正確にはGちゃんには分かっていません。取り調べが終わってから結果的に分かったことです。



入った部屋は大きな会議室くらい、机も椅子も十分2~30人は入れるでしょうか。中には係官とおぼしきが10名ほど。スタッフの人相態度を見て直感的にこれは大変なことに巻き込まれた印象。なまじっか中途半端なロシア語をしゃべってると誤解される恐れ十分にあり。もともと片言のGちゃんがロシア語で事情説明する必要もない、能力もない、ここは確実な英語以外は一切話さないことに。英語の出来る係官、「まぁまぁ」レベルが一人、片言がもう一人。その二人が通訳代わり。



まず調査開始は。Gちゃんの身上。住所氏名はもちろん。家族構成。子供の名前、勤務先、孫の数、年齢、収入、職歴、、学歴を徹底尋問。財布に入ってた米国のソーシャルセキュリテーカードまで。それと同時に別の調査員がGちゃんのパソコンの中身チェック。はたまた別の机では日記やノート、レシート、メモ、書類関係を徹底的にくまなく。持っているロシア語の教科書やノートもくまなく1ページずつチェックしてました、ロシア語の活用や文法が汚いGちゃんの字でぎっしり書いてあるだけなのですがね。



ホテルに電話してパスポートがあるかどうかチェックしてもらえば分かることじゃないか。というのはGちゃんの論理。彼らは危険人物をチェック取り締まることが立場の仕事。パスポートがあろうがなかろうが関係がないのです。明らかに入管の役人ではありません、手荷物検査は一切なし、狙っているのはデータ、書類ばかり。こうなればGちゃんが危険人間かどうか自己証明するしかない。事実を淡々と説明するしかありません。ですから麻薬とか銃器とか、車の中の荷物検査は一切ありません。



係官はGちゃんのしゃべったことは一字一句全部控えていました。そして一番大変だったのはパソコン。専門とおぼしきのがGちゃんのパソコンは全部チェックしました。。。もともとパソコンには人様に見てもらって恥ずかしいものは入っていません。Gちゃんもハイどうぞ、どこまでもお気に済むまま。驚いたのはSKYPE,フェースブック、ヤフーホットメール、それにGちゃんのイオネットのプロバイダーメール。このメールを全部ひとつずつ解読。ロシア語に変換して。



ご心配なく読者の皆さまの調査はされていません。。彼らはパソコンの文字変換をしてロシア語にシステムを変えてGちゃんのメールをひとつずつ読んでいるのですが。でも翻訳しても山田太郎という文字は山田太郎としか表示されません。問題はアルファベットで書かれた名前。これは隅から隅までGちゃんとの関係を。例えば marilyn マリリンと言いましてね、Gちゃんが中学時代から始めたボストンに住む文通のペンパルがいる、かれこれ50年以上も家族ぐるみの付き合いのある知人ですが。夫の名前、職業、家族構成その他その他。Gちゃんの供述を全部メモを取って、裏付けに別のパソコンで調べたりどこかに電話で問い合わせたり。いやはや事の自体の重大さを改めて知りました。



フェースブックはお手上げ。ご存知の人は分かると思いますが あれは気に入れば簡単に「お友だち」として登録してしまう。Gちゃんにももちろんお友だちリストに入ってるアルファベットの名前の人はたくさんいます。旅行家とか写真家とか冒険家。これが全部調査対象。Gちゃんとの関係。特に今回はヤクーツクに住む観光案内のプログを出している人の調査は厳しかった。どういう関係じゃ?!関係なんかおまっかいな、ロシアでは珍しい英語によるホームページ。ロシア語では難しいからそこからヤクーツクの情報をGちゃんは得てただけですわい。



いやはや、とんだ災難。長々と説明ごめんなさい。現在2月5日午後7時。(日本と同じ時間です)国境キャフタにある取り調べ建物の近くにある小さな民宿くらいのホテルに軟禁中です。係官に宿泊を指定されました。

係官がウランウデのホテルからGちゃんのパスポートを3時間、4時間かけてここまで持ってくるそうです。今日の7時か8時の到着ということになっています。それは結構なこと、Gちゃんがわざわざ戻らなくて済む。でも本当にそうなのかどうかGちゃんは内心では疑っています。一晩かけて内部調査続行ということもありえるかもしれません。今現在晩の8時になりました、まだ来ていません、待つしか方法はありません。

なおそれを受け取って解放!ではありません。明日の朝、10時に開く銀行を待って罰金(パスポート不携帯罪)500ルーブル 1600円くらい、収めて初めて解放されます。今いるホテルは動くなと言うことは軟禁と解釈しているのですが、どうせ行く先もなし、時間つぶしにプログを部屋で書いている次第です。


ホテルには係官3人の随行で5時頃チェックインしました。1000ルーブルの宿泊料はもちろんGちゃん負担です。

トラベルはトラブル。よく言ったものです。いやはや色んなことがあります よその国の旅行は。。彼らの言うとおりであれば明日の朝 罰金収めてウランバートルに向けスタート。約10時間のドライブでウランバートルに到着と言うことになります。。そう願ってます。なにはともあれパスポートを持ってなかったGちゃんの全責任。持ってさえいればこんなことにもならないで済んだし みんなみんな無駄な仕事をしなくてハピーだったのにね。大失敗でした。



なにせ相手は国家。Gちゃんも姑息な細工はしないようにします。もともと何もないんだから細工のしようもありません。また いったん今日のこのプログも掲載は後日にすることにしました。各国が国家機密とやらに神経質になっている昨今、現在もどこでどのような監視がされているか分かりません。ホテル横に停めてある車は完全にマークされている感じがします。疑り出したらキリがありません。どんなことでどうなるか分からない現在進行中のトラブル。安全確認できるまでは慎重運転です。。読者のみなさんのご了解をお願いします。このプログは本日はアップしません。心配かけます、ごめんなさい。



調査されシステム変換されてるパソコンを元に戻すの、大変。パソコン画面で読める文字は全部全部ロシア語。日本語でもパソコンはGちゃんには大変だというのに。。使ったら元通りに直しとけ、バカたれが!することないし暇だからひとつひとつ治していってるけど。少しずつハラが立ってきました。

2014年2月3日月曜日

今でしょ!



冬のシベリア、何が美しいといっても 大地に昇る太陽と夕日の荘厳さは格別です。深紅に燃える壮大な太陽を 太古の昔から人が神と敬っていた意味が良く分かります。この美しさはどんな写真家でも捕えきれないと思います。あの赤がどうしても表現できないのです。いつかもっと素晴らしい写真をと願っています。

アッという間の2週間、あっけなく終わってしまったヤクーツク。このまま一路東に走れば2月中旬までには我が家に帰れます。。昨年の今ごろ たたきのめされて一路東に走ったこの同じ道、悔し涙に泣いたあの挫折感が思い出されてなりません。と同時に 敗北したとはいえ何もかもをやり遂げた あの充実感が今のGちゃんには感じられないのです。これで良いのだろうか、異国の地をひとり走りながらこのまま帰ることに悩み考えるヤクーツクからの帰途でした。

そんなGちゃん、愚妻や孫のホノちゃん、家族とSKYPEをしました。ささやかながらGちゃんの楽しみです。
「それほど行きたいのなら行って来たら。今しか無いでしょ!!」「そのかわり 元気で帰って来てね」
こらえていた涙が止まりません。苦労ばかりかけ 何ひとつしてやれなかった妻。子供や家族の幸せのため老いていった愛妻。画面の向こうからじっとこちらを見ていました。素晴らしい我が家族。ふだんは全く気も付かなかった当たり前と思ってたどこの家庭にもあるささやかな幸せ。その当たり前のことがいかに幸せなことなのかつくずく分かった気がします。

突然ですが、決めました。ちょっとだけまた寄り道させてもらいます。
昨年 バイカル湖への道、途中通ったウランウデ、そこから南へモンゴルのウランバートルまで600㎞。その先はあのゴビ砂漠。月の砂漠をラクダに乗って小さな王子さまとお姫さま。子供のころ思い描いたあの夢のゴビ砂漠はGちゃんの目の前にあります。せっかくここまで来たのに、行くしかないでしょ、今でしょ!!

モンゴルはビザは?ロシア再入国はできるの?右側通行、それとも左側通行?英語かロシア語は通じるの?電気は何ボルト?朝青竜か白鵬くらいしか何も知らないGちゃん、知っているのはあのゴビ砂漠があるというだけ。知らないことばかり。。。こんな所でじっとしてたらアカン、即 大都会のチタへ移動。今年はすっかり雪のないチタへの道、あの地獄のような昨年がウソのよう。ノンストップ948㎞ 12時間かかってやって来ました。ウランウデまであと一日の行程。ここなら情報は集まる。ここ一番 なにかやる時のGちゃんの集中力は天下一品。何をやらせても、早い!

ゴビ砂漠で月の王子さまを見てきます。問題点も課題もなにも知らないGちゃん。申し訳ありませんがプログはチョットだけ休まさせていただきます。2月23日までにウラジオストックにたどり着かないと日本へ帰るフェリーがなくなります。モンゴルに行くにしては時間がありません、プログどころでなくなっちゃいました。モンゴル人民共和国、ゴビ砂漠を走るのに命までくれとは言わんでしょう、ダメならあっさり引き返してきます。とんでもない極楽トンボ、ここまで来ても夢は果てません。
またの元気なプログ再会をGちゃんが一番心待ちしております。みなさま お元気で。


2014年2月2日日曜日

なんのための?

1000㎞余り続くヤクーツクへの道は 想像はしていましたがやはり物凄い道でした。暖冬とはいえ猛烈な寒さと悪路の連続、気の休める一瞬もない往復。戻って来て幹線道路に入りますと道路が天国みたい。昨年あれほど悪態をついたロシアの道路、立派なもんじゃない、文句言うほうがおかしい。それほどヤクーツクへの道は大変なものでした。Gちゃん良く頑張ったと思います。この歳でこの車、おそらく日本ではGちゃん只一人、大したもんや!ひとりほくそ笑んでもいたのです,が。。。。

ヤクーツクからの悪戦苦闘の帰路。途中で向うからエッチらオッチラ、自転車に乗る三人組に出会いました。どう見ても地元住人じゃない、サイクリスト?にしても、このこの時期に?日中でもマイナス40度近い気温、道路はツルツルの氷、自転車が走れるの?なんで自転車??。。。すぐにUターンして事情を聞きに行きました。

三人とも大学生、もうすでに10日間、野宿をしながらヤクーツクを目指しているという。そう言えばシラフやテント用のマットも背負ってる。夜間マイナス50度に耐えながらヤクーツクまで自転車で?どう考えてもあと20日は掛かる。どんな装備、どんな計画、どんな準備、そしてアンタらは何者?、、聞きたいことは山ほどあるけれど、それよりも何よりも、なんのための自転車なんやねん?!死んでしまうぞ。

お互いに時間が惜しい、それなりに壮絶な戦いの真っ最中、30分程度しか話せませんでしたが、、、アドレス交換であとはまた情報交換はすることになっていますが、、、「なんで自転車なんやねん?!」への異口同音の三人の答え。チャレンジマイセルフ。自分への挑戦。誰の為でもない、自分自身のために挑戦しているのです。元気に満ちあふれ輝くような目をした若者たちの 素晴らしい答えが印象的でした。

世界を旅していますとこういう若者に良く出会います。そして共通しているのは誰も知らない無名の普通の人ばかりということ。Gちゃんが初めて北極海まで走った時には、同じカナダホワイトホースからイヌビックまで、あの距離を、あの季節に、車でなく、歩いて挑戦している人が居ました。マスコミが伝える有名人だけじゃない、誰も知らないだけ、この世の中には物凄いことに挑戦してる もっと凄い人がたくさん居る。世界は広い。

自分の吸う酸素ボンベをポーターに運ばせて頂上に連れて行ってもらって、下山はヘリでカトマンズまで 仲間を残して一足先にハイさようなら、それで80歳世界記録て言うんかよ?!大名登山の三浦雄一郎さんを内心バカにしてたGちゃんでしたが この学生との出会い、アタマの芯をハンマーで殴られたほど自分自身が恥ずかしくなりました。

暖かい車の中、コーヒー飲みながらタバコくわえて、厳冬期のヤクーツク挑戦?走破?完走?、、、いったいそれがあんさん なんぼのもんですんや?!バカにしてる三浦はんと変わりませんやないか。車なら、カネを使ったらだれでも行けまっせ。。。いやぁ~勉強させてもらえました、若者に。こんなことくらいで有頂天になってたら これから先の道を間違える。

人は弱いものです。また同時に人は強いものです。たえず自分自身を見つめ対峙しながら、見果てぬ自分の夢を追い求めていきたいと思います。
たとえ失敗してもいい、行けなくてもいい、きっとこの若者たちも何かを得てまた故郷に帰って行くのでしょう、多幸と健康を祈ります。




追記;4月22日 東シベリア海(北極海)にあるチェルスキーという村に到達したとの連絡が入りました。ヤクーツクから更に2千キロ以上の距離、シベリアの北の端まで自転車で走ったことになります。

極寒のこの季節、世界には想像を絶する物凄い若者が居る。驚嘆に値します。
その経験はこれからの長い人生で必ず生きて来るでしょう。おめでとう。心からの祝福と豊かな人生を祈りたいと思います。



2014年2月1日土曜日

さようなら ヤクーツク


寒いヤクーツクから南1100㎞、2日かけて帰って来ましたスコヴォロジノ。ここはシベリアの交通のカナメ。北へ行けばヤクーツク、東へ行けばウラジオストック、西へ行けばウランウデからバイカル湖。この幹線道路に出たとたん まるで別世界。今まであれほど文句を言ってた国道が天国みたい、パジェロもエンジン音だけ、耳がシ~ンとなるほど静かな走行となりました。やれやれ これでヤクーツクへの旅は全て終わりました。済んでみればアッと言う間の旅でした。

さすがに暖かい。完全防寒姿の運転では首から汗が流れます。日中でマイナス30度を割ってマイナス29度でした。今夜は冷えてマイナス35度くらいでしょうか、マイナス30度台なら もう自信持ってパジェロさまは明日朝は絶対にエンジン一発で掛かって下さいます。




今日はうっかり事故を起こしちゃいました。

本日走行650キロ、10時間の運転。好みでレースしているわけじゃないけれど飛ばさないと到着が夜中になってしまう。

。。イカンのです、昔からGちゃんの悪いクセ、高速でカーブを曲がる時 アウトインアウトが極端すぎる。コーナーぎりぎりを走るわけですが、特にスリップしやすい雪道や凍結道はハンドルは極力切ってはダメ、スリップしてもハンドルは切らない、スリップに任せておく、
勝手に車の惰性で元の道に戻るという理屈ですが。。。まぁ分かりやすい話、車を運転してるんじゃなく滑ってるようなものです。

。。コーナーをギリギリ通過しすぎて大きく左右にスリップ、本能的にアクセルを吹かせたのがこれまた裏目。道路はしの除雪された雪の山の上を走ってるじゃありませんか。もうそうなればダメ。雪の山に突っ込んで行くだけ。ガガガガ~ガッシャ~ン。

運転席から外へ出られないほどの雪の中。もちろんパジェロは前にも後ろにもニッチもサッチも。助手席から苦労して外へ脱出して。あああ、やっちゃったわい。
良くあるのですGちゃん、この路肩落ち。上げるのは簡単、誰かに引っ張ってもらえばいい。軽いもんですパジェロなんて。大変なのです、衝撃で散乱してる車内の荷物の跡かたずけが。

どうしようかな?って考えてる間もなく運よく3~4台も次々と止まってくれて。みんな笑ってる、Gちゃんも笑ってる。「おまえロープ持ってるか?」。「ロープ」というのはロシア語教室で教えてもらってなかったけど直感で分かった。「もちろんよ!物凄い大きい良いのを持ってるんや!」「ほな、見せてみ~!」

アツという間、引き上げてくれて。礼を言わないといけないし、なにか羊羹の残り物でもやろうかな、なんて考える暇もなく、「じゃ、気を付けてな!」サ~って去っていくじゃありませんか。え~?人を助けて 終わったらサッサと去って行く?、、、う~ん、カッコいい!!あのさり気なさがクールでカッコ良いじゃないですか。よし、次にGちゃんも誰か助けた時 そうしょっと!カッコ良すぎるな~。

おかげでパジェロ、かわいそうに写真の通り。走行には別条がないけれど、ダサいし実にカッコ悪いなぁ~!割れた破片をガムテープで止めるわけにもいかんし、このまま田舎者の爺さんみたいに走ってるのも Gちゃんのプライドが許さんしなぁ~。




これは走行中の運転席。

「1月29日(朝)8時16分 車内温度プラス12.5℃ 外気温マイナス49.9℃」と読めます。

速度60㌔で走行、外は真っ暗というのも分かっていただけると思います。

ちなみにイエローハットで買ったこの1200円の温度計、測定限界はマイナス50度まで。ヤクーツク行き帰りではぴったり50で動かなくなりました。

2014年1月31日金曜日

ありがとう ヤクーツク



またひとつ夢を叶えてくれたヤクーツクを後にしました。まだ真っ暗な朝の9時の出発で一路南に向かっています。今回の目的は地球上で一番寒い町と呼ばれてるヤクーツク訪問と相棒パジェロジュニアの極寒対策の成果確認でした。マイナス30度台とマイナス40度台では車の性能や運転も大きく変わるようです。身を持って体験でき満足しています。特にマイナス50度での走行はGちゃん自身の良い思い出にもなりました。

凍りついた想像を絶する物凄い道を走らないといけないのですが 今回も相棒三菱パジェロジュニアの活躍があったおかげとつくずく感心しています。Gちゃんの車と比較したらトヨタランドクルーザーなんてバスのように大きく見えるのですが、たった1100ccのエンジンというのに全く遜色なく走行しました。コブシくらいの石を敷き詰めたツルツルのデコボコ砂利道を時速90~100㎞で飛ばすのですから 車は悲鳴を上げ バラバラになるのじゃないかと思えるほどの振動やバウンドをこなしながら走ります。あの馬鹿でかい3000ccもあるランクルですが 小回りが利かないのです。大男アタマに知恵が回りかね。。悪路に弱いのです、エリートは。

さすが過去のラリーで大きな成績を残している三菱自動車、つくずくその強さの意味が体験できました。車買うなら三菱自動車。一銭ももらってませんがね、すばらしいエンジンと性能です。。。。のんびり走ったらいい?!そうはいかないのです。次の宿のある村に行きつかないのです。ちなみに本日8時間ノンストップ539㎞走行。もうGちゃん完全にラリードライバーの領域です。


あまりにあっけないヤクーツク到着でしたので 昨年のバイカル湖のような涙するほどの感激はありません。そんな極寒の地に20万人の人が住んでいること自体 信じられませんが 金、石油産出地らしく 将来はここから日本までパイプラインを引く計画もあるようです。今は信じられないような道を走り 文字通りシベリアのど真ん中まで苦労して辿り着いたわけですが Gちゃんの孫の孫くらいの時にはハイウエーでもできているのでしょうか。


もう少し今日の報告をしようと思ってたのですが。。。いけません。タバコのマッチを貰ったホテルの隣の部屋の客にお礼を兼ねて Gちゃんの持ってるバーボンウイスキー一杯くらい差し上げないと。。運のつき。まぁ部屋に入れ、まぁこれ食え。挙句は家族の話から仕事の話、Gちゃんの片言がめっちゃ面白く聞こえるらしい、大笑い。。終いには男二人に押さえつけられ、俺のウオッカを飲め!これがロシアの風習じゃ!
いやぁ、人懐っこくて実に陽気。おまけにこんな荒っぽい親切の押し売り。楽しい愉快な酒、久しぶりに酔っ払いました。